SHORT STORY

□面影に映ゆ御伽噺
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攘夷志士が棲み処としている廃寺に薫が来て、ひと月ほどが経った。戦の小休止、物資の調達に町へ行くもの、鍛錬に励むもの、各々思うままに過ごして夕暮れ時を迎えた。
廃寺にいた隊士達は、石段や塀に身を預けながら、山稜に沈みゆく太陽を見ていた。薄い硝子のような危うい夕陽が、隊士達の横顔に降り注いでいた。

先の戦でも幾人もの仲間が命を落とした。恐ろしい速さで仲間が死んでゆく、それが戦というものだとわかっているからこそ、己の命はあとどのくらいで尽きるのだろうという思いが脳裡を過る。夕暮れを眺める隊士達は、己の命の灯の限りを見つめるような、そんな瞳をしていた。


隊士の群れから外れたところで、薫が一人膝を抱いて座っていた。晋助は彼女を見つけると、周囲にいた隊士達を払ってその横顔を遠目に眺めた。彼女は昔から大人びた端正な顔立ちをしており、今でも幼い頃の面影が濃く残っている。
初めて彼女に会った時から、美しいとは思っていた。そして夕日に包まれた彼女の姿は、まるで御伽草子に描かれた天女のように神秘的で、近寄りがたささえ抱いた。いつだったか昔、そんな思いを感じたことがある。夜中、ひとりきりで。それも外にいる時にである。

晋助は薫の側に歩み寄り、背後から声をかけた。

「隣に座ってもいいか」
「は……はい」

薫は驚いて振り返り、晋助の姿を見るや姿勢を正して座りなおした。鬼兵隊の総督として陣頭指揮を執る晋助は、いつも隊士達に囲まれていて、ふたりきりで話す機会は少なかったのだ。

晋助がじっと彼女の横顔を見つめているので、彼女は怪訝な表情で、おずおずと訊ねた。

「晋助様……どうされました?私の顔に、何かついてますか」
「お前は昔から、目鼻立ちが変わっていないな」
「えっ?」
「ガキの頃に見た夢を思い出したんだ」

晋助はふっと笑って、鼻の下を掻いて打ち明けた。

「お前に話したかどうだか忘れちまったが、松陽先生の私塾に通うのを俺の父親は大反対していた。武家の長男として真っ当な道を歩んで欲しかったからだと、今になっては親父の気持ちが理解はするが、ガキの俺は猛反発してたよ。そういう年頃だったからかねェ」
「ええ、覚えていますよ」
「何とか塾に通おうとする俺に親父はとうとう腹を立てて、俺を縄で縛りつけて、庭木に一晩吊るしあげた。相当の怒りだったんだろうな」
「まあ……なんて酷い」

松下村塾に通っていたのはまだ子どもといっていい歳頃のことである。仕置きだからといっても度が過ぎた仕打ちである。幼い晋助が寒さや飢えに耐えて吊るされていたと思うと、ただただ哀れで痛ましい。

「そんなときに、夢を見た。お前の夢だ」

晋助はそう言って薫を見つめた。普段は鋭い眼光を宿らせ周囲を威圧する瞳が、慕い寄る幼子のように瞳の中に飛び込んできた。

「どこかの屋敷の庭で、お前が花を摘んで遊んでいるんだ。俺の名前を呼んで手招きする。近づくと、花を持って嬉しそうに笑うんだ。世界の色が変わるかと思うほどのきれいな笑顔だった。こんな娘がどうして俺の側にいるんだろう、ここは何処なんだろうと……そう思った時、目が醒めた。意識が現実に戻って、縛られた縄が手首に、腰に喰い込んでいく痛みに耐え、空腹を忍びながら、夜が明けるのを待ったよ。時折お前の顔を思い描きながら。夢の余韻を噛み締めながら」

いつになく饒舌に語る晋助を、薫は瞬きをしながら珍しいものを見る思いで見つめていた。それから腑に落ちないというふうに首を傾げた。

「木に吊るされながら想われるというのも、何だか複雑なものです」
「違いねェ」

晋助は可笑しそうに笑って肩を竦めた。そして暮れゆく空を見つめながら、再び幼き日の夢に思いを馳せた。

「あの夢は不思議だった。やけにくっきりとして、鮮明で、手を伸ばせばお前の肌にも、髪にも触れられそうなほど側に感じた。夢というより、幻を見たのかもしれねェ」
「幻、ですか……」

夢であっても幻であっても、好いた男の心の中にほんの一部でも己が居たのだと思うと、嬉しさと照れくささが入り混じった、何とも言えない気持ちにになった。自分の指を組み合わせ、面映さを誤魔化すようにして彼女は言った。

「私は、ずっと晋助様のことを慕っておりましたし、晋助様と同じ松下村塾に通いたいと思っていました。その思いが通じて、晋助様の夢の中に私が現れたのだとしたら……嬉しゅうございます」

最後の方は消え入りそうな小さな声だった。言いながら、彼女の頬が桜色に染まり、その火照りがだんだんと肌に広がっていく。晋助は胸の辺りから笑いが込み上げてくるのを我慢しながら言った。

「耳まで赤いぞ」
「……分かっておりますから、どうぞ言わないでください」

薫は顔を背けて恥ずかしがった。そのの華奢な肩に、そっと手を伸ばしてみる。だが指が触れる直前になって、幼少期の無垢な彼女の面影が過って晋助は躊躇った。少女と女との狭間に存在する、綻びかけた蕾のような一瞬の美しさと危うさを彼女は有している。それを壊したくないと思う一方で、全部奪い取って手に入れて、永遠に自分のものにしてみたいとも思う。子どもの頃に見た夢は、そんな欲望を知らせる端緒だったかもしれない。

(欲望と愛情とは、隣り合わせにあるものか、それとも両極にあるものだろうか)

晋助は彼女に触れようとした手を自分の懐に戻し、ぎゅっと握り締めて己の胸に押し当てた。
ただひとつ、薫を護りたいという思いは幼い頃から変わりはないのに。
決断のできない自分もまた、少年と男の中間にいるのだということを、彼は静かに悟って瞼を閉じた。



(完)


 

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