隣人と二度、恋をする

□chapter16.Just stay with meC
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黄色がかった残照がカーテン越しに差し込んでいた。日が傾いてから沈むまで、夏の夕暮れはゆっくりと日中の熱気を生暖かい空気に変えていく。銀時と私は裸の肌の上にタオルケットをかけて、陽射しが空気にきめ細かく溶け込んでいく様子をじっと眺めていた。

光の粒子が薄い膜を形づくり、ヴェールのようにふたりを包み込む。それは私達以外の、世の中の煩わしいことを全部排除して、純粋な安らぎを護っている。肌と肌を寄せ合っているせいか、終わってもまだ繋がっているように思うのが不思議だった。身体を重ねた後の時間がこんなに幸せなものだなんて、今まで知らなかった。

ふとした拍子に、タオルケットからはみ出た脚と脚がぶつかった。恋人同士、手を繋ぐとか肩を組むとか体の一部を触れ合わせる行為は沢山あるけれど、裸足がぶつかるシチュエーションは、こうして一緒に寝ている時だけだ。すね毛のざらざらした感触や、ごつごつした足の甲の凹凸を足の指で確かめていると、彼はフハハと明るい笑い声をあげた。

「やめろよ。くすぐってえ」

彼の白い歯が眩しかった。なんて温かい笑顔なんだろうと胸がいっぱいになり、逞しい胸板に頬を預けた。同時に、彼の手が自然と肩を抱き寄せる。暖かくて大きな手のひらを素肌に感じて、私は呟いた。

「銀時って、大きいのね」
「大きいって何が?俺のジュニアの話?」
「ばか。違うわ」

広い背中や、逞しい肩甲骨や胸板、直線を描く四肢。全部を包み込んでくれる優しさ。隣にいてくれることの安心感。その全部が私には無い特別なもの。

あなたの側にいるから、これからもどうか、どうかその大きな手で、私を護って。


「あのさ、楓」

暫くして、銀時は神妙な声で言いながら私の髪を撫でた。

「お前、犬好きだっけ」
「イヌ?」

どうして急にそんなことを聞くんだろうと思いながら、私は答えた。

「好きだよ。昔、お母さんに飼いたいってねだったことがある。マンションだから、結局飼えなくて諦めたの」
「バアさんちに白い犬がいるんだ。定春っていうの」
「うん。知ってるよ」

銀時の話の中で、賢くて頼りになる相棒だと聞いたことがある。彼は秘密を打ち明けるように、一呼吸置いてから言った。

「いつか、一緒に暮らさないか。俺達二人と、一匹で」

きょとんとして彼を凝視した。いつかって、いつから?二人と一匹で?どこで?と頭の中を勢いよく疑問符が飛び交う。私達が以前暮らしていた502号室は、ペット禁止のマンションだった。もしやと思い首を傾げだ。

「……一緒に暮らすって、もしかして、十条のお家でってこと?」
「そう。実は、バアさんにいい人がいるんだよ。横浜に住んでる泥水っていう爺さんなんだけど、そのうちバアさんが横浜に移住するかもしれないんだ」
「え―――っ!!」

初耳だったのでとても驚いた。銀時は身内の事情を明かすのが照れ臭いのか、失敗談を語るような微妙な表情を浮かべていた。

「正直いい歳して何やってんだと思うけど、大切な人と一緒にいたいって気持ちには共感するし、好きにすればって思ってる。でもバアさんは家を売るつもりだったから、それには反対したんだ。亡くなった旦那さんと暮らしてた家でもあるし、俺の家でもある。無くしたくないんだ。あそこに住むなら、俺はお前と一緒がいい」

と彼は言ってから、腕を伸ばして私を抱き寄せた。腕のなかにすっぽりと私を収めて、至近距離で見つめ合う。

「朝の散歩がキツイとか、通勤に時間がかかるとか、文句は沢山あるんだけどね。白い犬がいる一軒家なんて、女の子の憧れじゃあないですか」

彼が目尻を下げて微笑んだので、私もつられて笑った。

「盆と正月は、横浜に行って年寄り共の顔を見に行こう。夏は山梨のばあちゃんちに行って平次さんの手伝いをしよう。お前の母ちゃんにも会いに行こう」
「いいわね。楽しそう」

広い胸に顔を埋めて目を閉じる。銀時が私の大切なものを大事にしようとしてくれるのが嬉しかった。
この先の人生、数えきれないつらい出来事や悲しい別れや、様々な困難が待ち受けているだろう。でも、そんなのは遠くの景色に霞むように気にならなくて、いいことが沢山待っているような気がした。私も彼の大切なものを、護っていきたい。

「今度、うちに来てよ。バアさんがお前に会いたがってる」
「うん。ありがとう」

二人で買ったホームベーカリーは、彼が持っている。彼が好きだったパンのレシピは、忘れないように書き留めてある。焼きたての温かいパンを分け合って食べるのを想像して、幸福な気持ちになるのと同時に、いつだったか501号室の隣人にパンを届けたことを思い出した。

青い鳥のお皿は、今は私の手元にある。銀時とともに使うことは二度とない。あれを見る度に501号室の隣人を思い出してしまうから、彼との思い出が溢れて泣きたくなるから、すぐには見れないような場所に押し込んである。

そう、隣人のことは、忘れられない。私の中にも銀時の心にも、彼は居続けるだろう。でも、無理に忘れることはないのだと思う。彼に恋をしていた時間や、彼が紡ぐ美しい言葉の数々を、折に触れては思い返すのだろう。今はちくりと鋭い胸の痛みも、幾年かの時を経てば、宝箱の中にそっとしまっておきたくなるような記憶の欠片に変わるのだろうか。


私達は、様々なものを抱えながら歩んでいく。迷ったり、立ち止まったり、道を誤って引き返したりしながら、変わって行く自分たちを受け止めて、同じ方向へと歩いていく。それは今に始まったことではなく、嵐のように過ぎ去った青春時代、当たり前過ぎて忘れていた。彼がどんな時も、私の側にいてくれたということを。

今日は私たちの、新しい始まりの日。
ずっと隣にいてくれた人に、私はもう一度、恋をする。




(隣人と二度、恋をする 完)


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