隣人と二度、恋をする

□chapter12.Sorrow Love Song@
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初潮がきてから十年以上経つけれど、二十八日前後の周期でやって来る憂鬱な一週間のタイミングを、忘れたことなんて殆どない。お腹のあたりに感じる違和感がサインとなって、もうそろそろだなと分かると、予め生理用品を持ち歩いたり、鎮痛剤が切れていないか確認したり、世の中の女の子はそうやって毎月を乗り切っている。
ところが、月経の時期をすっかり忘れてしまうほど、私は祖母の突然の訃報に動転していた。ショックが大きすぎて、ナプキンを忘れて慌てる始末だった。

助けを求める思いで銀時に連絡をしてから、お葬式が終わるまで付き添っていてもらって、本当に救われた。亡くなった祖母と対面して悲しみが実体を伴ってひしひしと積もる間も、彼はずっと側に寄り添っていてくれた。

東京に戻ってからも、彼の方から連絡があり、ごく自然の流れで会う約束をして食事に行った。高杉さんと関係をもったことで信頼を裏切ってしまったにもかかわらず、以前のように優しさを傾けてくれることに、感謝してもしきれない。彼のお陰で、私は日常を取り戻しつつあった。


クリスマスイブも、銀時と過ごした。とは言っても、世間一般の恋人同士のように、高いお店で食事をしたり、ホテルに行ったりなんかじゃなく、居酒屋で飲んで、食事をして、近況の報告をし合った。
話題は仕事のことが中心だった。年明けから年度末まで、学校の先生は行事が目白押しになる。

「年が明けたら、銀時は忙しくなるね」
「三年生の担任だからな。特に忙しいよ。一月にセンター試験だろ。二月に卒業試験だろ。三月卒業式だろ。多分、休む暇ない」

彼の声に被さるように、向かいのテーブル席から、キャハハハ!と甲高い笑い声が響いた。イブの夜、チェーン店の居酒屋にカップルの姿はなく、殆どが同僚の集まりや女子会だった。
注文をとる店員さんもやけにテンションが高くて、クリスマスなんて私達には関係ない!といった吹っ切れた明るさがあった。少し声を張らないとお互いの声が聴こえないくらい、賑わっていた。

「しかも、年明けに高校入試があるんだよなー。採点は絶対間違っちゃいけないから、学校中がずっとピリピリしてんの。俺、あの雰囲気嫌い。採点も面倒臭い」
「ゆっくり休めるのはお正月だけね」

そうだな、と銀時は言って、ちらと私を見た。

「年末年始、どうすんの」
「休みに入ったらすぐ、実家に帰るわ。おばあちゃんにお線香あげたいし。三が日は山梨で過ごすよ」

そっか、と銀時は少し残念そうに言った。もしかしたら、年末休みに会う約束をしようとしていたのかもしれないと思い、私は訊き返した。

「銀時は?年末休みどうするの?」
「バアさんと年末の大掃除して、蕎麦食って年越しだよ。毎年、そうなの。餅食って正月のテレビ観て、寝て終わり。今年、年末休みが短いじゃん。あっという間に仕事が始まっちまう」

銀時がふと、壁の時計に視線をやった。とりとめもなく話をしているうちに、あっという間に時間が過ぎて、もうすぐ十時になろうとしていた。翌日はお互いに仕事があるから、そろそろ帰宅しなければならない。銀時もきっと、同じ事を考えている。

「なあ。年が明けたら新年会しようぜ」
「うん、いいよ。どこ行こうか」
「なんか、食いたいもんある?」
「おでんとか、どうかな」

いいねえ、と頷いた銀時は、酔いが回ったのか、目尻のあたりがほんのり赤くなっていた。銀色の髪とのコントラストが綺麗だなと思っていると、パチッと視線があった。お互いに照れ隠しに微笑み、会話の途切れた沈黙を味わう。
彼となら、一緒にいた時間が長いせいか、黙っていても全く苦にならない。そろそろ帰ろう、なんて思うタイミングでさえ、私達は波長が合うのだ。共に過ごす時間の穏やかさに、心が寛いでいくのが分かる。

祖母の死を知った時、一番に助けを求めたのが妙ちゃんでも職場の同僚でもなく銀時だったのは、彼が私にとって、一番側にいる人だからだ。セックスレスでうまくいかなくても、一緒に暮らしていなくても、心の拠り所はずっと彼にある。例えば、家族がどれだけ遠くに暮らしていて、連絡をとっていなくても、常に家族であるのと同じように。

私達はお互いに、まだ好意をもっているだろうということは感じ取っていた。けれどこうして二人きりでお酒を飲んでいても、銀時が指一本触れようとしないのは、私の答えを待っているという、彼なりのメッセージだと思っていた。

事実、高杉さんのことをキッパリ忘れたというと、そうではない。お葬式の時に銀時が引き留めなかったら、私は多分、高杉さんの所に行っていた。彼らの存在は、私を中心に常に対の関係にあって、等間隔の距離を保ちながら、シーソーのようにゆらゆらと揺れ続けている。
右側を見れば銀時がいてくれるという絶対的な安心感から、私は左側の、高杉さんに惹かれるのかもしれない。でも、それでは同じ事の繰り返しだ。


会計を済ませて外に出ると、サンタクロースのコスチュームを着た店員が客引きをしたり、酔っぱらった若者たちが路上で騒いだり、クリスマスの派手な電飾と相俟ってとても騒がしかった。人混みの中をはぐれないように歩きながら、銀時は駅の改札まで送ってくれた。

「じゃあ、次に会うのは来年だな」
「そうだね」
「よいお年を」
「銀時も」

手を振って別れた。ホームへと降りるエスカレーターに乗る直前、ふいに後ろを振り返ると、銀時がまだ改札に立っていた。

「あっ……」

彼はうっすらと微笑んで、片手を挙げた。咄嗟に手を振り返そうとしたけれど、人の波に押されてエスカレーターに乗ってしまってからはもう、彼の姿は見えなかった。
お葬式が終わってから、何度か会う度にこうやって別れていたのに、今は同じ場所には帰らないんだということを強く自覚する。見送る彼の姿はどことなく淋しそうで、酔いのせいか潤んだ瞳の投げかける視線に、後ろ髪をひかれる思いだった。


それから年末年始の休み、私は山梨の実家に帰って、これからのことをよく考えた。地元の友人には一切会わず、一人きりの時間に銀時と高杉さんのことを考えた。それは徐々に固まりつつある結論に、覚悟を決めるような、そんな時間だった。
そして、自分と向き合って得た答えに、私は高杉さん宛の手紙を書いた。年が明けたら、一番最初に彼に会って伝えようと、そう決心した。




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