隣人と二度、恋をする

□chapter11.Birth,End & ReunionB
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翌日は、朝に火葬があって正午から告別式だった。六時くらいだろうか、目覚ましが鳴る前から隣の布団でがさごそと動く気配がして、俺はふと目が覚めた。
寝る直前までずっと、泣き疲れて眠ってしまった楓の寝顔を見ていたせいで、瞼の裏側に彼女の輪郭が残っている。薄目を開けて現実の彼女を見ると、膝をついて、シーツを剥がして丸めているところだった。

その時、シーツに赤い汚れがついているのが見えた。それが血だと気付いた時、彼女はパッと俺の方に顔を向けた。

「起きてたの」

と、嘘がバレた子どものような目をして、急いで汚れを隠している。悪いことではないのだから隠す必要はないのだけれど、人に見られるのは嫌な気分だろうなと察して、咄嗟に顔を背けた。

「……生理、きちまったのか」
「うん。ごめん……」
「何で謝るんだよ。汚れたら、洗えばいいだろ」

彼女はそそくさと丸めたシーツを小脇に抱えて、パジャマについた汚れを隠しながら部屋を出ていった。
思い返せば同棲していた時も、何度かこういう事があった。女の自然な現象だから防ぎようがないものの、いつも申し訳なさそうにシーツを剥がして、こっそり洗いに行っていたのを覚えている。

今日は葬儀があるというのに、彼女の体調が心配だった。彼女は昔から月経痛が酷くて鎮痛剤が手離せず、体調があまりに悪いときは仕事を休んだり、早退したりする時もあった。
喪服に着替えた彼女は、お尻のあたりを頻りに気にしながら、財布を片手に玄関に降りた。

「私、コンビニ行ってくる」
「コンビニ?買いたいモンがあるなら、俺が行ってくるよ。そのうちに腹痛くなんだろ」
「いい。自分で行く。男の人に、買いに行かせられない」

彼女は強張った言い方でそう告げて、俺に背を向けて靴を履いた。生理用品を買いに行くのだと勘付いて、俺は決まり悪くなって頭を掻いた。

「じゃあ、一緒にいけばいいだろ。コンビニってどこにあんの」

すると、彼女は靴を履く手をぴたりと止めて、困惑した表情で俺を見上げた。

「……そう言えば、一番近いコンビニってどこなんだろう」

俺は思わず、プッと噴き出して言った。

「何だよ。それ」
「おばあちゃんちに来た時、コンビニに行くことなんて今までなかったから……ちょっと、待ってね」

どうやら彼女は、コンビニがどこにあるか調べてもいないうちから出掛けようとしていたらしい。スマホを取り出しながら、眉をへの字にして俺を見上げた。

「やだ。私、ドジね」

彼女はそう言って笑った。彼女の笑顔を、本当に久しぶりに見た。小鼻の上にきゅっと笑い皺が寄って、目尻が下がってものすごく優しい顔になる。

可愛かった。こいつの為なら、何だってしてやれると思った。



***



火葬の間、案の定楓はずっとつらそうな様子だった。
死の悲しみに暮れている時に限って、月に一度の体調の優れないタイミングが重なるなんて最悪だし、本当に彼女が可哀想に思えた。


「坂田くん」

告別式の会場に着いてから、楓の母ちゃんは、彼女がトイレに行っている間に俺を捕まえて、小声で言った。

「あの子、昔から生理痛重かったの。つらそうだったら、控え室で休ませてちょうだい」
「はあ……」
「私、今日は色々と忙しいから、あなたがあの子の隣にいてやってね。よろしくね」

トイレから戻ってきた楓は黙って親族席に座り、気の失せた青白い顔で、微笑む故人の遺影をぼんやりと見ていた。時折つらそうに顔が歪み、それが悲しみなのか痛みなのか分からないまま、俺はたまに腰をさすってやり、背中に手をやって何度も撫でたりした。

そうしている間にも、優しくすることで彼女の気持ちが俺の方に傾くんじゃないかと、そんな不謹慎な期待がむくむくと膨らんできた。誰だって、弱っている時に親切にされると情が沸くものだ。心から彼女を案じつつ、頭の片隅では打算的なことを考えている自分が嫌になる。
それもきっと、こうして親族席に肩を並べて座っているせいかもしれない。他の人からは、俺と楓は恋人同士というより、夫婦同然に見られていることだろう。


俺のそんな思惑とは対照的に、楓の母ちゃんは斎場のスタッフと打ち合わせをしたり、弔問客に挨拶をしたり、常にしゃんと背筋を伸ばして、立派に喪主を努めていた。楓と同じ小柄で華奢な体型ながら、和装の喪服姿で深々と頭を下げて応対する様など、堂々としているようにも見えた。
告別式が始まる前、俺は弔問客に渡された会葬の礼状に目を通した。よくある定型文の礼状ではなく、楓の母ちゃんが書いたと思われるものだった。そこには旅立った母への思いが溢れていた。楓が繊細で優しいのは、母親に似たんだろうと、そう思わせるような文章だった。



『十代でブドウ農家に嫁いで、父と二人三脚でブドウ畑を守ってきた母。
私にとっては頼れる母、娘にとっては優しい優しいおばあちゃんでした。

人生の節目節目において、母は一番の味方でいてくれました。
一人娘である私が農家を継がないと言った時、父は猛反対でしたが、母は一度きりしかない人生、自分の進みたい道を進みなさいと背中を押してくれました。
娘が幼い頃に離婚した時、辛かったらいつでも帰っておいでと、母の言葉に救われました。

子の選択を尊重するということは、母自身の願望との間で様々な葛藤があったことでしょう。
子を思う気持ちの難しさは、親になって初めて知りました。
娘の子育てに迷うたび、母が乗り越えてきたものに尊敬を感じます。

十年前父が急逝した時は、ブドウの収穫の最盛期でした。
母は気丈にも、葬儀のあとは畑に行き、喪服に長靴を履いて収穫をしていました。
農作業に明け暮れる日々は本当に大変だったでしょうが、母は滅多に弱音を吐かない人でした。

疲れた時、ふと出る母の口癖は、
「お父さんに会いたい」。

けれどすぐ、思い直したように、
「楓の花嫁姿を見るまでは死ねないわね」
と、大切な孫の成長を、一番の楽しみにしていました。

明るく元気な笑顔を見せつつも、いつも私や娘のことを気にかけてくれた母。
これからは父とふたりで、どうかゆっくり休んでほしいと切に願います。

小春日和の朗らかな日、母は生涯を閉じ、遥かな空へと旅立ちました。
故郷の空や、葡萄畑や、母とよく似た娘の笑顔を見る度に、母の面影が目に浮かぶことでしょう。』



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