SHORT STORY

□髪結いて、心結んで
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水色に澄んだ秋空に、薄い雲が穏やかに流れてゆく。赤鬼寺の周囲の森は鮮やかに色づき、晩夏の景色とは違った彩りを見せていた。
紅葉の森を望む赤鬼寺の濡れ縁で、晋助と薫が肩を並べて座っていた。柔らかな白い陽射しが、ふたりの肩の辺りでちらちらと揺れている。彼らが目を合わせながら微笑み合い、言葉を交わす様子は、お互いの意思が通いあっているような、固く結ばれた絆が目に見えるような光景だった。

そんなふたりを遠巻きに見つめるのは、来島また子だった。蜊御門の変の一件で仲間を失い、晋助に救われた彼女は、晋助らの住処である赤鬼寺に出入りするようになっていた。
しかし、晋助の側に寄り添う薫を見ていると、胸が締め付けられるような、何ともしがたい衝動にかられた。また子が眉を寄せ、口を一の字に結んでいるところに、ちょうど河上万斉が通りがかった。

「何を見ているのでござるか」
「万斉先輩」

また子は、晋助と薫のいる方を指差して言った。

「あの二人って、いつから恋仲になったんッスか」
「さてな。拙者が晋助と知り合った時には、既に薫は奴の傍らに居たでござる」
「ふうん……。何だか、二人の間に誰も入っていけないって言うか、恋仲って呼ぶのが軽いくらいの雰囲気があるッスね」
「お主の言いたいことは分からなくもないでござる。あの二人は……」

と、万斉は濡れ縁で語らうふたりに目を向けた。

「もし仮に、どちらかが先に死ぬことがあれば、片方は迷わずに命を投げ出して後を追う……そんなふうに生も死も関わりなく、同じ道を歩むという決意のようなものを感じる。それはひとつの愛の形かもしれぬが、拙者にはひどく危うく見えるでござる」
「愛の形……ッスか」
「お前も晋助を好いているなら、薫が側にいるのは気が気ではないのでござろう」
「そうッスよ。私だって、晋助様に救われた命を、いつでもあの御方の為に捨て……」
「また子よ。命を捨てるなんぞ、軽々しく言うものでないでござる」

万斉はまた子が言うのを遮り、彼女の腰に装着された二挺の回転式の拳銃を指差した。

「お前の二挺銃は、一体何の為にある?」
「えっ?」
「晋助が死んだ時、後を追うためのものか」
「…………」
「そうではない筈だ。晋助に死が近づいた時、危機が迫った時、それを弾き返すのがその銃の使い途ではないのか。あやつの為に命を捨てるなど、たとえ思うていても、口には出さぬことだ。晋助が何の為にお前を救ったのか、よくよく考えるがよい」

万斉の眼は厳しかった。また子は、己の命を救ったのは晋助と万斉だと言うことをもう一度胸に刻み、小さく、はい、と言った。



***



秋の夕陽は、幕が降りるように夜の闇を連れてくる。薄暗くなった赤鬼寺には、あちらこちらに行灯の明かりが灯された。薄暗い僧坊の隅で、また子は何をするでもなく、ごろりと横に寝そべって高い天井を見上げていた。

太い木造の梁を、幾つもの支柱が力強く支えている。あんな風に真っ直ぐと、あの人の側に立ち、あの人と共に生きていけるだろうか。

(晋助様を、護るために……)

万斉に諭された意味は、また子自身も承知していた。ただ、晋助と共にいる万斉や薫と比べたら、若い自分はまだまだ力不足だと感じていた。

夕刻の寺の食堂では、薫が夕餉の支度を始めたようだ。竈に火を起こしたり、トントンと包丁を落としたりする音が聞こえてくる。ただ聴いているだけで安心する物音に耳を傾けながら、また子は目を閉じた。例えば薫のように、穏やかで優しい女性になれたら、晋助の側にいる意味を考えなくてもいいのだろうか。


そんなことに思いを巡らせているうちに、彼女はいつの間にか眠ってしまっていた。ふと気配を感じて目を開けると、薫が自分の羽織を脱いで、布団代わりに掛けようとしているところだった。

「あら。ごめんなさい、起こしてしまいましたね」
「やだ、私……寝ちゃってたッスか……」
「でも、ちょうど良かった。お夕飯の支度ができましたから、呼びに来たんですよ」

当たり前のように自分の分まで準備をしてくれたことに、じんわりと胸が暖かくなる。また子はぐんと背伸びをして、大きな欠伸をついた。

「ああ、よく寝たッス。屋根のしたに誰かがいると思うと、なんか安心しちゃって」

起き上がったまた子を見て、薫がクスクスと笑った。彼女が髪を指差すので頭に手をやってみると、寝癖がついて髪の毛が見事に逆立っていた。

「髪が乱れてます。そのままでは、晋助様の前には出れないでしょう。結いなおしましょうか?」
「ええっ?!いいッスよ、自分でするから……!」
「ふふ。いいじゃありませんか」

薫は手鏡と櫛を持ってくると、また子を座らせて、その背後に膝立ちになって髪をとかし始めた。

(何だろう……。変な感じ)

しなやかな指が髪に触れてゆくのを感じてながら、また子はムズムズと奇妙な照れ臭さを覚えた。誰かに髪を結ってもらうというのは、何とも親密で優しい気持ちになるものだ。母親と呼ぶには、薫は若すぎるけれど、喩えるなら姉が妹の髪を結っているようだ。

きっとこの先の未来、晋助に危険が迫った時、晋助を護りたいと思うのと同時に、彼の側にいる薫のことも、護りたいと思うのだろう。薫の控えめで自然な優しさに、一瞬でも長く、触れていたいと思うのだろう。

薫はまた子の明るい髪の毛をとかしたあと、髪の束を幾つか指で拾い上げながら、細やかに指を動かして編み始めた。一体どんな髪型にされるのかと思っていると、彼女は聞き取れないくらいの声で、そっと囁いた。

「あなたさえ良ければ……ずっと、ここにいたっていいんですよ」
「……えっ?」
「はい、できあがりです」

と、薫はまた子の目の前に手鏡を差し出した。そこに映った自分の姿に、また子は驚いた。いつもは左右に跳ねている髪が、繊細な編み込みできっちりと纏まっていた。髪飾りをつけたなら、いいご身分の令嬢に見えるような髪型だった。

また子の表情を覗き込んで、薫は満足そうに微笑んだ。

「普段の髪型も、快活で元気なあなたらしいけれど、たまにはこういうのもいいでしょう」
「……こんなの、今までしたことないッス……」
「いつでも、結ってあげますよ」

髪を結ってなど、自分から言い出すのは恥ずかしいけれど、いつでもと言うのを信じていいのなら。
薫の側で、こんなに穏やかな気持ちになれるのなら。

「ありがとう、薫姐さん」
「はい」

そう返事をした薫の眦は、彼女の暖かい人柄が滲み出ているようで、また子はとびっきりの笑顔を返した。



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