隣人と二度、恋をする

□chapter12.Sorrow Love SongA
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高杉さんが私に頼んだのは、夕食を一緒に食べて、夜まで一緒に過ごすというシンプルなものだった。
外食ではなく、手料理が食べたいと彼は言った。キッチンを見させてもらったが、高そうな食器はあるものの肝心の冷蔵庫はほぼ空っぽで、醤油や味噌といった調味料すらなかった。

私は呆れて言った。

「全然、料理しないんですね」
「男の一人暮らしなんて、だいたいそんなモンだ」
「食べたいもの、ありますか?」
「任せる」

任せるというのが一番困る。嫌いな食べ物もないというので、家庭料理と聞いて一番に思い浮かぶ、肉じゃがを作ることに決めた。

一番近くのスーパーへ買い出しに行くと、三が日最終日の午後、夕食の食材を買い求める家族連れでとても賑わっていた。売れ残ったおせち料理が安売りされているのを横目で見ながら、カートをがらがらと押して野菜売り場へ向かう。高杉さんは私のあとを、物珍しそうに辺りを見ながらついてきた。

ばら売りされているじゃがいもより、袋入りの方が安くてお得だ。でも、ばら売りの方が種類が豊富だった。こういう時、私はパッと決められない。どれにしようかと視線をさ迷わせていると、

「何をそんなに迷ってるんだ」
「ジャガイモにも、色々種類があるんですよ。男爵とか、メークインとか」
「ふうん。何が違うんだ」
「ええと、男爵いもはほくほくしていて、ポテトサラダとか潰して使う料理に向いてます。メークインは荷崩れしにくいから、カレーとか、煮込む料理向きです」

おいしいものを作りたいと思うと、ジャガイモひとつを選ぶのにも悩んでしまう。迷った末、荷崩れしやすいけれど歯ざわりが優しくて、色がきれいなキタアカリをカゴに入れた。

にんじんは、赤みが鮮やかでつるんとなめらかなもの。玉ねぎは、ずっしりと重く、首と根の部分が小さく締まって、表面の皮に艶があるもの。料理は好きなので、おいしい野菜の選び方も自然と身に付いた。
ちょうど旬のホウレン草が、平台に積まれて売られていた。葉物の値段が高騰していて安くはないが、栄養のバランスを考えて、おひたしも作ろうと思い立つ。私は高杉さんに言った。

「ホウレン草、選んでもらえますか。葉先が張ってて、肉厚なのがおいしいです」

右端にある、緑色の濃い元気なやつがいいな。そう思ったのと同時に、高杉さんはその一束を手に取り、私に訊いた。

「これでいいか」
「はい!」

同じものを選んだのが嬉しかった。つい元気に返事をすると、彼は可笑しそうに笑って、ホウレン草をかごのなかに入れた。

二人で選んだ野菜を見つめて、彼は言った。

「俺が料理をしないのは、空腹を前にして、わざわざ手間をかけて調理する過程が煩わしいからだ」

恋愛をしないのは、性欲を前にして、恋愛する過程が煩わしいからだ。頭の中で勝手にそう変換されて、彼をまじまじと見ていると、彼は微笑んで言った。

「けど、こうしてみると、案外楽しいものだな」

私は安心して、はい、と返事をして、調味料やお味噌を選びに行った。



***



ここのスーパーには、銀時と暮らしていた時頻繁に来ていたので、どこに何が売っているか、何曜日に安売りがあるのか、今でもちゃんと覚えている。
あの頃は、週末は決まって二人で買い出しに出かけた。不思議なことに、卵を買い忘れたり牛乳を切らしていたと思い出したりするのは、なぜかレジに並ぶ直前か、会計の最中だった。そういう時は私が列に並びつつ、銀時がダッシュで取りに行った。いつ戻ってくるんだろう、大丈夫かな、とそわそわしながら待っていて、銀時の姿が見えた途端、とても安心したものだ。

夕方の買い出しで長い列ができるレジも、そんなことを思い出しているうちに、あっという間に順番が来た。
せっかくだからといい牛肉を買ったのと、醤油や味噌、お砂糖も買ったので、会計はかなり高くついた。私も食べるのだから半分払うと言ったのだが、高杉さんは受け取らなかった。

荷物は、パンパンに膨らんだビニール袋がふたつ。片方を持とうとすると、パッと高杉さんの手が伸びた。

「俺が持つ」
「食費を払ってもらって、そのうえ荷物まで持ってもらうなんて、申し訳ないです」
「いいから、よこせ」

彼はふたつの袋を、ひょいと肩に担ぐように軽々と持った。痩身なのにどこにそんな力があるのかと思っていると、彼は空いた方の手で、黙って私の手を握った。

「あっ……」

手を繋いだ、そのことに驚いている間にも、彼はすたすたと歩き出した。外に出ると、スーパーの混雑とはうって変わって人通りが少なく、道はがらんとして静かだった。郵便配達の赤いバイクが、私達を追い抜いていく。運転していた青年の吐く息が、目の前でふっと風に消えるのが見えた。

銀時と暮らしていた時も、買い物帰りにはよくこうして、手を繋いで帰宅した。その時、何を喋っていたんだろう。夕食のレシピのことだったり、昨日観たテレビの話だったり、本当に他愛ないことばかりだっただろう。手を繋いで同じ場所へ帰る、そのことだけで、十分に幸せだったのだ。

高杉さんの手は、爪の先まで真っ赤になって、とてもひんやりとしている。少しでも温もりを分けてあげようと、彼の指先を包み込んで言った。

「高杉さん」
「ん?」
「広報誌、読んでいただいてありがとうございました。お礼を言うの、遅くなっちゃいましたけど、嬉しかったです」

手を握る手に少しだけ力を込めると、同じくらいの微かな力で、彼が握り返した。私は続けた。

「役所が作る冊子だから、何の面白味もないことは分かってるんです。でも最初は、当日の雰囲気や盛り上がりが伝わるように、構成も文章も、自分なりに工夫して書きました。でも上司に修正されて、途端にお役所の堅い文章に変わってしまいました。ちょっと、悔しかったです」
「どうせ読むなら、お前が考えたやつを読んでみたかったよ」

と、高杉さんは眼を細めて私を見た。

「どんな文章を書くのか、どんな言葉を選ぶのか、そこには人柄が出る。お前ならきっと、誰も愉快にも不愉快にもならないような、当たり障りのない、柔らかい文章を書くんだろうと思っていた」
「……それは、文章を読めば、どんな人かが分かるってこと?」

高杉さんは、そうだ、と言って頷いた。
私のことを知りたいと思ってくれたなら、訊いてくれればよかったのにと思う。彼氏とセックスレスだなんて、人には一番知られたくない悩みを共有している彼には、知られて困ることなんてもう、何もないのだから。

私だって、高杉さんのことを知りたいと思っていた。セックスから始まった私達は、お互いの体のことは知っているけれど、それ以外のことはよく知らない。例えば、誕生日とか血液型とか、兄弟はいるのか、出身はどこなのかとか。好きな食べ物、一番好きな映画、最近読んだ小説、そういうものを吸収しながら、彼の生きる世界を垣間見て、共有したい。

そうしてお互いのことをひとつずつ知っていくのは、多分、恋愛のステップを進んでいくことと同じなのだろう。それはきっと、食べる野菜を一緒に選ぶことのように、楽しいものに思えた。



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