SHORT STORY

□ふたりが色褪せる前に
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機械(からくり)機動兵器紅桜による武装テロが失敗に終わり、鬼兵隊は形勢の立て直しを余儀なくされていた。紅桜と一体化した岡田似蔵の暴走で、武市とまた子が負傷、その他多数の隊士たちが重軽傷を負った。さらに船は大きな損壊を被り、隊士たちは小型艇に分散して再起を図っていた。

晋助と共に船に退避していた薫も、負傷者の看護に奔走していたが、ある日、廃棄を待つだけの塵箱に分厚い書状が捨てられてあるのを見つけた。
それは紅桜を生み出した刀工、村田鉄矢肉筆の設計図だった。



***



立て直しに奔走する鬼兵隊の船は、物資運搬のために一時江戸近郊の船着き場へと停泊した。その僅かな時間、薫は船を降りて江戸の街へと足を運んだ。

かぶき町の一角、刀鍛冶の看板が掲げられた屋敷を訪ねると、カン!カン!と、鋼をうつ重厚な音が外まで響いていた。中では、鉢巻きをした女性が、汗をかきながら鍛錬の作業の真っ最中だった。

「お仕事中、失礼します」

薫は控えめに声をかけた。村田鉄矢の妹、鉄子とは一度だけ会ったことがある。
鉄子は突然の来客に、表情に驚きを滲ませながら、手の甲で額の汗を拭った。

「……何か、用でも」
「これをお届けに来ました。私たちの船にあったものですが、あなたのお兄様が精魂込めて書かれたものです。あなたにお渡しするべきだと思って……」

手渡された書状を見るなり、すぐに紅桜の設計図だと分かったのだろう、鉄子は複雑な表情を浮かべて、書状と薫を交互に見た。
そして踵を返すと、ぼそぼそと小さな声で言った。

「あがっていって」
「……でも」

薫は戸惑った。兄鉄矢は、紅桜に憑依され暴走した似蔵の一撃を浴びて死んだ。そして、鉄矢と結託して紅桜の計画を進めてきた鬼兵隊は、鉄子にとっては憎き仇も同然だろう。その仲間である薫を、快く迎え入れる訳がないのだ。

彼女が躊躇っていると、鉄子は手招きして微かに笑った。

「せっかく届けに来てくれたんだ。寄っていってよ」


作業場を抜けたところに居間があり、足を踏み入れた途端、線香の匂いが鼻孔をかすめた。簡素な仏壇には、位牌と香炉、そして花立に白い菊の花が一輪生けてあった。

鉄子が茶を淹れに外した間、薫は線香を手向けて手を合わせた。ふたつある位牌は、亡き父と兄のものだろう。ぐるりと居間を見まわすと、壁に掛けられた男物の作業着や、ふたり分の湯飲みが戸棚にしまってあるのが目についた。兄と妹の、慎ましい暮らしぶりが窺えた。

死というものは、なんて残酷だろう。日常のそこかしこに、まだ存在しているように錯覚してしまうけれど、二度と還らない所へ旅立ってしまう。独り残された鉄子が暮らすこの家は、白い菊の薄い花弁のような、孤独と寂寥に包まれている。


「なんだか、みっともない恰好で申し訳ないね」

薫の前に茶を出しながら、鉄子はすまなそうに言った。みっともない、それは己の汚れた作業着と、薫の清楚な着物を比べているのだと気付いて、薫は首を横に振った。

「そんなことないわ。家業のために鎚を握るなんて、とても立派なことだわ」

位牌に目を向け、彼女は静かに瞳を伏せた。

「お父様の鍛冶屋を、お兄様も、あなたと一緒に護りたかったでしょうね」
「鍛冶屋の仕事があって、助かったよ。色々なことがあり過ぎて気持ちの整理がつかなくても、仕事があれば刀に向かわざるを得なくなる。鋼をうつたびに、鉄鎚を握るたびに、兄者のことを想い出してしまうけれど……」

鉄子は小さな音をたてて洟を啜ってから、薫が持ってきた紅桜の図面を、仏壇の前に置いて手を合わせた。

「兄者は剣の為に生きて、剣の為に死んでしまった。父を越える刀匠になるために、生き急いでしまったような気がするよ」

その言葉からは、兄の死を受け止めきれない、それでも何とか受け入れようとする葛藤が感じられた。
鉄子は薫の方を振り向いて、気丈に笑ってみせた。

「あなたが届けてくれた設計書は、私はもう見たくはないけれど、兄者が人生を懸けて作り上げた、この世にたったひとつのものだ。大事に、しまっておくよ」

兄は、妹に看取られて逝った。けれど妹は、兄の気配が色濃く残るこの鍛冶屋で、気の遠くなるような孤独と闘うのだ。そう想うと、薫は鉄子が痛ましくてならなかった。
それでも、鉄子が鎚を握っていられるのは、父と、兄と同じ、刀鍛冶の魂があるからだ。孤独にも、悲しみにも負けないほどの、鋼のような魂が。

「いい鍛冶屋になれと、兄者はそう言って死んだ。だから、私は鍛冶屋を続けるよ。私は、私が目指すような刀工にならなくちゃ」
「きっとなれるわ。あなたなら……」

鉄子のように、人は果たして強く生きられるものだろうか。
大切な人に先立たれてしまったら、その人がどんな意味のある言葉を遺して逝ったとしても、すぐに色褪せてしまう。死を想像しただけでも、この世の終わりのような、底知れぬ絶望に襲われる。

胸が捻じられるような感情から解放されたくて、薫は今すぐにでも、晋助の顔を見たくて堪らなくなった。



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