SHORT STORY

□華火と君の聲
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暮れに近い太陽の光を映して、海は橙色の光を反射しながら揺れていた。真夏の海面はとろりと光を流すような穏やかさで、普段の季節より遅い、夜の訪れを待っている。

江戸に程近い港に、鬼兵隊の船は停泊していた。西日が注ぐ甲板では、若い隊士達が中心となって積み荷の運び込みに勤しんでいた。宇宙(そら)への長旅に備えて、食糧や備品など蓄えるものは数多にのぼる。隊士達は足跡に汗の溜りが残るほど、大粒の汗をかきながら、肩に積み荷を担いで陸と船とを往復していた。

陣頭指揮をとるのは、参謀武市である。日陰で運搬の指示を下す彼の元へと、薫がやって来た。汗水垂らして隊士達のためにと、水を汲んできたのだ。
日陰にいても、じっとりと汗ばんでくる蒸し暑さだ。喉の乾上がった隊士達に次々に冷たい水の入った椀を配りながら、薫は武市に言った。

「便利な世の中になっても、こういう作業は人の手でやるものなんですね。宇宙(そら)へ発つ前は毎度のことですが、皆さんには頭が下がります」
「これも鍛練のうちです」
「あら、では武市様もなさったらいかがです」
「いやいや、私のような中年はすぐに熱中症で倒れてしまいますよ」

陽が沈みかける頃、やっとのことで最後の積み荷の運び込みが終わった。隊士達は頭から水を被ったり、浴びるように水を飲んだりしながら、火照った身体を休めた。甲板に、幾つもの灰色の影が長く伸びてゆく。

「皆さんご苦労様でした。積み荷は以上です。各自水分補給をして、明朝の出立に備えて早めに休んでください。半時前には持ち場につくように、お願いしますよ」

武市が労いの言葉をかけその場が解散となると、薫は倉庫に行き、運び込まれたものに不足がないか積み荷の確認をした。暫くして倉庫わきの通路に、ついさっきまで甲板にいた隊士が、人目を気にするような足取りでこっそりと現れた。短時間で水浴びでもしてきたのか、彼は随分とさっぱりとして整髪料までつけ、よそ行きの着流しを着ていた。

「先程は大変でしたね」

薫は微笑んで声をかけた。

「これからお出かけですか?」
「ええ、ちょっと……」

誰かに会いに町へ行くのだと勘づいた薫は、機転を利かせて小声で言った。

「甲板にはまだ、武市様がいます。出かけるところを見つかったら、きっと小言を言われてしまいますよ。操舵室の裏手を回って、外へお行きなさい」
「はっ、はい!」

隊士はぺこぺこと頭を下げながら、照れ臭そうに頭を掻いた。

「実は、今晩江戸で花火大会があって……。一緒に行こうと約束しい人がいるんです。薫さんのお陰で、約束が守れそうだ」

彼は行ってきます、と薫にもう一度頭を下げてから、軽やかな足取りで通路を駆けていった。
その後ろ姿を見送りながら、誰の元へ行くのか、恋仲なのかそれに至る手前なのか、いずれにせよ好きな異性に会いに行くのだろうと思うと、薫は甘酸っぱさに頬が緩んだ。今頃、逸る気持ちを抑えられずに、駆け出しているに違いない。
花火は夏の恋愛を彩り、恋人達の距離を狭めるものだ。そう思うと、花火に集う若者達が羨ましくもあるのだった。



***



薫は若い隊士に、武市の目を盗んで出かけるよう助言をしたが、船を抜け出たのは彼だけではなかった。武市は既に何人か、こっそりと船を降りる隊士の姿を目撃していた。

陽が沈み、空が薄い藍色になる頃、翌朝の出発に備えて幹部達が操舵室に集まっていた。武市は口を開くなり、早速小言を言った。

「全く、早く休みなさいと言ったのに、喧しい音をたてて火薬なんぞを爆発させて、一体何が面白いのやら」

彼の文句を聞き付けて、万斉が言葉を返した。

「江戸の花火大会は見事と聞く。参謀殿ともなれば、夏の風流は解せぬものでござるか」
「私が興味があるのは花火大会よりむしろ夏休みの市民プールです。生のJSやJCの水着姿を、合法的に様々な角度からじっくり観賞できるのですから。積み荷なんてどうでもいいから、双眼鏡とカメラを持ってプールに行きたかったですマジで悔しい怨めしい」
「JS?さてはて、何のことやら」

