鬼と華

□鬼百合の唄 第一幕
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「着いたぞ」

晋助の声で、薫はふと目を覚ました。京の屋敷を離れ、北側の山の方向に馬を走らせて暫くが経つ。
手綱を握る晋助の前で、馬に跨がっていた薫は、疲れのあまり意識が朦朧としていた。

「降りられるか?」

晋助は鞍から身軽に地へ降りて、薫に手を差し伸べてくる。彼女はぼんやりした頭で、晋助に抱きかかえられるようにして馬から降りた。

辺りを見渡す。もうすぐ、夜明けを迎える頃であった。薄い藍色の空の下、ふたりの目の前に広がるのは、鬱蒼とした森だった。晋助は薫を促し、馬の手綱を引きながら、森の中へと足を踏み入れた。

細い道を進んでいくと、さらに山奥へと続く長い石段がある。晋助は馬に沢の水を飲ませて木の幹に繋ぎ、薫に先立って、石段を登り始めた。

(晋助様は、何処へ……)

何処へ向かうとも言わず、晋助はどんどん先へ進む。上へ上へとひたすら続く石段に、息が上がり、喉がカラカラに渇いてきた。夜と朝の境目の、薄藍色に染まった森はとても幻想的で、階段が永久に続くような錯覚を覚える。


やがて、長い長い石段を登りきり、辿り着いた場所には、ひっそりと佇む寺があった。

天に聳えるような楼門を抜けると、大きな金堂が正面に構えている。木造の壁が、朝露に濡れて黒く光っていた。
晋助が金堂の方へ進もうとしたところ、中から作務衣姿の老人が出てきた。おそらく、住職であろう。彼は晋助と薫に軽く頭を下げると、金堂の中へと招き入れた。

「どうぞ、此方へ。河上様からお話を聞いております」

住職は渡り廊下を抜けて、寺の内部へと入っていく。中はひんやりとして、空気が冷たかった。金堂と離れた場所に僧坊があり、晋助と薫はその奥の座敷に通された。
すると、住職は窓や襖をぴっちりと閉め、何も言わずに去っていく。ふたりはしんとした座敷に取り残され、訳もわからず立ち尽くした。

「晋助様、あの……ここは一体……」

薫が尋ねた時だった。
静かな足音が近付いてきて、一人の男が扉を開けた。

「待たせてすまぬ、晋助」

そこには、長身の男が立っていた。藍色がかった逆毛の髪に、すらりと長い手足。もちろん、薫の知らぬ男だ。
それに、晋助を軽々しく名前で呼ぶ男を、薫は初めて見た。攘夷戦争時代、旧知の銀時や小太郎でさえ、晋助のことを苗字で呼んでいたのに。

「厩に馬を繋いでいて、遅くなってしまった。無事に着いて何よりでござる」
「こんな山の中だとは聞いていないぞ。どういうつもりだ」
「ここは、拙者が昔世話になった寺にござる。辺りは鬱蒼として気味が悪いゆえ、誰も好んで近付こうとはせぬ。身を潜めるにはうってつけの場所でござる」

そして男は、薫の方を見て軽く頭を下げた。

「河上万斉と申す。粗末な部屋ですまぬな」

物腰が柔らかく、丁寧な口調だった。
だが、彼の腰にさしてある刀を見て、薫ははっと気付いた。
晋助だけではない。河上万斉と名乗るこの男も、“身を潜める”ことが必要になるほどの事をしでかしたのだ。

晋助は奉行所役人の殺害と佐久間周山の暗殺により、自ら京の街を離れた。河上万斉は、そのどちらか、若しくは両方を、晋助と共謀したのだ。そうでなければ、ふたりがこのような辺鄙な場所に来るわけがない。役人や幕吏の手が迫る前に、先手を打ったという訳である。

「主らの寝屋は此処にござる。今宵はゆるりと休むがよい」

万斉にそう言われ、薫はすぐに横になった。ひたすらに歩いて、脚が棒のようであった。

それから薫はすぐに眠りに落ちたが、暫くして、隣の部屋から、話し声が微かに漏れ聞こえてきた。隣は、万斉が休む部屋である。
夢うつつに、その声に耳を傾ける。

「さて。これからどうするでござるか」
「まず人員が要る」

晋助の声だ。万斉と共に、これからの進退を話しているのだ。

「人員……か。廃刀令が敷かれてからは、攘夷志士の残党は皆、江戸近くに潜伏して活動しているようでござるが……」
「幕府の要所や大使館を襲撃して、一体何になる。そんなものに興味はねェ。大きな首を狙うには、人と金がいる。金は何とでもなるが、人を捜すのは易かねェ」

晋助の声が、だんだん遠くに聞こえ始める。薫は、再び眠りの中に戻ろうとしていた。

「京は昔から平穏な街。戦火とは無縁でござる。だが、かつて開国を機に、京の精鋭を集めて徒党を組んだという話を聞いたことがある。数はゆうに数百、確か名は……」

万斉が話すのを夢うつつに聞きながら、彼女は深い眠りへと落ちた。


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