SHORT STORY

□華火と君の聲A
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最後の花火は、夜空一面に巨大な傘が弾けた直後、柳の葉が垂れるように無数の火花が地へ向かって落ちていった。光の雨が降り注ぐような光景は何度も何度も繰り返され、あまりの目映さに圧倒される。人々の歓声は凄まじく、興奮に町全体が揺れているようにも思えた。
これで終わりだと、存分に目に焼き付けろと言わんばかりの最後の打ち上げに、自然と拍手が沸き起こった。薫も一生懸命に手を叩いた。最後のほうは、淋しさも涙も忘れて、芸術としての花火にただただ見入っていた。

それから周囲の人々は、暫く立ち話などしながら興奮の余韻に浸っていたが、やがて各々の方向へと、ゆったりとした足取りで進み始めた。郊外へ向かう人の列が波を作り、晋助と薫は道の端に寄って、道行く人々の横顔をぼんやりと眺めた。誰もが夢の中にいるような顔をして、名残惜しそうな、哀愁の混じる笑顔を浮かべていた。


暫くして、晋助は徐に薫の手をとり言った。

「俺達も戻るか。明日の出立に遅れでもしたら、武市に説教されちまう」
「晋助様……」

薫は彼の手を強く握り、小さく首を横に振りながら彼を踏み留ませた。

「私……まだ、船に戻りたくありません」

薫は晋助の腕にすがりついて、仔猫のように鼻先をすり寄せた。こんな風に彼女が甘えてくるのは珍しいことだった。長い髪を高い位置で簪でまとめていたので、艶っぽいうなじと柔らかい後れ毛が晋助の目の前にあらわになった。

彼は周囲の喧騒にことよせて、彼女の肩を抱き寄せて髪に口づけをした。そして唇を耳許に運ぶと、彼女にだけ聴こえるような小声で囁いた。

「じゃあ、何処かで休むか」
「!」

その意図を察して、薫の顔はみるみる朱色に染まって、耳の先までが真っ赤になった。彼女はそのままもじもじとして黙っていたが、ふと周囲の人並みを見て気付いた。大半が若い男女で、ほぼ例外なく磁石のように引っ付いて歩いている。
晋助が噴き出しそうになりながら彼女を見ると、彼女も照れ臭そうな微笑みを浮かべた。

「この様子じゃあ、宿を捜すのは至難の技だな」
「はい。……帰りましょうか。明日は早いですから」

晋助は薫の手を引いて、港の方向へ一歩を踏み出した。風が運んでくる火薬の匂いや、雲のように夜闇に漂う白っぽい煙さえも、まだ眺めていたいと思うほど恋しく、後ろ髪を引かれるような思いで町を後にした。

行きは勇み足で急いで来たというのに、帰りは途中で立ち止まって煙管をふかしてみたり、川辺で蛍を捜してみたり、あちらこちらで寄り道をしながら帰った。儚い花火の余韻を少しでも引き延ばしたくて、朝が来るまでさ迷い歩いていてもいいと思うほどだった。

そうして時間をかけて、がらんと静かな港に着き、誰もいない桟橋を渡る間、彼らは一言も口をきかなかった。そして船に近付いた時、甲板にぼんやりと明かりが灯ってるのが見えた。
誰かいるのかと思い、晋助と薫は顔を見合わせ、慎重な足取りで甲板を覗くと、

「晋助様ー!!姐さーん!!」

と、また子が元気に手を振っていた。

甲板にいるのは彼女だけではなかった。武市と万斉、数人の隊士達がおり、各々酒を飲んだり談笑したりしながら、夜風に当たって涼んでいた。
だが翌朝の出立を控え、早く休むようにとお達しを出しておきながら、参謀の武市まで外にいるのは、晋助にとっては意外だった。

「揃いも揃って夜更かしか。俺も人の事は言えねェが、一体どういう風の吹き回しだ」
「ちょうどあすこに、花火が見えたのでござる」

と、万斉が町の方角を指差しながら言った。

「ここから眺めていたが、このまま中に戻るのは、どうにも名残惜しくなってな」
「港の近くで、花火買ってきたッス!」

万斉が言う側から、また子が満面の笑みで言った。

「一緒にやりましょう、姐さん!」
「まあ、線香花火ね!」

薫は隣の晋助を見た。仲間がいる手前だからだろう、ずっと繋いでいた手はいつの間にかほどかれて、浴衣の袖の中に引っ込んでいた。

「晋助様、花火は?」
「いや。俺はいい」

苦笑して晋助が言ったので、彼女は早速また子の側に駆け寄った。そして少女のように目を輝かせて、ふたり膝を突き合わせるようにして、線香花火に火をつけた。

花火の先端が徐々に朱色の玉をつくる様子を、彼女達は息を潜めて見守った。線香花火はものの数十秒の間に、実に様々な表情をみせ、それぞれに呼び名がある。先端の丸い玉は“蕾”と呼ばれ、火花を発する頃になると“牡丹”。一番激しく火花を散らす頃を“松葉(まつば)”と言い、小さな火花を散らしながら消えそうになってくると、“散り菊”という。

「あっ、来た!」

また子が囁くように言う。また子と薫の線香花火はほぼ同時に、微かな火花を散らし始めた。やがてそれはパチパチと音を立てながら、人が描いたかと思うほど繊細な火花を描きながら、大きく弾け始めた。

「きれいね……」
「小さくても、一丁前の花火ッスね」

夜空に大きく打ち上がる花火とは、比べ物にならないほど微かな光だが、松葉の火の粉の勢いが衰え始め、枝下柳のように変わる様子など、打ち上げ花火には見られない、風流な美しさだった。

「どっちが長く続くか、競争ッスよ。姐さん」
「あら、じゃあ、負けられないわね」

また子と微笑みあい、そこで薫は気付いた。
花火は、儚いから美しいのではない。空の花火も、地に落ちる花火も、大切な人と共に見るから美しいのだ。この時間が一瞬でも長く続いてほしいと、儚く終わる花火にそんな願いを込めるから、涙が出そうなくらいに、切ない感情を抱くのだ。

揺らさないように、落とさないように、薫達は慎重に最後の火花を見守っている。晋助は熱中する彼女達を遠目に眺めつつ、甲板の縁に寄り掛かって煙管をふかした。側では胡座をかいた万斉が、戯れに三味線を奏で始める。穏やかなさざ波の音に三味線の音色が重なり、甲板に吹き抜ける風に流されてゆく。


武市も晋助と同じように、船の縁に凭れて花火の行く末を見守っていた。晋助はその様子にふっと笑みを漏らし、皮肉を込めて言った。

「火薬なんぞと馬鹿にしていたのは、どこの参謀殿だったかな」
「さてはて、誰の事でしょうね」

武市はとぼけて言ってから、また子達の方へ再び視線を向けた。そこでは、また子より先に玉を落とした薫が、子どものように悔しがっていた。

「線香花火も、空に華開く花火に劣りませんね。終わりの間際、散る瞬間まで美しいものです」

彼が美しいと言ったのは、線香花火の最後の微かな火花か、その明かりが照らすまた子や薫の横顔か。きっとその両方だろうと思いながら、晋助は静かに目を閉じた。
仲間達と過ごすこの一時が、一瞬でも永らえるように。甲板にいる誰もが、線香花火の赤い火花に願いを重ねた。



(華火と君の聲 おわり)
 

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