隣人と二度、恋をする

□chapter10.Baby,please don't goC
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家出人手配をして、バアさんにも協力してもらいながら新宿周辺を捜し回ってたけれど、結局高杉は見つからなかった。捜すのはやめようと思うまでの数か月は、アイツは自分の意思でいなくなったのだということを、俺自身が納得し、受け入れるための時間だった。

そしてその頃には、奇妙な縁をきっかけに、バアさんが暮らしている十条の家に厄介になっていた。店に寝泊りさせるのを憐れに思ったらしく、一度十条の家に連れて行かれてから数日後には、俺自身の部屋までできていた。

バアさんは未成年の俺を預かるにあたって、戸籍上養子縁組をしようと言い出した。15歳以上が養子になる場合、本人と養親が届出人になれば実親の承諾なしで縁組届けを出せると、どこからか聞いてきたようだった。
だが、役所の担当者と何度も相談したものの、結局縁組は認められなかった。多分、バアさんの年齢や職業が引っ掛かったんじゃないかと思う。歌舞伎町で小さなスナックを細々と営む、後ろ楯のない未亡人という立場は、交渉の場では不利だったに違いない。結局は熱意が通じて、バアさんを引受人という形で、施設から俺を預かる形になった。

誰かに言われた訳ではないけれど、ちゃんとしなければいけないと思った。こんな俺を引き取って、家に置いてくれる人の為に、まともな奴になろうと決意した。


「教師になる……だと?」

昼休み、校舎の屋上で購買のパンを噛りながら、俺はヅラに相談をした。

「ババアがさ、高卒で働くよりも大学に進学しろって言うんだよ。成績次第じゃ特待生扱いで学費は免除されるし、奨学金なり何なり使って大学出た方が、高卒で働くより将来の給料いいんだってさ」
「さぼりがちなお前が特待生になれる訳がないだろう」
「そりゃあそうだな。特待生っつーのは、てめェみたいなのことを言うんだよな」

ヅラと知り合って初めて、奴を尊敬の念を抱く。成績優秀、文武両道、人望の厚いクラス委員長は、まさに優等生の鏡だった。優秀な人材を社会に輩出できるのだから、どこの大学も、俺なんかよりヅラのような優秀な生徒に入学してほしいだろう。
だが、公立私立を含めて数多ある大学のうち、俺のような奴にも門戸を開いてくれるところは必ずある筈だ。

「世の中にさ、どんな仕事があるかわからねェんだよ。十八年間生きてきた中で一番関わりがあったのって、なんだかんだで先生なんだよな。何も目指すものもねェのに大学受験するなんて、絶対無理だし。俺、教師目指す」

俺はヅラにそう宣言して、空を見上げた。屋上からの景色は視界を遮るものが何もなくて、青空がただまっすぐに、天高く突き抜けている。空に向かって目標を語るのは照れ臭かったけれど、本来の高校生とは、未来に夢や希望を抱いて、上を向いて生きるものだ。高杉と過ごしていた頃の俺は、平坦で退屈な日々を俯いて過ごすばかりで、空を見上げることも、未来を考えることもしなかった。

でも、天気のいい晴れた日には、きっと思い出すだろう。青空に靡く白い煙草の煙を、痩せた体躯に皺を作る、黒い学ランの後ろ姿を。何を話すでもなく、何をするでもなく、当たり前のように隣にいたアイツのことを。
教員なんて面倒臭そうな職業を、アイツは絶対に選ばない確信があったから、俺は俺が決めた、別の場所へゆく。


「つー訳で、これから受験勉強するから。何から始めていいか教えてくれ」

勉強という勉強を殆どしてこなかったので、ゼロ、もとい、マイナスからのスタートだった。誰かの手助けなしには、人並みの頭になるのは無理だ。

「ここでサボってたら、連れ戻しに来てよ。優等生」
「ああ。お前が本気で大学受験するなら、とことん付き合う」

それから本腰を入れて受験勉強を始めたものの、長年のサボり癖が邪魔をして、なかなか勉強に身が入らなかった。そんな俺をヅラは厳しく叱咤し、サボる俺を追いかけ回し、放課後は毎日図書館でスパルタ家庭教師のような指導を受けた。なんとか現役で志望大学に合格できたのは、ヅラがいてくれたお陰なのだ。

当時携帯電話は持っていなかったから、連絡先を交換することもなく高校を卒業し、それ以降会うことはなかった。

それが十年もの時を経て、隣にいる。



***



串焼き屋の勘定を払って、ヅラと俺は東十条の商店街をぶらぶらと歩いた。夕方はごった返すほどの賑わいを見せていたけれど、夜が更けるにつれて店のシャッターは次々に降りてゆき、丸い電灯がひっそりと照らす道に、疎らに人が行き交うだけになる。
眠らない町と揶揄される新宿とは違って、下町の商店街にはちゃんと夜が来る。道沿いの街灯の明かりは何時までついているのだろうかと、そんな他愛もないことを考えていると、

「お前や高杉のことを、忘れていた訳じゃない」

と、ヅラは唐突に言った。俺は肩を竦めて笑った。

「忘れていたら、わざわざ職場に電話なんてかけねェだろうよ。どうして突然、連絡くれたんだ」
「新宿でお前の彼女に―――楓さんに会ってから、昔のことを思い出してな」

そう言ってから、ヅラはゆっくりと首を左右に振った。

「思い出すという言い方は、正確じゃないな。記憶の片隅には、お前達は常に居続けていた。だが実際に会ってみようとするまでのエネルギーは、沸いてこなかったんだ。取材で、毎日名前や顔を覚えきれないくらいの人々と顔を合わせるが、何度も繰り返し会う人というのはほんの一握りなんだ。それ以外の大半は記憶の中の人に過ぎなくて、時を経れば風化するように忘れ去ってしまう。俺の中で……お前や高杉は、あの時代の出来事は、十年前のことだと思えないほど、鮮やかに覚えているよ」

覚えている、というか、忘れられないのだと思う。俺の日常に中に高杉やヅラの姿はないけれど、その記憶は胸の深い場所に静かに眠っている。ヅラと再会したことで、あの頃の出来事が古い映画のようにカチカチと目蓋の裏側に浮かんだ。

実際に会ってみて思うのは、純粋な嬉しさと、切ない程の郷愁だった。無鉄砲なガキの自分を、いとおしくすら思う。足掻きながら、何が正しいのか分からないまま日々を生きていた青春時代は、二度と還らないのだ。


「これ。お前に渡しておく」

別れ際、ヅラは俺に自分の名刺を渡した。奴が勤める新聞社の連絡先が書いてあったので、釘を刺すつもりで言った。

「名刺貰ったって、連絡しねェよ、俺。お前に用事とかねェし」
「いらなかったら捨ててくれ。あ、バカ、言った側から丸めるな。失礼な奴だな」

俺はへへへと笑いながら、丸めた名刺をジーパンのポケットに突っ込んだ。会えて良かったと、本当はお互いに思っているのに、絶対に、口が裂けてもそんな事を言わない。

「楓さんによろしく伝えておいてくれ」
「おう」

よろしく伝えようと思っても、彼女は側にはいないけれど、ヅラと会ったという出来事を、彼女に一番に教えたいと思った。



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