隣人と二度、恋をする

□chapter10.Baby,please don't goB
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高校の校舎の屋上は、俺の身長の2倍ほどのフェンスで覆われており、常時施錠されていて立ち入り禁止だった。だが、高杉が針金を使って鍵を抉じ開けることに成功してからは、内側から鍵をかければ誰も入ってこれない、俺達の秘密基地になった。高杉は隠れて煙草を吸うために、そして俺はかったるい授業をサボるために、よく屋上に忍び込んでいた。

午前中の授業には出席しても、昼休みに屋上に来てしまうと、もうそこから動きたくなくなる。購買のパンで空腹を満たして、大の字になって寝そべる。南からの陽射しを直に受け止めるコンクリートは、じんわりと背中に暖かく心地良い。夏や真冬の屋上に長居をするのは相当キツいが、春先と、残暑が過ぎてから晩秋に差し掛かるまでは、最高の昼寝場所だった。

遠くに予鈴の音が聴きながら目を閉じる。眠気がぐんと強くなり、瞼に白い陽射しが降り注ぐのがわかる。寝床にしては少しだけ、目映い……

「坂田―――!!高杉―――!!!」

眠りの世界に入ろうとした瞬間、突然大声が響いた。びくっとして飛び起きって辺りを見回したが、屋上にいるのは俺と高杉だけだ。

「なに?誰?どっから喋ってんの?」
「下だろ」

高杉は煙草を持った手で、グラウンドの方を指した。フェンスの隙間から下を見ると、生徒がひとり仁王立ちになって、怒りの表情で屋上を見上げていた。

「校舎の屋上は立ち入り禁止だぞ!!早く教室に戻れ!!予鈴の音が聴こえなかったのか!」

どうして屋上にいることがバレたんだろうと疑問がわく。高杉がプカプカふかす煙草の煙で心当たりをつけたのなら、相当勘が良くて視力もいい。

「アイツ、誰だっけ」
「クラスの学級委員だろ。桂小太郎」
「ふうん、桂……」

そいつは俺達に向かって、本鈴まであと何分だとか、早く降りて来いとか、大声で説教していた。俺と高杉が授業とサボろうが何しようが、教師たちも半ば諦めて放任していたし、わざわざ捜しに来た生徒は初めてだった。
放っておけばいいのに、変な奴だなと思った。

「桂ねぇ。じゃあ、ヅラでいいじゃん」

俺が言うと、高杉は大して面白くもなさそうに笑って、煙草の煙をゆっくりと吐いた。



***



未成年者の喫煙はいけないことだが、いつの頃からだろう、高杉はシャツのポケットに煙草を忍ばせるようになった。白い箱に、黒いドットのセブンスター。あまりに頻繁に吸うものだから、そんなにうまいものかと一本貰って吸ったことがある。でも、吸い込んだ途端肺にずしんと重く、頭がくらっとしただけで、体に悪いと言われる理由に納得しただけだった。
煙草は好きにはならなかったが、高杉が煙草をふかす様子は、俺にとっては日常の風景になった。サイズの合わない、大きめの学ランを肩に羽織って、撚れたシャツのポケットにセブンスターを隠しながら猫背で歩く。そんな奴が隣に居るのが、当たり前だった。

ガキの頃、数ヶ月差で児童養護施設に入所した俺達は、お互いに独りぼっちだった。でも、一人と一人を合わせれば孤独というものから少し遠ざかることを知ってから、俺達はいつも一緒にいた。そしていつしか、そこにヅラが加わった。
高校を卒業しても、就職しても、俺達はどこかで繋がっているんだろう。長い人生、それが続いていくんだろうと、漠然と思っていた。


ところがある日突然、高杉は俺の目の前から姿を消した。三年にあがって、間もなくの頃だった。
施設にも帰らなくなり、学校にも一切登校しなくなった。携帯電話を持っていなかったので、連絡もつかなかった。今まで、どこぞの女の家に入り浸って数日戻らないことは何度かあったけれど、一週間、二週間と姿を見せないので、嫌な胸騒ぎが収まらなかった。


