隣人と二度、恋をする

□chapter12.Sorrow Love SongB
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夜になると、たとえ暖房をつけていても、壁越しに伝わる真冬の冷気で部屋の温度が少しずつ下がっていくのが分かる。しんと冷えた、一月の長い夜がやってきた。

夜まで一緒にいるという約束通り、私は促されるまま寝室に行き、高杉さんと並んでベッドに横になった。肌が直接触れ合っていなくても、シーツを通してじんわりと温もりが伝わってくる。けれど、近い距離にいながらも、高杉さんはもう何十分も黙りこくったままだった。ベッドサイドの暖色の読書灯は、微動だにしない彼の影を壁に映し続けている。

私はと言えば、今すぐに触れてほしいと、そればかりを考えていた。一緒に買い物に行って、手を繋いで帰宅して、食卓を囲んだ。別の男の人のことを――銀時を思って泣く私を、高杉さんは私が落ち着くまで、ずっと側にいてくれた。そのことで、気持ちの枷はとうに外れていた。
息遣いが聴こえるくらいの距離に、好きな人がいるのだ。私は女だから。好きな人に、思いっきり抱き締めてほしい。

……でも、もし“そう”なってしまったら、それが私達の最後になる。これでおしまいだと思いながら肌を合わせるのは、一体どんな気分なんだろう。彼とのセックスの快感は鮮明に思い出せても、それに上乗せした別の感情を想像するほどの気持ちの余裕は、なくなっていた。ただ、してほしいという真っ赤な欲望に、身も心も塗りたくられている。
そんな悶々とした感情を抱えていた時だった。

「楓」

突然名前を呼ばれて、私ははっと我に返った。

「今、俺は、お前と同じことを考えてる」

と、高杉さんが低くてはっきりとした声で言った。
心臓がどきんと大きく跳ね上がり、息が止まるかと思った。首だけを動かして彼へ視線を向けると、彼は壁の方を見つめたまま、静かに続けた。

「でも、お前に触れようとする度に、銀時のバカ面がちらちらと浮かんできやがる。葬式の時にお前を引き留めた、情けねェ顔がよ。……お前が、俺と対(つい)になってアイツがいると言ったせいかな」

あの時、行くなと叫んだ時の銀時の表情は、私だってはっきりと覚えている。泣きたいのを我慢する子供のように、くしゃくしゃに歪んだ顔を思い返すと、今でも胸がちくちくと痛い。

「アイツとは、ガキの頃から一緒だった。―――本当に、ずっと一緒だった。でも十八の時、俺は学校に行かなかくなったし、施設にも帰らなくなった。その時は、アイツがどんな気持ちだったのかなんて考える余裕はなかったが……」

重いものを吐き出すように、高杉さんは長いため息をついた。

「行くなってアイツが言った時、あれは、お前に対してだけじゃねェ。俺に対しても、アイツは本当は、そう言いたかったんじゃねェかと思うのさ」

自惚れかな、と彼は言って、くるりと私の方を向いた。
眼鏡をとった彼の目許は、少し赤く腫れて疲れが滲んでいた。寝不足なんだろうなと思うと、早く眠らせてあげたいという気持ちと、もっと沢山のことを話していたいという気持ちがせめぎあう。私は躊躇いがちに訪ねた。

「銀時と離れることに、淋しさはなかったんですか」
「どうだかな。ガキの頃は、淋しいと思ってもそれに気付けなかったと思うよ。荒みきってたんだろうな」

彼は少しだけ笑ってから、

「今なら、淋しいってのがどういう感情かは分かる」

と、私の頬をつうっと、指先でなぞった。

「お前に男がいることは、最初から知ってた。俺自身がそうしたくてお前に手を出したんだから、お前の相手が誰だろうと退くつもりはなかった。それが、銀時だって分かってからも……。だが、今になって引け目を感じるんだ」

これまでにないほど、彼は自分の気持ちに雄弁に語っていた。銀時に対して、私に対しての思いなのだと思うと、一語たりとも忘れないように、聞き逃さないように、どこかに書き留めておきたくなる。

「淋しいなんて、男は口に思ってもしねェ生き物だよ。俺も銀時も、多分ずっと淋しかったんだ。それなのに……アイツは独りでいられる程丈夫じゃねェのに、俺は置き去りにしちまった。今度はお前まで居なくなったら、また独りになっちまう。アイツを二度まで、独りっきりにちゃあおけねェだろう」

高杉さんのことを、何を考えているのか分からない、不愛想な人だと感じたことがある。だが、本心を語る彼から見えてくるのは、優しさや思いやりといった類の、彼自身が本来持つ暖かな人間味だった。
卒業式でよく耳にする歌に、人は悲しみが多いほど人には優しくできるのだからという歌詞があるけれど、彼自身の人生にはきっと、孤独や、逆境や、つらい経験があったのだ。銀時と同じような淋しさを、胸の奥にずっと飼い続けているのだろう。彼はそれを、乗り越えて生きている。だからこそ、冷たいようで優しい、彼の人間性があるのだ。

なぜなら、人の気持ちを汲み取って、寄り添う術を彼は知っている。セックスレスで悩んでいた私の、心と体を満たしてくれたように。
銀時が抱える孤独を、救おうとしているように。

「あなたの、そういうところが好き」

私は手を呼ばして、彼の髪にそっと触れた。出逢った頃より、夏よりも長く伸びた黒い髪。彼と私が共に過ごしたのはこの長さくらいの、ほんの僅かな時間かもしれない。彼の誕生日も、好きな小説も、好きな映画も知らない。けれど、彼がどれほど優しい人なのかということは、きっと世界中の誰よりも私が知っている。

「本当は、三が日は山梨で過ごす予定でした。でも、午前中の早いバスで帰ってきました。どうしても……。どうしても、あなたに会いたかったから」

私は彼の眼をまっすぐに見つめた。同じように見つめ返す瞳の中に、泣きそうな私の顔が揺れている。
こんな風に、目と目を見つめあって話すなんて恥ずかしいけれど、心からの思いを共有したいから、分かってほしいから、瞳の奥に己の姿を映すのかもしれない。

「だから、私があなたとこうしていることは、誰も知らない。……“私達のことは、私達以外知らなくていい”。そうでしょう?高杉さん」

初めて高杉さんが私を部屋に呼んだ時の誘い文句を真似して、私は言った。彼はそれに気付いたのか、ほんの少しだけ微笑んで、私の手を強く握り締めた。



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