SHORT STORY

□華火と君の聲
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どこで花火があるかは知らない。いつから打ち上げが始まるのかも分からない。それでも街の中心へと歩いて行けば、人々の流や熱気は、一定の方向へ集まろうとしていた。
晋助と薫は手を握りあって、自然と逸る足取りに任せて人の流れに紛れ込んだ。やがて川原を臨む開けた場所に到着すると、そこは江戸中の住人が集まったかと思うほどの、大勢の人でひしめき合っていた。

「そろそろでしょうか」

薫がそう言って、晋助を見上げた時だった。ヒュルルッ、と口笛に似た高音が空に響き渡った。がやがやとしたざわめきが嘘のようにピタリと止み、人々の視線という視線が真上の空に集中した。
次の瞬間、耳をつんざくような炸裂の音とともに、夜空に黄金色の大輪の花が開き、忽ち消えていった。手を伸ばせば届きそうな近さで、顔に火の粉が降ってくるかと思うほどの迫力だった。
周囲から大きな歓声とどよめきがあがり、今度は赤や青、緑といった色とりどりの花火が何発も続いて打ち上げられ、夜空に無数の光が煌めいた。目映いくらいの明るさだった。


周囲の歓声は、最初の打ち上げが一段落つくまで止まなかった。興奮に包まれた喧騒の中、晋助は薫に耳打ちした。

「火薬は異国からもたらされたものだが、江戸の花火は他の星に類いを見ないほどの美しさだそうだ」
「こんな光景を見ることができるのは、地球だけということなんですね」

すぐに次の打ち上げが始まった。隣に立つ晋助の横顔は、花火の様々な色彩をそのまま映して眩しく輝いていた。
瞳の中に、花火と同じ色をした光が繰り返し、弾けては消える。彼は瞬きを忘れたように、目を見開いたまま呟いた。

「本当に人の手で作ったものか疑わしいほど、壮大な眺めだな。……まるで、幻のようだ」

薫は頷いて、彼と同じように空に目を向けた。
本当に、なんて美しくて儚いんだろう。空を埋め尽くすほどの大きさで、優雅に雄々しく華開くのに、跡形もなく消えてしまう。あまりに儚いから美しいのか、美しいから儚いのか、もしもこの世に永遠というものがあるとしたら、それは花火と対極のところにあるのだ。隣に立つこの人と、ずっと一緒にいたいと願いながら必死に生きていても、花火のように、時が来れば何も残らずに消えてしまうのだろう。

そう思うと、叶うはずもないのに、花火の輝きが一瞬でも永らえるようにと祈ってしまう。子どもの頃見た花火は、ただ大きくてきれいなものだった筈なのに、大人になると、哀愁を感じずにいられないのが不思議だった。

薫は晋助の隣にぴたりと寄り添い、彼の腕にそっと手を絡ませた。

「晋助様」

花火が破裂する音と重ねて、彼の名を呟く。地の底まで響くような轟音と、周りのざわめきに紛れて、彼女の聲は音になることもなく消えて行く。空には赤紫の花火が立て続けに打ち上がって、牡丹が咲き乱れたような華やかさをもって、夜闇を飾っているところだった。

「晋助様……」

再び名を呼び、甘えるように肩を凭れた時だった。晋助はくるりと彼女の方へ顔を向け、耳許で問うた。

「こんなに近くで名を呼んで、どういうつもりだ」
「…………聴こえていましたか?」
「当たり前だ」

彼は微笑んで、彼女の肩を掴んでぐっと側に寄せながら、声を吹き込むようにして言った。

「花火の音がいくらでかかろうが、周りがいくら五月蠅かろうが、お前の声は届くよ。声が振動になって、……こうして、触れ合った場所を通じて聴こえるからだ」

肩を抱いても、肌を寄せあっても、周囲の誰にも気づかれやしない。人々の目線はすべからく、頭上の空にそそがれている。
お互いの身体に腕を回し、抱き合うようにしながら瞳を閉じた。花火の音や人々の話し声が遠ざかり、晋助の聲だけが、明瞭な響きをもって薫の耳へ届いた。

「俺も、きっと、お前と同じ事を思っていたよ」

と、彼は言った。

「叶うならば、死ぬまでお前とこうしていたいと、花火のように呆気なく終わる人生でも、最後の光が消えるその瞬間まで、お前と共にいたいと……そう、考えていたよ」

その時、ワアアッと一際大きな歓声が沸いた。ふたり同時に夜空を見上げると、色という色全てを織り混ぜたような、極彩色の大輪の花火が、空いっぱいに広がっていた。
薫の目に映る光は、じわじわと水に滲んだようにぼやけてゆく。共にいたいという彼の言葉は、ふたりの願いは、果たして永遠のものになるのだろうか。そう思うと瞼が焼けるように熱くなり、瞬きをひとつしたの薫の頬を、大粒の涙が溢れ落ちた。




(Aに続く)
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