隣人と二度、恋をする

□chapter15.Shape of my heart@
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旧友から職場に電話がかかってきたのは、月曜日の朝8時28分。職員会議の直前で、会議室に行こうと席をたつのと同時に呼び出し音が鳴った。
大半の職員は既に会議室に行っており、電話の音は人気のない職員室にけたたましく鳴り響いた。無視してもよかったのだが、おっかない学年主任の先生がまだ席にいたので、俺は渋々電話をとった。

すると、ハイ、と応答したのと僅差で、電話の向こうから畳み掛けるように声がした。

「もしもし、銀時か?俺だ」

そんな風に不躾な電話がかかってきたのは二度目のことだった。朝から何て運が悪いんだろうと、俺は盛大に溜め息をついて言った。

「何だよ。ヅラかよ」

高校時代の同級生で、今は新聞社の社会部で記者をしている男だ。桂小太郎という名前だが、俺はコイツを本名で呼んだことが一度もない。

「つーか“俺だ”じゃねえだろ。ヅラです、ってちゃんと名乗れよ社会人」
「ヅラじゃない、桂だ!」
「俺、これから職員会議なの。お前に構ってる暇ないから」

じゃあな、と電話を切ろうとすると、ヅラは強い口調で呼び止めた。

「今日、必ずコンビニにいけ」
「は?」
「行ったら分かる。とにかく行け」
「はあ?!何なの、お前、いきなり……!」

そこでガチャッと電話は切れた。切迫した、やけに真剣な口調だったので、何事かと不安になるくらいだった。職員会議の間もクラスのホームルームでも、色々と考えを巡らせたが、結局思い当たる節はなくて、電話の意図は理解できなかった。


言われた通り、昼休みの休憩時間を使って学校から一番近いコンビニに行った。生徒達も利用するので、駐車場の隅は生徒の溜まり場になっている。運動部の生徒達のこんがり日焼けした肌と、制服の白シャツとのコントラストが青春という二文字を呼び起こさせる。自動ドアをくぐるのと入れ替わりに、見知った顔の女生徒達が出てきて、親しげにひらひらと手を振ってきた。

「坂田センセー、お弁当買いに来たのー?」
「おー」
「ねーアイス買ってよー」
「やだー。自分で買ってー」

そう答えると、彼女達は楽しそうにキャハハハと笑いながら去っていた。別にいいことなんか無くても、つられて笑ってしまうような明るさがある。スカートを短くして肌を見せるのは、自分達の若さに価値があると主張したいからだろうか。俺の歳からすると、子どもが背伸びをするのと同じように微笑ましくて、そんな努力をしなくても十分可愛いのにと思えてしまう。

財布を握り締めて、陳列棚を眺めながら店内を一巡した。来たはいいけれど、一体何があるのか皆目見当がつかない。ペットボトルの飲み物と弁当を物色してから、成年雑誌のコーナーで、水着の谷間からはち切れんばかりのオッパイが溢れそうになっていたので、つい凝視していると、

「坂田先生」

横から声がした。ギクッとして見ると、うちの制服を着た眼鏡の女の子が立っていた。顔に見覚えがある。昼休み直前の時間割で、現国の授業を担当したクラスの女の子だ。さっきすれ違った生徒達と違って、規則とおりの制服を着て、黒髪で、普通よりも地味な印象だった。

彼女は眼鏡の奥の小さな瞳に、穢らわしいものを目にしたような嫌悪感を滲ませて俺を見た。

「成年雑誌を立ち読みするつもりだったんですか。周りに生徒が沢山いるのに、すごい度胸ですね」
「いや。違う。誤解だ」

俺はキッパリと否定して、あさっての方向に視線を移した。

「エロ本見に来たんじゃないんだよ。知り合いから、コンビニに行けって言われて、捜し物してるんだ。今日、何か面白いモンでも売ってるのかな?知ってたら教えてくんない」
「今日発売の雑誌なら、ここにありますよ」

彼女が指差したのは、買ったことはないが名前は知っている、有名な文芸誌だった。青と紫のグラデーションの表紙が、陳列棚で一際異彩を放っていた。
手に取った瞬間、表紙に知り合いの名前が書いてあるのが目に飛び込んできた。嘘だろ、と思った。ライターをしているとは知っていたけれど、小説家になったなんて聞いていない。

「その高杉晋助って作家、今作がデビュー作品なんですって。私、読みました」
「これ、今日発売なんだろ?いつ読んだの」
「あっ」

彼女は咄嗟に、マズイという顔をして口に手を当てた。さっきの授業をサボっていましたと告白しているようなものである。あまりの正直さに注意する気も失せて、俺は文芸誌をめくった。

著者紹介欄を捜すと、出身地、生年月日は、俺が知っている『高杉晋助』と一致する。編集プロダクション勤務を経て、ライターとして活動という経歴も俺の記憶の通りだ。それがどうして突然、大衆向けの文芸誌で作家デビューを飾ることになったのだろう。

「小説家を夢見て物書きしている人は沢山いるって聞いたことがありますけど、この作家も元ライターなんですね」

と生徒が言った。当たり前だが、彼女のなかでは高杉は既に小説家として認識されている。それが物凄く違和感があって、全然知らない話題を突然振られたような居心地の悪さを感じながら、俺は適当に頷いた。

「例えば、モデルとか芸人とかの作品が文芸誌に載る時って、メディアに大きく取り上げられて話題になるじゃないですか。無名の新人がこんなに目立つなんて、まさに華々しいデビューって感じですね。私、文庫出たら絶対買います」
「授業中にこっそり読みたくなるほど面白かったくらいだしな」
「ごめんなさい。気を付けます」

生徒は正直に謝ってから、言い訳を並べるような頼りない声で言った。

「朝、表紙のインパクトに惹かれて衝動買いして、電車で読んでみたんです。そうしたらどんどん引き込まれて、途中で止めるのが惜しくなってしまって。もっと読みたい、知りたいって渇望するような感じなんです。第三者として物語を俯瞰しているんじゃなくて、私自身が登場人物の一人になったみたいに。誰だって、自分の人生の続きが書いてあるなら知りたいと思うでしょう。今から続きが待ち遠しくて仕方ないです」

俺はじっと、彼女の純真な瞳を見た。若さや可愛さに価値を求めることも間違いではないが、若者にとって本当に強みなのは、何色にでも染まる柔軟さや、限りなく伸びしろのある自由な発想や感性ではないかと思う。そんな若い感性を刺激するようなものが、果たしてアイツに書けるのだろうか。

すると、生徒が何か思い出したように、あ、と声を上げた。

「そう言えば先生、捜し物してるって言ってましたよね?捜すの手伝いましょうか」
「あー、多分、コレのことっぽい。お陰で見つかったよ。サンキュ」

俺は生徒にお礼を言うと、文芸誌の上に、弁当とペットボトルを三段重ねにしてレジに向かった。
青色と紫色のどぎつい表紙はやけに挑戦的で、ちかちかと目に痛い。文芸誌をお盆代わりにして弁当をのせたのは、アイツの人を小馬鹿にしたような薄ら笑いが浮かんできて、むしょうにイラッとしたからだった。



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