万斉は小馬鹿にしたように鼻で笑いながら、隊士達の味方についた。

「御主が仕事を放棄して市民プールとやらに行くのは切腹に値するが、若い衆は己の務めを終えた後に余暇を楽しんでいるのでござる。咎める理由はどこにもなかろう。出立まで戻るならば、何の支障もあるまいて」
「では、彼らがピチピチの娘達と別の花火を打ち上げたとして、出発に遅刻したらどうするのです万斉殿」
「そう言われると気に食わぬな。では、万が一遅れた者がいたら、その時は拙者が斬ろう」
「おお、恐ろしい」

武市と万斉のそんなやり取りを聞きながら、書状に目を通していた晋助は小さく笑いを漏らした。
花火を見るために、もしくは町に残した女に逢うために、船を抜け出すなどなんとも微笑ましい。文句を並べたり、斬るなどと物騒なことを言ってみたりするのは、自分達にはない若さや青くささが単純に照れ臭いだけなのだ。実際に遅れた者がいたとしても、見て見ぬ振りをするくらいの寛大さを、彼らは持ち合わせている。


出立の準備があらかた整い、晋助が自室へ戻ろうとすると、備品庫ではまだ薫が積み荷の確認をしていた。
今宵の花火大会の件を、彼女が知ったらどんな顔をするだろうか。そう思いながら彼女の横顔を見つめていると、

「……晋助様」

彼の存在に気づいて、薫はぴたりと作業の手を止めた。言いたいことがあっても言えずにいる時、彼女はじっと訴えかけるような、強い視線を送ってくることがある。試しに、彼はそれとなく話題を振ってみた。

「今晩、江戸で花火が上がるそうだが」

言った途端、彼女の眸にパッと目映い輝きが宿り、頬に火照ったような赤みが差した。
あまりの解りやすさに、晋助は可笑しくて可笑しくて堪らなかった。そのまま知らん振りをすることも出来たのだが、彼女の反応が可愛らしくて、彼の方から誘いをもちかけた。

「近くまで見に行くか」
「……いいのですか?」
「あァ。明日からは宇宙の長旅になる。最後の日くらい、夏を愉しんだってバチは当たらねェさ」
「はい!!」

溢れる喜びを押し隠すこともせず、薫は満面の笑みを浮かべ、早速支度に走っていった。
総督である晋助自身が出かけるというのも、下の連中に示しがつない気もするが、薫の反応に機嫌が良くなる自分がいた。可笑しさを感じながら、彼は随分昔にしまったきりの着物があるのを思い出し、衣装箱から引っ張り出してきた。濃紺地に竹の模様が浮かび上がった、粋な柄の浴衣である。
緩く浴衣を纏い角帯を巻いてから、彼は目元の包帯を外して巻き取った。前髪を流して瞼の傷を隠せば、町のどこにでもいる若い男衆に見える。

一方薫は白地に小菊の描かれた浴衣に、明るい梔子色の兵児帯を締めてきた。髪は緩くまとめあげ、同じ黄色のトンボ玉の簪を挿してきた。てっきり、晋助は普段の着流しで行くものと思っていたので、彼女は彼の浴衣の装いに驚いた。

「まあ素敵!よく似合っていますよ、晋助様」
「こうすりゃあ、人並みに紛れて攘夷浪士が花火見物してるなんざァ、誰も気付きやしねェだろう」

晋助と薫は連れだって、静かな甲板を通り抜け、船を降りて桟橋を渡った。花火とあわせてどこかで夏祭りでもしているのか、風にのって、微かにお囃子の音が聴こえてきた。

港から街へと続く道、どちらからともなく手を繋いだ。隣を歩む晋助は、野望や復讐など最初から無かったのかと思うほど穏やかで、普段と違う横顔を見せている。ふとした瞬間に視線が合うと、彼は僅かに口角を上げて微笑みを返してくれ、そんな無言のやり取りだけで薫の胸は高鳴った。
蝶のように舞い上がって、今、こんなに幸せな気持ちでいるのだと、世界中の人に触れ回りたいくらいに嬉しかった。




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