SHORT STORY

□酔ひ醒めの花、零るる零るる
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「それじゃあ、姐さんの二十……ン〜〜歳の誕生日を祝って……」

また子の音頭に、隊士たちは手にした盃を高々と頭上へ掲げた。

「乾杯!」
「おめでとうございます!薫さん!!」

隊士たちの野太い声が四方から飛ぶ。その中心では、薫が恥ずかしそうに微笑んでいた。

その日は彼女の誕生日で、鬼兵隊の船では有志が集って誕生祝いの宴が開かれていた。また子が幹事となって声をかけたところ、細かな用事を進んで引き受け何かと皆を気遣う薫を慕い、大勢が集まった。

隊士に混じって、晋助の姿もある。彼は薫とは離れた場所で隊士らと話しており、目が合うと、少しだけ口角をあげ、彼女にだけ分かるような微笑みを寄越してきた。
その笑みには理由がある。渡したいものがある、と晋助から告げられたのは前日のこと。宴がお開きになったら二人だけで過ごそうと、約束をしていたのだ。

仲間たちに囲まれた時間は、勿論賑やかで楽しい。それに輪をかけて、このあとに待っている時間を思うと、薫は気持ちの高揚を抑えられなかった。時折、晋助がこちらへ視線を投げかけてくるのを、周囲に気付かれないように受け取りながら、ほんの一瞬彼の目を見る。言葉はなくても、それだけで気持ちのやりとりになる。それは秘密の合図のようで、彼女の胸はますます高鳴った。


隊士たちは各々持ち寄った酒を飲み、酒を飲まない薫は、談笑しながら茶を飲んでいた。すると、

「薫さん、薫さん」

と武市が隣へやって来た。手には、きれいな深緑色の瓶を持っている。

「ささやかですが、お祝いのしるしに、これを」
「まあ、ありがとうございます。これは……お酒ですか?」
「女性にも飲みやすい、シャンパンのような日本酒です。まず一杯、いかがですか」

薫は滅多に酒を飲まないが、武市に勧められるまま、切子のグラスに酒が注がれる。薄桜色の上品な色合いに、細かく繊細な泡が立ち上っている。口許へ運ぶと、プチプチと微かな音をたてながら泡が弾けて、仄かに優しい米の香りがした。いつも晋助が飲んでいるような、辛くて強い酒とは違うようである。

おずおずと一口を含んでみると、口のなかには柔らかな甘酸っぱさが広がった。薫の顔がパッと輝いた。

「おいしいわ。本当にお酒ですか?」
「そうでしょう。東北の酒蔵で造っているものなんですよ」
「もう一杯いただこうかしら」
「お気に召していただけたようで良かったです。これ、一応お酒ですからね、飲み過ぎないように……」
「これくらいなら大丈夫、酔ったりしませんよ」
「そうおっしゃるなら……あ、そんなに一気に飲まない方が」

愉しさと高揚感と相まって、飲み干してはもう一杯と、どんどんと酒が進む。

「おいしい。もう一杯いただけますか」
「…………」



***



ふわふわと、羽布団に包まれているような心地よさ。頭は覚めている、けれどもまだ起きたがりたくはない。そんな微睡みの中、薫はうっすらと重い瞼を開けた。
いつもの寝室で目覚めたのだが、初めは自分が一体何処にいるのかがわからなかった。

「あら……晋助様?」

のろのろとした動作で起き上がると、晋助が長着に着替えているところだった。

「お着替えなんてなさって、どうしたのですか。それに私、どうしてお部屋に……。宴の最中だった筈では……?」
「宴会ならとっくに終わったぞ。もう朝だ」
「えっ」

驚いて懐中時計を見ると、確かに皆が起きて活動を始める時間だった。時計と睨みあいながら記憶を遡るものの、乾杯をしてから以降の出来事をはっきり思い出せない。

「……確か、武市様が持ってきたお酒を飲んで……それから……」
「そうだ。加減も知らねェくせして、あおるように飲んで酔っ払ったのさ。また子に絡むわ武市に説教を始めるわで、何をしでかすか分からねェってんで、抱えて部屋に連れ帰ったんだぞ」
「うそ……」
「まだ飲ませろと散々駄々をこねていやがったが、そのうち勝手に寝ちまったんだ。本当に、覚えてねェのか」
「……覚えていません……」
「呆れたもんだな」

ハッ、と晋助は鼻で笑った。言葉の端々に鋭利な棘がある。機嫌が悪い理由はただひとつ、酔っ払って寝てしまった薫に腹をたてているのだ。
彼は長羽織に袖を通しながら、冷たい眼で彼女に一瞥をくれた。

「これから佐々木と一橋邸に行く用がある。数日留守にするぞ」
「まっ、待ってください、晋……」

喉がからからに干上がって、うまく声が続かなかった。引き止める声に気付かない振りをして、彼は大股で寝室を去って行く。バタン、と強い音がして閉まった扉を、薫は茫然と見つめた。

船の通路からは、船員たちの行き交う足音や話し声が聴こえる。まるで、長い長い夢を見ていたような気分だった。のろのろと起き上がり、鏡を見ると、髪は乱れて化粧が崩れた、見るに耐えない女の顔が映っていた。

(なんて、酷い顔なの……)

鏡台に肘をついて、薫は両手で顔を覆った。目を瞑れば、一度も目を合わそうともしなかった晋助の、強張った横顔が蘇ってくる。

宴の最中、何度も何度も目が合った。それは、これから待っている甘い時間を暗示する、二人だけの合図だった。それなのに、ついその場の空気に負けて過ちを冒してしまった。
彼女自身、土の中に埋まりたいほどに落ち込んでいたが、晋助にはこれに加えて怒りの感情がある。そう思うと、自分自身が情けなくて、彼に対して申し訳なくて、大声をあげて泣き出したい気持ちだった。


どのくらい鏡台の前で項垂れていたのか、暫くして、コトン、と澄んだ音が響いた。
驚いて顔をあげると、目の前に並々と水が注がれたグラスが置かれていた。そして鏡越しに、

「声が枯れてる。……水を」

決まり悪そうに立つ、晋助の姿があった。



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