鬼と華

□螢夜 第三幕(前編)
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前の晩から雨が降り続き、正午前にようやく、空は晴れ間を見せていた。

晋助は、刀剣商を訪れるため外出した。刀装を依頼してから、ひと月余り程になる。出来上がりの頃合いだと思っていた。
だが、店の狭い入り口から中を覗くも、店主の人影はなく、呼び掛けても返答がない。

「留守か」

晋助は店に立ち尽くした。扉を開け放ったまま、何とも無用心である。
店の奥には板の間があり、砥石や打粉などの手入れ道具が、作業途中のまま無造作に置かれていた。


その時急に、晋助は店の裏手から強烈な気配を感じた。慎重な足取りで、店内を通って裏へ出る。そこは辺りを塀で仕切られた平地になっていて、刀剣商の男の、すらりとした後ろ姿があった。

晋助はさっと、柱の蔭に身を隠した。刀剣商の腰には、刀がさしてある。すると彼は、おもむろに柄に手をかけ、低い姿勢で構えた。

(稽古……か?)

彼が動いたのは、一瞬であった。
右足を前に出して膝を折り、左足を後方に伸ばして膝を地面すれすれに接する。同時に、右手一本でザッと斬り上げる。
見事な逆袈裟斬りであった。

「…………!!」

晋助は気配を消して、刀剣商の一連の動作に見入った。刀剣商はまるで眼前に相手がいるかのように、力強い居合いを繰り出していく。長い手足が見せる一手一手は、見るものを圧倒させる凄味があった。


やがて、刀剣商の男は刀を鞘に納め、店に戻ろうとした。そこでようやく、晋助がいることに気付いたようだった。
長身の刀剣商を見上げるようにして、晋助は彼に尋ねた。

「居合か。アンタも剣をたしなむんだな。何処で習った?」
「我流にござる」

刀剣商は素っ気なく答え、晋助に質問を返す。

「わざわざ裏手まで来て、何用でござるか?」
「頼んでいた刀を取りに来た。もう十分、待っただろう」

晋助は、刀剣商に刀装一式を依頼しており、この時まで完成を待っていた。
刀も多くの工芸品と同じように、分業で作られる。刀工や鞘師のほか、装飾には柄巻師や蒔絵師などの数々の職人がいる。例えば鞘師は、刀剣を納める鞘を作る職人であり、刀に合わせてひとつずつ製作しなければならない。同じように、柄巻の部分は柄巻師に頼む。柄は鮫皮を巻いてその上から柄糸を巻き、つや出しをして最後に磨きをかけるという、高度で手間のかかる技巧を必要とする作業だ。

晋助にも、好みの鞘や手に馴染む柄がある。それゆえ、鞘から鍔まで細かく指示をしたため、出来上がりを待つ心づもりはしていた。
けれど、既に晋助にとっては、待つには十分な時間が経過していた。


「刀装というのは、そう急くものではないでござる」

刀剣商の男は、低く笑って晋助をたしなめた。

「刀一本と言えど、数多(あまた)の職人の技で成り立つゆえ。このような短い間に出来上がったとすれば、それは手を抜いたとしか言いようがないでござる」

晋助は、奥歯を噛んで刀剣商を睨み付けた。

「ならば、何時ならいい」
「それほどまでに刀を欲しがるか。
まるで、獲物を求める獣のようでござるな」

刀剣商が冷静に言う様を見て、晋助はその通りかもしれないと自答した。
鋭利に光る刃を、少しでも早く手にしたい。裏返せば、負傷のため剣から遠ざかっていた分を、一刻も早く取り戻したいのだ。

しかし、牙が揃うのはまだ先だ。晋助はひっそりと笑って、刀剣商の店を出ようとする。
だが、寸でのところで、刀剣商が彼を引き留めた。

「お侍よ、刀を好むのも良いが……
白昼、人目につくような時に、刀剣商などに出入りするものではござらんよ。外には、役人がうろついておる」

その忠告に、晋助は店の薄暗闇にさっと身を潜め、外の様子を窺った。確かに刀剣商の男の言うとおり、役人風情の浪士が偉ぶって道を闊歩していた。

「獲り物でもあるのか?」

晋助が尋ねると、刀剣商は無関心そうに答える。

「江戸より、幕府のお偉いかたが来るのでござる。どのような御仁かは、拙者も知らぬでござるが……」

彼は、重ねて晋助に忠告した。

「暫し、この街で刀を持ち歩くのはよした方がいい。ここいらは、昼夜役人が見回る場所にござる。廃刀令の取締にあったら、剣を振るうなどできんぞ」
「…………」

不本意ながら、晋助は刀剣商の言葉を聞き入れることにした。京までやって来て、早々に幕吏に眼をつけられては厄介だ。
晋助が去る頃には、刀剣商の男は見送りもせず、早々に奥へ姿を消した。再び、剣術の稽古に戻るのかもしれない。

片手抜刀の居合術が、やけに印象に残っていた。力強く確かな太刀筋に、晋助は薄々感じていた。
あれは、人を殺める剣だ。



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