鬼と華

□螢夜 第四幕
2ページ/6ページ


その年、京の梅雨は短く、早くも本格的に夏が訪れようとしていた。

薫は、季節が過ぎゆく早さをしみじみと感じていた。京の夏は暑いことで知られて、晋助が揃えた反物の中には、夏用の絽や紗、麻などの、薄物も揃えられている。浅緑や薄群青色の涼しげな色を選んで、彼女は早速仕立てて袖を通した。霞みがかった、優しい模様を織り出した生地は、そのまま彼女の穏やかな心を現しているようだった。


ある日、鈴は母の看病のため休みをもらっており、屋敷に来ていなかった。一日の家事をひとりで終えた薫は、屋敷に彩りをと、陶器の花器に透かし百合の花を生けていた。
やがて夕暮れ時になり、屋敷に晋助が帰ってくる。彼は薫の前に現れるなり、険しい表情で尋ねた。

「鈴は来ているか」

薫は、晋助の尋常でない様子に、花を生ける手を止めた。

「お鈴さんは、お母様が体調を崩されたようで、此方には来ていませんが……」

晋助は彼女に一瞥をくれると、大股で屋敷を回り、鈴がいないことを確かめた。そして何も言わないまま、再び出て行こうとした。

その手に刀があるのに気付いて、薫は思わず腰を浮かせた。

「晋助様!?これから何処へ……」
「鈴を斬る」

晋助は、短く言った。

「あの娘、俺達の内情をさぐって役人に情報を流していた。俺達の素姓は知られている。役人共が押し入ってくるのも、時間の問題だ」
「そ、そんな……まさか!」

薫は、慌てて立ち上がった。その拍子に、花器が派手な音を立てて倒れる。中の水が溢れ、畳と薫の着物を濡らすも、彼女は気にも留めない。晋助の着物の端を握り、必死に引き止めようとする。

「晋助様、なりません!お鈴さんを斬るなんて!」
「離せ、薫」

晋助は、厳しい口調で言った。

「例え女でも、裏切りは許せない。お前が危険に曝される前に、あの娘を始末する」
「離しませぬ!!」

晋助は、はっと目を見開いた。普段の薫からは想像できないような、芯のある大声だった。

「お願いですから……晋助様!どうか、殺さないで…………!」

と、薫は言った。言葉の最後の方は、何とも弱々しく、すがるような声だった。

知り合いのいないこの街で、薫にとって鈴がどんな存在か、晋助には十分分かっていた。ふたりが仲睦まじく語らう様子は、まるで歳の近い姉妹のようだった。
残酷なことを言っているのは承知だった。それでも、晋助は薫を護らなくてはならない。

「此処は、既に役人に嗅ぎつけられている。何時でも出立できるよう、荷物の整理をしておけ。
危険が及ぶなら、お前ひとりでも直ぐに逃げろ」

そう言って、薫の腕を振り払った、その時だった。
まさに獣の勘といってもいい。外にいた者の気配を、晋助は敏感に感じ取った。

「鈴か!?」

彼は部屋の障子を開けて、外の様子を確かめた。ガサッと垣根の向こうから音がして、屋敷からかけ去る足音がする。

晋助は刀を携えて部屋を飛び出すと、跳ねるように垣根を飛び越え、夕暮れの街へと姿を消した。



次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