鬼と華

□螢夜 第二幕
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季節は新緑から万緑の時期へと移り、瑞々しい葉が茂っていた。

草木の萌え出る萌黄色、爽やかな皐月の空の、抜けるような水色。
京の街を彩る色彩は、そのまま晋助が薫へ贈った反物(たんもの※着物の生地のこと)に映っていた。彼女にとって、家事の合間にそれらを手にとって眺めるのは至福の時間だった。

ちょうど、紅花の咲き始める頃である。紅花の咲き始めの花は、染料をとるのに使われる。一斤(いっこん)染といって、紅花一斤で絹一疋を染めて作られるという淡い紅染め。それも薫の手元にある。桜色より黄色がかった色で、彼女が最も心惹かれ、美しいと感じている染め物であった。きっと晋助も、この色を一番好んでいるような気がした。



晋助と薫が京に住み始めて、数日経った頃のことだ。薫は前掛けと襷(たすき)掛けをして屋敷に籠り、煤に汚れた台所の掃除をしていた。

やがて、外出から晋助が帰ってくる。が、出迎えた薫は暫し言葉を失った。

晋助の隣に、見知らぬ若い娘が立っていたのだ。

「……晋助様、その御方は?」

薫がようやく尋ねると、娘は、弾むような声で挨拶をした。

「お初にお目にかかります!鈴(すず)と申します!」

歳は、薫より二つ三つくらい下であろう。耳下できっちりと髪を切り揃え、利発そうな顔立ちをしている。小柄だが健康な体付きをしていて、いかにも京の町娘といったいでたちであった。

晋助は、鈴に聴こえないところまで薫を連れていき、ひそひそと告げた。

「家も埃にまみれているし、庭の手入れも必要だろう。お前ひとりでは、苦労が多い。手伝いにつかってくれ」
「そんな、手伝いなど……」

薫は戸惑った。人手を頼んだ覚えはないし、何より、晋助とふたり住まいの屋敷である。家を整えるのは、自分ひとりで十分だと思っていた。

「晋助様、しかし」
「薫」

反論しようとした彼女を、晋助が遮る。

「ある男に、奉公に出してくれと頼まれてしまった。家の中が調う間だけでもいい。すまないが……」

晋助に頼まれ、薫は断るわけにはいかなかった。



それから薫は、ひとまず鈴に煤払いを手伝うように言い置いて、自分は黙々と床掃きを続けた。
前の持ち主が残した食器などを磨きながら、鈴が尋ねてくる。

「奥さま、これはいかがしましょう」

奥様などと呼ばれ、薫は背中が熱くなるのを感じた。まず、最初に鈴に頼むことは決まった。

「あの……私のことは、薫と呼んでください」

晋助と自分は、他者の目にはそう映るのだ。気恥ずかしさを隠すように、薫は鈴に背を向けた。

無言の間が続き、やがて作業をしながら、鈴が薫に話しかけた。

「薫さん達は、何処かから越していらしたんですか?京の訛りがないもの」

薫は、鈴のいる方を振り向いて答えた。

「ええ。江戸から」
「まあ」

鈴は小さな子のように、きらきらと瞳を輝かせた。

「江戸は大きな街なんでしょう?天人が宇宙(そら)と行き来するための、ターミナルもあるんだもの。いつかは、見てみたいものだわ」

地方に住まう若者からすると、江戸の街はそんな風に映っているのだ。薫は微笑んで言った。

「天人の技術で交通網が発達すれば、きっと京から江戸へ、簡単に行けるようになりますよ。ご家族とも、きっと楽しい旅行ができるわ」
「…………」

すると、鈴は急に黙ってしまった。先ほどまでの溌剌としていた彼女の表情に、途端に陰りが見え始める。
薫はふと不安になり、彼女の顔を覗き込んだ。

「……お鈴さん?」
「実は、私の家は母が病で床に伏していて……父は、既に他界しているんです」

鈴の答えに、薫は軽率なことを言ってしまったと後悔した。家族で江戸に旅するなど、鈴にとっては叶わぬ願いなのだ。
薫は鈴の肩にそっと手を置いた。

「お辛いでしょうね」
「働かせていただいて、感謝しています。私の歳じゃ、料理茶屋でも雇ってもらえなくって……」

そう言いながら、鈴は懸命に笑顔を作っているように見えた。母の代わりに働き稼ぐために、彼女は薫の屋敷に奉公に来たのだ。彼女の年頃では、他にやりたいことなど沢山あるだろうに。
親思いの、優しい子だ。

「お母様の看病で大変な時は、どうか無理をしないで。夕方までには必ず、お母様の所にお戻りになってくださいね」

薫が念を押すと、鈴は大きく頷いて、着物の袖を捲る真似をした。

「さあ薫さん、お勝手(※台所のこと)は、早くきれいにした方がいいですよ。京の夏はとても暑いんです。しっかり食べないと、すぐにバテてしまいますよ」

年下の鈴にそう言われ、薫は可笑しくて声を上げて笑った。

けれど、胸の奥の釈然としない部分は、どうしても晴れなかった。


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