隣人と二度、恋をする

□chapter16.Just stay with meA
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官舎の建物が古いとか部屋が散らかっているとか、そんなことを気にする余裕もないまま、私は銀時を自宅に招き入れた。夕暮れの部屋は斜めから西陽が射し込んで、電気をつけようかどうか迷う。これから私達に訪れる出来事を思えば、このまま次第に暗くなるのを待つのがちょうどいいかもしれない。

私は空調を入れて、置きっぱなしのコップをそそくさと片付けながら彼に言った。

「適当に座って。狭い部屋でしょ」
「一人暮らしにはちょうどいいだろ」

この部屋に自分以外の誰かが入るのは初めてだったので、そわそわとして落ち着かなかった。銀時も同じだったようで、焦りの混じった手つきで、がさがさとコンビニのビニール袋に手を突っ込んだ。

「さっき、飲み物買ってきた。お前好きだったよな、ジャスミン茶」

ビニール袋の中、ペットボトルの他に茶色い紙袋が入ってるのを見逃さなかった。コンドームだけ買うのは憚られるから、カモフラージュのようにお茶を買う気持ちはちょっと共感した。キンとした冷たさの残るお茶を喉に流し込むと、ごくんという音が静かな部屋にやけに大きく響いた。

銀時も同じようにペットボトルを傾けてお茶を飲んだ。ぐび、ぐびと音をたてながら半分くらいを一気に飲み干して、ぷはあ、と息を吐いていた。私はクスクスと笑った。

「お酒飲んでるみたいよ」
「確かに」

銀時もつられて笑ってから、頭をガシガシと掻いた。

「つーか、本当に酒でも飲んでくればよかったと思ってるよ。さっきは逃げちゃダメだとか言ったくせに、お前んちに来た途端に緊張してきた。どんな風にムード作ったらいいのかも全然分かんねェし」
「ムード?」
「大事だろ、そういうのは」

はあ、と銀時は大きな溜息をついた。確かにムードというか、その時の気の持ちようは大切だ。女性は気持ちと体が密接に、時には複雑にリンクしている。セックスレスで悩み疲れていた時の記憶が強く残っていたら、彼としたいなんて思わないだろうし、体も拒絶を示すだろう。

もともと、彼は二年以上セックスレスでも全然平気な人なのだ。それが私の為に、第三者の手を借りてまで歩み寄ろうとしてくれている。もしかしたら誘われるかもしれないという予感は常にあって、覚悟ができていなかっただけで、銀時が私を受け止めてくれたことで気持ちは前を向き始めている。それに、ここでお酒の力を借りるのは、私達には正しくない。

「酔っ払った勢いでエッチなことするのは、私はいやだな」
「まあ、確かに……」
「どういう風にしたらいいのか、私もよく分からないけど」

私は勇気を出して銀時に手を差し伸べた。緊張しているのはお互い様で、粘土が喉に詰まったみたいな重苦しい空気を、早く変えたかった。

「今日、たくさん歩いて疲れたから、ちょっと休もう」

誘い文句としては色気がないけれど、遠くの母校まで足を運んで疲れたのは事実だった。私に続いて、銀時が遠慮がちにベッドに横になった。シングルサイズのベッドはふたりで寝そべるには狭くて、自然とぴったりくっつくような形になる。距離の取り方がわからず、横を向いて縮こまると、

「おいで」

と、今度は銀時の方から近付いた。体の向きを変えるのと同時に、彼の腕がシーツの上をするりと滑って、太い腕枕を作ってくれた。
半袖から逞しい腕が剥き出しになっている。首や耳の後ろ側に、彼のざらついた硬い肌を直接感じた。たったそれっぽっちの面積なのに、熱い体温が伝わって想像を掻き立てる。この熱をもって、彼は今日どんな風に私に触れるのだろうか。

銀色の髪の毛一本一本が、暮れる陽射しに透明にすけていた。鼻の下や目尻に、うっすらと汗が溜まりが出来ている。目が合った。瞳が左右に細かく揺れて、その中に、私の顔の輪郭が映っていた。

「楓。目、閉じて」

と銀時が言った。言われた通りに瞳を閉じると、額に軽くキスをされた。唇の感触を神経を尖らせて感じようとする。瞼のうえ、鼻先、頬と、まるで小さな子どもに愛情を伝えるように、彼は啄むだけのキスを繰り返した。私は笑いながら言った。

「くすぐったいよ」

目を開けると、緋色の瞳が情熱を含んで私を見つめていた。目は時に言葉以上に気持ちを雄弁に語る。もっと触れてみたい、この先に進んでみたいと、艶かしい色を秘めているのに胸が高鳴る。

こんな風に側で見つめ合ったのは、いつ以来だろう。彼と最後にキスをしたのは、いつのことだったろう。不馴れで不器用で、キスのタイミングすら分からない若い恋人たちのように、私たちは息を潜めて見つめ合った。

やがて彼の手が伸びて、私の頬にそっとあてがわれた。大切なものを扱うような、優しい触れかたに胸を締め付けられる。瞳を閉じた次の瞬間、唇と唇がちゃんと触れた。

(…………ああ)

ドキドキして、心臓が破裂しそうだった。やっと辿り着いた触れ合いは、ファーストキスよりも特別なものに思えた。




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