七色の家族

□万事屋のインディペンデンス・デイ
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木々の緑が濃くなる初夏。春先には淋しかった枝も、気付けば木の葉が豊かに生い茂っている。一雨ごとに新しい葉を伸ばす木々は、まるで天に向かって雨乞いをしているようだ。
街角の植え込みには、紫陽花が青紫の花をつけ始めた。そうして曇りと雨の天気が交互にやってきて、とうとう今朝の天気予報で江戸の梅雨入りが発表された。

「この時期はなかなか、洗濯物乾きませんねえ」

部屋の中の物干しに洗濯物をかけながら、新八が溜め息をついた。朝は曇り空だったのが、先ほどからしとしとと雨が降り出してしまった。

「そう言えば昔、梅雨っていう言い方は欝々してて嫌だから、インディペンデンスデイって言おうって銀さんが言いだして……」
「何それ。ほんと下らないわね、アイツの発想は」

雑談をしながら、洗濯物を叩いては皺を伸ばし、次々に干していく。
その時、私はふと気づいた。神楽の赤いチャイナドレス。確か昨日も同じものを干したような気がする。いや、昨日だけじゃない。一昨日も、その前も同じ。

「ねえ新八、神楽の服ってコレしかないの?」

気になって訊ねると、新八はああ、と笑って言った。

「神楽ちゃん、着るものを選ぶのが面倒だとか言って、季節ごとに同じ服を交互に着まわしてるんですよ」
「そういうことなの……」

要するに、夏服は二着しかないのだ。
万事屋の支出は、神楽の大食いと定春の餌代のせいで、衣食住のうち食が圧倒的割合を占める。そのため衣服にかけるお金がないのはわかるが、年頃の女の子に夏服が二着というのは、あまりにも不憫ではないだろうか。

洗濯物を干し終えると、新八は銀時と一緒に依頼事の相談に出かけて行った。
家には神楽と私が残され、彼女は長椅子に寝そべって、テレビを見ながら酢昆布をかじっていた。私はそれとなく、彼女を誘ってみた。

「ね、神楽。私達も出掛けない?デパートとか。一緒に服でも見ようよ」

すると神楽はじとじとと雨の降り続く外に目を向けてから、ふいとそっぽを向いた。

「別にいいアル。こんな雨の日に出掛けたくないアル」
「そう?だって、家にいたって退屈でしょ」
「いやアル。こんな日に出かけたら頭にキノコ生えるネ」
「そんなこと言わないでさ」

粘って神楽を覗きこむと、彼女の目線がテレビから私に移った。彼女は蒼色の丸い瞳で、じいっと私を見つめてきた。

「……お前、目のうえキラキラしてるアルナ」
「えっ?」

私は瞼を押さえた。そう言えば、今朝はパール系のアイカラーを使ったような。
そう思い出しながら、私は家の中でも出来る、とっておきのおしゃれを思いついた。

「あんたもしてみたい?お化粧」
 


***



年配の女性が美容室やネイルサロンに出入りするのを見ると、可愛くなりたい、きれいになりたいという願望は、女だったら何歳になっても持ち続けるんだろうなと思う。
女の子なら、きっといつか興味を持ち始める。赤い口紅やカラフルなマニキュア。神楽は服は二着しか持たなくても、化粧はちょっと気になるようだった。

神楽を鏡台の前に座らせて、手持ちの化粧道具をありったけ並べた。それらは色鉛筆のようにカラフルでキラキラしていて、初めて化粧をした時の興奮を思い起させた。

「これがマスカラで、こっちがアイシャドウとチークと口紅ね。何色がいい?」
「……よく分かんないアル」
「じゃあ私に任せて。いいって言うまでは、目、閉じててね」

十四歳の女の子のきれいな肌に、ファンデーションは必要はない。神楽の白い瞼に、パールのシャドウを指でトントンと乗せる。

私が化粧を覚えようと思ったのは、銀時と一緒に外に出掛けるようになってからだ。少しでも、きれいだと思って欲しかったから。甘酸っぱい気分に浸っていると、神楽が言った。

「女って大変アルナ。毎朝わざわざ時間かけてこんなもの塗りたくって、きれいにしなきゃいけないなんて」
「そう?メイクが好きっていう女のひとは多いわよ」

薄くアイラインをひいてぼかし、長い睫毛にマスカラを塗る。

「好きなひとの前ではね、きれいでいたいって思うものなの。おばあさんになってもそうだと思う。だから毎朝鏡の前で、きれいになれって魔法をかけるの」
「じゃあお前、化粧して銀ちゃんにきれいって言われたアルか?」
「……無いかもしれない」

即答すると、神楽はプッと噴き出して笑った。
薄いピンクのチークをほんのりとはたいて、控えめに口紅を塗って完成だ。私は神楽に手鏡を持たせた。

「できたわよ。見てごらん」
「わお!」

鏡を覗いた神楽は、驚いて自分の顔をまじまじと眺めた。
もともとパッチリした瞳がさらに目立って、色づいた瞼と唇が彼女をぐんと大人に見せた。可愛いを通り越して、彼女は大人びた美人の顔になっていた。

