SHORT STORY

□酔ひ醒めの花、零るる零るる
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「ごめんなさい……ごめんなさい、晋助様」

薫は背伸びをするように、晋助の首に腕を回して抱きつくと、ふるふると頭を振った。彼は、怒りに任せて出て行ったのではなかった。酔ってそのまま寝てしまった薫の為に、水を汲んできてくれたのだ。嬉しさと申し訳無さが一緒くたに混ざり合って、涙が零れる。

「私……約束を破ってしまいました。皆さんとの時間が終わったらと、楽しみに待っていたのに、先に眠ってしまってごめんなさい」
「いいさ。俺も大人げなかったな」

薫の謝り方が可笑しかったのか、彼の言葉には先ほどまでの刺々しさが消えていた。心を込めた彼女の言葉に、二人の間のわだかまりが和らいでゆく。
彼女の涙を拭き、落ち着くのを待ってから、晋助は絡まる腕を解いた。そして懐に手を差し入れると、

「出発の前に、お前に渡しておきてェモンがある。本当は、昨日渡すつもりだったが……」

と、黒い小箱を取り出した。誕生祝いの贈り物であることは、言われなくとも分かった。
宴が終わった後二人で過ごそうと彼が言ったのは、これを渡そうとしていたからだ。

「開けてもいいですか」
「あァ」

そっと蓋を開けると、植物の蔓を形作る繊細な金細工がきらりと光るのが見えた。全容を見て、さらに息を呑む。それは春に咲き誇る蔓薔薇をモチーフにした、金のブローチだった。えも言われぬ趣と時代の流れを感じる、骨董の宝飾品だ。

「きれい……」

ところどころに、透明で青みを帯びた石が埋め込まれている。光の加減で白にも青にも見え、神秘的な輝きを放っていた。

「これは、水晶ですか」
「月長石(げっちょうせき)だ」

聞いた途端、薫はパッと顔をあげて晋助を見た。
月長石は、別名恋人の石。中世の異国では、恋人への最高の贈り物とされており、絆を深め愛情を約束すると言われている。

「青白い光は、月の光そのものだ。西欧では、旅人の石、未来を予知する石とも言われるそうだ。お前がこの先も……暗い道を照らす、光のような存在であり続けるように」
「―――晋助様」

いつも、何かの折に色々なものを贈られる。そして贈り物そのものよりも、彼がどんな意味を込めてくれたのかを知ったことで、胸に喜びがひしめき合う。

「嬉しい。晋助様、ありがとうございます」

またもや涙ぐんだ薫に、晋助は可笑しそうに言った。

「昨晩は散々な絡み上戸だったが、今朝は泣き上戸だな。まだ酔っ払ってるのか?」
「酔っていません。―――ただ、嬉しいの」

まなじりに零れた涙を拭いながら、薫は微笑んだ。正確には、少し酔いが残っているような気もした。感情の揺れ幅が大きくて、先ほどまでは泥沼に沈むように落ち込んでいたのが、今は喜びが胸に沸いて、尽きない泉のように止まらない。

薫は喉のあたりに手をやって、ふふ、と小さく笑って言った。

「嬉しくて、胸が痛いくらい。ますます喉が渇いてしまいました」
「なら、飲ませてやろうか」

晋助が水の入ったグラスを手に取った。薫が受け取ろうと手を伸ばすと、彼は自分で口をつけ、ぐいと一口飲んでしまった。
次の瞬間、彼の手がひょいと伸びて、薫の首の後ろをぐんと引き寄せた。驚いて目を見開き、唇を開けたその拍子に、彼の唇が口を塞いだ。

「んうっ、ん……」

舌先で抉じ開けられるのと同時に、口腔に水が流れ込んでくる。口に含んだものを移されているのだと気付き、彼女は目を閉じて、されるがままになった。
隙間ができないほどに唇をぴったり合わせて、水は互いの舌の上を通って、喉を潤していく。コク、コク、と喉の奥を小さく鳴らしながら、彼女は少しずつ飲み込んだ。

口移しで水を飲むというのは、まるで唇から支配されているような気分になる。有無を言わせぬ力で抑え込まれ、彼のなすがままに従っていると、潤っていくのは喉だけではない。
飲みきれないで零れた水が、顎を伝い首筋まで流れてゆく。晋助はそれを親指で拭ってから、薫を解放した。

彼の薄い唇は、水に濡れて艶かしく、まっすぐに見ることができないほどだ。彼が出かける用事がある、と言っていたことを思い出す。寝てしまった自分が、本当に恨めしい。

「晋助様、いつお戻りになるのですか」
「さァな」
「行かないで、なんて、そんな勝手なことを言えないけれど」

彼の着流しをぎゅうっと掴み、薫は陶酔した表情で言った。

「晋助様がいなくなったら、すぐに渇いてしまうわ」

誘うように開いた唇が赤い花に見える。それが彼女なりの誘い文句だと受け取り、晋助はもう一度水を口に含み、深々と口づけた。



(Aに続く)
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