七色の家族

□第十章 魔法のなまえ
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見廻組屯所での私の勤務場所は、正門すぐ側にある事務室だ。
主に庶務や会計などの事務全般を行う部署で、私のような妊婦や負傷して現場に立てない隊士、アルバイトの女の子達が働いている。事件現場へ駆けていく緊迫感とは程遠く、実にのんびりまったりした雰囲気の職場環境である。

一方事務室の窓の外に目を向けると、市中見廻りや要人警護、緊急の事件対応に出動する隊士達の姿が見える。そして私は、窓の外の彼らを毎日羨望の眼差しで見ていた。
皆武装していて、表情にはこれから任務に向かうのだという高揚感がみなぎっている。外の世界は、事務室では味わえない刺激と達成感に溢れているのだ。妊娠中ゆえ、就業制限で事務に配置転換されている身とは分かっていても、現場が恋しくてたまらなくなる。


その日もターミナルの要人警護の任で、隊士達が正門を発っていくのをぼんやりと見送った。いっこうに片付かない書類の束を横目で見ながら、私は独り言を呟いた。

「あぁ〜……暇ぁ。事務の仕事って、なーんでこんなに刺激がないのかしら」
「“暇”と言ったのはこの口ですか?」

ドスのきいた声がすぐ耳許に聴こえる。ギクリとして後ろを振り向くと、そこには最悪の人物が立っていた。

「そんなに刺激が欲しいなら、局長秘書に配置換えしてあげましょうか?多忙のあまり、悪阻よりも酷い吐き気を体験できますよ。毎日ね」
(…………出た)

見廻組局長、佐々木異三郎。見廻組を束ねるトップにして、次期警察庁長官とも噂されるエリート中のエリートだ。
聞かれてはいけない独り言を聞かれ、私は咄嗟に弁解した。

「い、いやだなあ局長、“暇”と言ったのは言葉のあやで……事務の仕事はまあ、私にとってはそれなりに大変ですし……」

大変というのは、大雑把な私の性格からして、細かいミスをしがちだからだ。妊娠中で注意力が散漫になってるという最もらしい言い訳をしているが、多分妊娠してなくても同じミスをする自信がある。

「もうお腹も八ヶ月だし、そろそろ産休だし、後はただ産まれてくるのを待つだけかなって思うと、どうも気持ちが緩んでしまって……」

すると局長は、デンとした私のお腹を見下ろして言った。

「張りはありませんか?」
「え?ハリ?」
「お腹の張りと言って、子宮が収縮してお腹が硬くなった状態ですよ。強い張りや痛みを伴う張りは要注意です、切迫早産や早産のおそれがありますからね」
「ハア……」
「それに妊娠後期に差しかかると、下大静脈が子宮に押されて血流が滞って手足がむくんできたり、 静脈瘤ができやすくなったりします。妊娠高血圧症候群にも注意しなければならない時期です。たまたまアナタは健康体な妊婦のようですが、妊娠中は何があるか分からないのですよ。気の緩みなんて言語道断、もっと危機感を持って過ごしなさいな」
「…………ハイ」

私は大人しくなって頷いた。局長に口ごたえをすると何十倍になって返ってくるのを忘れていた。

確かに局長の言う通り、妊娠中はいつだって安心できない。これでも、異変には十分注意して過ごしているつもりだし、妊婦健診でお腹の様子を確認するまではドキドキする。
ただ、妊婦生活ももう八か月目。私の気持ちは、だんだんとお産へと向き始めていた。


その時、ふと思い出したように、

「ところで……」

と局長が切り出した。

「お腹の子どもの名前、もう考えたんですか?」


  〜 第十章 魔法のなまえ 〜



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