「坂田。ちょっと来い」

俺は担任の教師に呼び出され、進路指導室に連れて行かれた。何を聞かれるのか、だいたいの予想はついた。

「高杉のことなんだが。無断欠席が続いてもうひと月になる。お前、何か知ってるか」
「知らないッス」

正直に答えると、担任はそうか、と肩を落として言った。

「施設の方から、高杉を退学させたいと申し出があったぞ」
「退学?」

話の方向は、俺が予想していたのと違った。一か月も姿を見せないなんて、何か事件に巻き込まれたんじゃないかとか、警察に届け出ようとか、心配するのが普通じゃないだろうか。だが、普段から素行が悪い高杉は、きっと自発的に姿をくらましたのだろうと、大人たちはそう確信しているようだった。

「元々出席日数ぎりぎりで進級してるような奴だ。このままじゃあ卒業も厳しいし、在学させておく理由はないと、そう連絡があった」
「本人と連絡も取れねェのに、退学なんてさせられんのかよ……」
「懲戒処分の権限は校長にある。自主退学しないというなら、強制的に退学させることもできる。施設側は異論は無いそうだ。登校の意志がない生徒のために、学費を負担するほどの余裕はないそうだよ」

それじゃあ大人たちは、高杉を見捨てるというのだろうか。
アイツは一体、どこに消えてしまったんだろう。


授業に出たくなくて、俺の足は習性のように屋上へと向いたけれど、たまに午後の授業にも出席するようになった。サボりがちな俺の姿を、クラスの連中は物珍し気にみていたけれど、空席が続く高杉の席を気にするのは、奴に関心のある一部の女子だけだった。

「銀時」

と、ヅラが屋上に姿を見せた。今しがた本鈴が鳴ったので、午後の授業はもう始まっている。俺はヅラに言った。

「いいのかよ。優等生が授業サボって」
「サボってなどいない。お前を連れ戻しに来たんだ」
「俺ァ行かねェよ」

行かねェよ、ともう一度呟いて、がらんと広い屋上を見渡す。ここにあるのは、俺自身の日常ではないのだと思う。背が低くて小柄な後ろ姿が、白く立ち上る細い煙があるのが、俺の日常だ。それは体の一部の器官を捥ぎ取られたような、ずっと大切にしていたものを過って壊してしまったような、絶望にも近い感情だった。

「今朝、クラスの奴が噂しているのを聞いたよ」

と、ヅラは言った。

「高杉が新宿で、年上の女と一緒にいるのを見掛けたと。それが誰だか分からんが、どうやら女と暮らしているらしいな。もう、一か月も姿を見せないんだ。この先も、おそらく登校することはな……」

言いかけたヅラの肩を、俺はぐっと掴んだ。

「新宿の、どこ」
「は?」
「新宿っつったって、どこの店とか、どの辺りとか、何かしらあんだろーが」
「そんなことは知らん。だいたい、クラスの奴の噂の又聞きだ。信憑性がどの程度のものかも分からんぞ」

ヅラは俺の手を払ってから、銀時、と声色を低くして言った。ヅラが本気で説教を始める時の声だった。

「これを機会に、ちゃんと授業に出ろ」
「機会って、どういう意味だよ」

睨みつけると、ヅラは同じくらい眼の底に力を込めて、俺を見返した。

「お前は、お前自身がサボりたくて授業に来ないのか?それとも、高杉がいつもサボっているから来ないのか?その両方だとしても、俺の目には、お前はいつも高杉のペースに巻き込まれているように見えるぞ。お前自身の為にどうするべきなのか、お前は本当は分かっている筈だ」

ヅラの眼は怖いくらいに真っ直ぐで純粋だった。濁りのない眼差しは、俺の胸にできた空洞を、独りぼっちになるのを恐れる俺の本心を、くっきりと浮かび上がらせるようで、俺はふいと目をそらした。
ヅラは続けた。

「施設に入所していられるのは、十八歳までなのは知ってるだろう。卒業するまでにはどこかに就職先を見つけて、自立していかなくてはいかん。いつまでも誰かとつるんで、独りではないことに安泰して、ぬるま湯に浸っていられる訳ではない。いずれは独りで生きてゆくものだ。そのためにお前がしなければならないことは、いなくなった奴を捜すことじゃない。学生の本業は、授業に出て勉強することだ」

ヅラは幼い頃両親に先立たれ、祖母の手で育てられたが、その祖母が亡くなってからは、新聞配達のアルバイトをしながら高校に通っていた。とっくの昔に自立せざるを得なかったヅラの口から、“自立”という言葉を聞かされるのは説得力があった。確かにそうだ、と納得もした。
だが、そこでハイ分かりましたと授業に戻るほど、俺は利口ではなかった。



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