「銀時達にも見せてあげたら。きっと、ビックリするわよ」

私がそう言うと、神楽は微笑んで嬉しそうに頷いた。長い睫毛が揺れる様子や、すっと通った鼻筋は、女の私でもドキドキした。もう何年かしたら、こんなにきれいになるんだろう。そしていつか、彼女を自分のものにしたいと思う男性が現れたら、きっと遠くへ行ってしまうんだろう。私達の、手の届かないところへ。

神楽は窓辺に頬杖をついて、物憂げに濡れた窓から外を眺めている。

「早く帰って来ないかなあ、アイツら」

その横顔は私が知ってる女の子じゃないような気がして、なんだか胸がざわざわとして落ち着かなくなってしまった。



***



暫く経ってから、ガラガラと玄関の扉の開く音がした。

「帰ェったぞー」
「ただいま帰りましたー」

銀時と新八の声がして、神楽はパッと飛び上がって玄関に走っていった。さて、男共はどんな反応をするだろう。

“どうしたの神楽ちゃん、お化粧なんかして。見違えちゃったよ!”
“急に大人っぽくなるもんだなァオイ!どこのお嬢さんかと思ったぜ!”

彼らが驚く様子を想像してほくそ笑んでいると、玄関が異様に静かになった。
あまりの変貌に言葉もでないのかと、応接間からちらりと玄関を覗く。銀時と新八は棒立ちのまま、呆然と神楽を見つめていたが、やがて銀時が口を開いた。

「おい、神楽、お前……」

ようやく喋ったと思いきや、彼らは急にぎゃあぎゃあと喚きだした。

「な、な、何色気づいてんだよお前!ケバい化粧なんかしやがって!年齢誤魔化してキャバクラで働いてる高校生みてェだぞ!!」
「そうだよ神楽ちゃん!銀さんのいう通りだよ!お化粧なんて、まだ早いよ!!」

私は頭を押さえて溜め息をついた。忘れていた。奴らは、きれいだとか可愛いとか、気の利いた言葉をすんなり言える男達じゃなかった。

出迎える振りをして、銀時の腕をぐいと掴んで耳打ちする。

「ちょっと銀時。可愛いくらい言いなさいよ」
「ホラ、早く落として来いよ!化粧覚えてディスコで夜遊びする不良娘みてェだぞ!」
「ディスコっていつの時代よ。せめてクラブって言いなさいよ」
「どーでもいいんだよ、つーかお前だろ神楽に化粧したの!変なこと覚えさせんなよ。全くもう、まだガキだっつーのに!!」
「……ハイハイ。私が悪うございました」

銀時があまりに憤慨して言うので、私は仕方なく神楽の腕を掴んで洗面所へと連れて行こうとした。するとそれまで黙っていた神楽が、額に青筋を浮かべて悪態をついた。

「オイイイイ!褒め言葉のひとつくらいあってもいいだろーがァァこのチン○ス共!!!!!」

ふたりで気合を入れたというのに、お化粧ごっこはもう終わりだ。
神楽がクレンジングの仕方がわからないというので、私はコットンにオイルを含ませて化粧を落としてやった。その間、神楽はずっとぶつぶつを文句を言い続けた。

「何アルかアイツら。せっかくきれいにしてもらったのに。可愛いの一言も言わないネ」

神楽は不満そうに頬を膨らませてから、ダンダンと悔しそうに地団駄を踏んだ。
けれど、きれいになった神楽を目の前にして、銀時や新八が戸惑う理由も分からなくはない。正直に可愛いと言えない男心は、何となく推察できた。

「あの二人は、多分心配になっちゃたのよ。あんたが大きくなって、化粧を覚える頃には、こんなに美人になっちゃうんだなって」
「マジでか」
「大人っぽくて、本当にきれいよ。何年かしたらこうなるんだなって思ったら、私だってちょっと淋しくなっちゃった。成長することは、喜ばしいことなんだけどね」

私は神楽の橙色の髪を眺めて言った。今は可愛らしいこの髪も、いつかお団子をやめて、長く伸ばしたりするのだろう。

「あんたじゃなくて、よく知らない他の女の子だったら、きれいも可愛いも簡単に言えたかもしれない。でも、銀時も新八も、あんただからうまく言えないの。男って素直じゃないのよ。不器用なの。分かってやってね」
「ふうん……」

最後にばしゃばしゃと顔を洗って、タオルで拭と、鏡にはいつも通りの神楽の顔があった。
私は何だか安心して、彼女の肩をポンと叩いて言った。

「化粧なんかしなくても、神楽はそのままが一番可愛いわよ」
「へへっ」

照れくさそうな笑顔は、十四歳の女の子に戻っていた。
雨の日や曇りの日、インディペンデンスデイが何日続いても、この子の笑顔があれば、万事屋はいつも晴れだ。



(おわり)


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