隣人と二度、恋をする

□Chapter9.Woman’s first love, Man’s last romance
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子どもの頃から、私は大勢の友達とワイワイ騒ぐタイプではなかったけれど、独りでいるのは苦手だった。独りでいたくなくて、近しい友達といつも一緒に行動していた。
何故なら、家に帰宅するといつも独りだったからだ。物心ついた頃には既に両親は離婚していて、ピアノ教室を開業していた母は、夜にレッスンがあるため帰宅はいつも九時過ぎだった。もっと帰りが遅い時もあった。母が帰ってくるまでの時間、学校の宿題をしていてもテレビをつけていても、孤独と言う名の灰色の生き物が常に部屋中を這い回っていて、いつか襲いかかってくるんじゃないかと脅えていた。

大学入学と同時に上京し一人暮らしを初めてからは、孤独から逃れるために奔走した。授業をめいっぱい履修して、アルバイトも入れて、独りになる時間を無くそうとした。図書館で本を読んだり映画を見たり、独りを意識しないようにひたすら努めた。

でも、銀時と出逢ってから、そんな日々に終焉が訪れた。私はいつも誰かが側にいる安心感を手に入れ、孤独と闘うことはなくなった。彼と同棲を始めてからは、一生分の安泰を手に入れた気持ちでいた。

ところが、どうだろう。同棲を止めて一人暮らしに戻った瞬間、灰色の生き物は再び私のところへやって来た。東京に住むその生き物は、黒に近い灰色をしていて、子どもの頃に見たものよりずっと巨大で、隙を見ては私を呑み込もうと大きな口を開けて待ち構えていた。私が移り住んだ官舎に、それは長いこと棲みついているらしい。建物は築三十年はゆうに越え、トイレやお風呂は共同、部屋も御世辞には広いと言えない。マンションから持ってきた冷蔵庫と洗濯機を置くのがやっとで、他の家電を買ったら生活スペースがなくなるほどの狭さだ。そこでまた、私は独りになった。



引っ越しを終えた数日後、職場の課内会議でのことだった。上司の長谷川さんが、今後の業務予定の説明をしていた。

「毎年恒例の区民祭りですが、特集記事を組んで広報誌に載せる予定でいます。当日の取材は土日の対応になりますので、希望者がなければ私が行きます。次は……」

区民祭りは、毎年九月の初旬に開催される区のイベントだ。私が一人暮らしを始めようが、世の中は普段と何も変わらないし、年度予定通りの行事と仕事が待っていて、一週間が過ぎてゆく。
恐ろしいのは、一人暮らしになれば週末をほぼ一人で過ごすということだ。あの得体の知れない生き物に呑み込まれそうで、そんなのは耐えられないという気持ちから、私は早速長谷川さんに相談した。

「区民祭りの取材、他に希望する職員がいなかったら、私行きたいんですが」
「えっ!?どうしたの、急に」

部下の突然の申し出に、長谷川さんは驚いた顔をした。私は言われたことを淡々とこなすタイプで、自分から新しい仕事をしたいと言うことは稀だからだろう。
何でもいいから週末の予定を入れたいなんて言える訳もなく、その場で思い付いた理由を口走った。

「私、自分で広報誌の原稿を書いたことがないんです。だから、一度記事を書いてみたくて。私じゃあ無理でしょうか」
「いやいや、ちゃんと出来るとは思うけど、休日出勤になるけど大丈夫?」
「はい」
「あと、結構面倒くさいよ?」
「分からないことがあったら、相談させてください」
「そう?じゃあ、任せちゃおうかな。一応、課長にも了解とっとくよ」

長谷川さんは上司の顔で言ってから、拝むように両手を合わせ、私にだけ聞こえるくらいの小声で言った。

「助かったよ!実はその日、ハツの誕生日なんだ!仕事で週末が潰れちゃうから、機嫌損ねちゃっててさ。これでハツと過ごせるよ!どうもありがとう!」
「いいえ。どういたしまして」

私も小声で言って微笑んだ。家庭を持っていて、休日を一緒に過ごしたい大切な人がいるなら、休日出勤は侘しい独り者がすればいいのだ。

けれど実際に担当してみて、長谷川さんが面倒だと言っていた理由がわかってきた。記事を書くのだけが仕事ではなく、協賛しているFM局や地域のフリーペーパー用、区のホームページ用の宣伝原稿も書かなくてはいけなくて、結構大変だった。勿論当日は、一人で取材をして写真撮影もするので、事前の下調べと予習にも時間がかかった。
でも、忙しいのは全くと言っていいほど苦ではなかった。余計なことを考えずに済んだし、自分で決めて選んだ仕事なのだと思うと、寝不足でも疲れていても、いつも前向きな気持ちでいられた。



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