約束 〜 いつか、君に逢いに行く 〜
□番外編 夜空に咲く花
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やがて、花火の日がやって来た。昼間、俺はお登勢のバアさんに呼ばれて、バアさんの家に行った。
ちょうど、盆のまっ最中だ。仏壇には盆提灯が灯っていて、饅頭が供えられてあった。見覚えのある饅頭に、俺はいつかの雪の日を思い出した。
(死んだ旦那の、か……)
雪の降りしきる真冬の日、バアさんの亡くなった旦那が眠る墓で、俺はバアさんと出会った。空腹で死にそうだった時、供え物の饅頭を食わせてもらったのが縁だった。俺はバアさんの用心棒を称して、二階に住まいを借りるようになったのだ。
あれから、初めての盆である。盆は先祖の霊があの世から戻ってきて、家族と一家団欒して過ごし、また帰っていくという行事だ。ということは、墓に眠る旦那も今は家に迎えられ、胡座をかいて饅頭を食っているというわけである。
礼を忘れてはバチがあたる。俺は線香を手向けて、手を合わせて目を閉じた。
(アン時は、饅頭横取りしてしまってすんません。アンタのせいで……いや、あなた様のお陰で、バアさんに厄介になってます)
手を合わせていると、仏様の前だというのに、ムクムクと色んな願い事が出てくるから不思議だ。
(ついでと言っちゃ何ですが……お盆で帰ってきたことだし、ここはひとつ、滞納した家賃とツケをチャラにしてもらえるよう、天国から働きかけてもらえませんか)
「アンタ、あたしの旦那になんて頼み事してんだい」
隣の部屋から、バアさんの声が聴こえた。どうやら、俺の心の声はただ漏れだったらしい。
バアさんは呆れ顔で顔を覗かせ、俺に手招きをした。
「ちょいと、こっちに来てみな」
バアさんは桐箪笥の奥から、ガサゴソと何かを取り出していた。そして、畳に広げられたのは、黒い細縞模様の着物だった。
「いい浴衣だろ」
バアさんは、生地を手のひらで撫でて言った。生地はおそらく、上質の麻だ。
「小千谷縮っていう麻織物だよ。麻は熱を持たないから、風が体をすり抜けるみたいに涼しいのさ。着てごらんよ」
言われるまま、姿見の前で浴衣を合わせる。確かに手触りがよく、さらっとしていて気持ちがいい。
バアさんは、満足そうに言った。
「やっぱり、身丈も袖もぴったりだねェ。何せ古いもんだから、多少の染みには目を瞑っておくれ」
「オイ、バアさん、これ……」
俺がキョトンとしていると、バアさんはふっと笑った。
「見に行くんじゃないのかい、今夜の花火。アンタ、いつもの着流しで行くつもりだったんだろ?装いも粋に楽しむのが江戸っ子ってモンだよ」
「いいのかよ。旦那の着物じゃねーのか」
「箪笥に眠ってばっかりじゃあねェ。たまには、袖を通してやらないと」
それからバアさんは、生地によく合う藍色の角帯と桐下駄、それに扇子を貸してくれた。
俺が帯をいつもの貝ノ口結びで着ようとしたら、バアさんはありきたりだとか何とか言って、手早く角帯をカルタ結びにした。鏡で見ると、なかなか悪くない。
「似合うじゃないか」
バアさんは、満足げに微笑んでいる。俺は小さな声で、あんがとよ、と言った。
ババアの若い頃なんて想像できないし、別にしたくもないが、きっと俺と千晶のように、バアさんと死んだ旦那も花火を見に行ったのかもしれない。 どこかで待ち合わせをして、粋な浴衣を身にまとい、下駄の音を響かせて。
今日が盆の最中で、良かった。今宵は、墓から家に帰ってきた旦那と一緒に、バアさんも花火を見るのだろう。
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