鬼と華

□螢夜 第五幕
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河上万斉という浪人、刀を手にした時は、流石に人斬りの顔を見せた。一見して穏やかな青年に見えるけれど、平気で人を殺める残忍さを持ち合わせている。


奉行所を後にした晋助と万斉は、隣り合わせの厩(うまや)から、駿足そうな馬を二頭選んだ。そして鞍に跨がり、周山が宿泊するという宿へ向けて出発した。日が陰り始めた頃のことであった。
万斉が周山の名を口にした時から、晋助の腹は決まっていた。彼と共闘して周山を討つ。鬼兵隊の仲間の怨みを晴らす時が、計らずも今巡って来たのだ。そして万斉にとっては、罪無き者へ人斬りを命じたことへの、報復の機となる。


出立の前、万斉は何かを思い出したように奉行所の中へ姿を消した。戻ってきた彼が手にしていたのは、役人殺しの現場から押収された刀だった。万斉が、晋助の為に仕上げたものである。

刀は乱闘の折の、生々しい血痕がこびりついたままで、激しく刃こぼれしている。万斉は、苦笑して言った。

「拙者が精魂込めた刀を、こうも乱暴に扱うとは。御主もなかなか気性の荒い男でござるな」
「生憎、繊細な扱いをしたことがなくてな」

晋助は、低く笑って言った。

「舌を巻く程の闘いっぷりよ。御主とは、いつか手合わせ願いたいものでござる」

と、万斉が言う。彼の居合いと本気で殺しあうなど、命が二つ三つ必要になるかもしれないと、晋助は心の中で思った。

馬を走らせながら、空を見る。太陽の位置からして、周山と出くわすのは日没の直前くらいであろう。
晋助は、万斉に念を押して尋ねた。

「周山を殺ることは、てめェにとっちゃあ雇い主への裏切りだ。改めて聞くが、構わねェのか」
「…………」

万斉は暫く黙っていたが、やがて昔語りをするように話し始めた。

「佐久間周山という男は、徹底した開国派でござる。各国天人の要人とも通じており、幕府にとっては政治の要である男よ。
開国の折、奴は京に下るや否や、京の開国反対派の危険分子を根刮ぎ抹殺するために、拙者を雇った」

万斉の口調は、冷静で落ち着いていた。

「我流ながら身に付けた、居合の腕を買われてのことでござる。これも御国のためと、周山に言われるがまま、拙者は人を斬った。公には辻斬りの仕業とされ、拙者の懐には、生活するのに困らぬだけの金が入る……」

晋助は、ふと疑問に思って尋ねた。

「まさか、刀剣商なぞ構えていたのは、人斬りの本性を隠すためか」
「さよう。刀を商いにするものが人斬りであるなど、誰も考えぬ」

晋助は、ますます納得がいかなかった。万斉が人斬りの通り名を持つことは、誰も、役人すら知らないのだ。
晋助が牢屋を破った折り、万斉は自らの潔白を主張して、役人殺しの真犯人として晋助を突き出すことも出来た。そうすれば、また刀剣商として日々を送れるというのに。


「人斬りを止めるなら、今の暮らしも捨てることになるんじゃねェのか」

晋助が尋ねると、万斉がふっと笑う気配がした。

「拙者が壊したものを目の当たりにして、己の暮らしや保身なんぞは小さきことでござる」

鈴の家族のことを指しているのだ、と晋助は直感した。

「何の罪もない者を……斬ることへの迷いは捨てたつもりだったが、残されたものの悲しみからは逃げられぬ。ただ壊して壊して、拙者の手には、怨みが染み着いているでござる。
そんなことを繰り返しても、世の中は何も変わらないというのに……愚かなことだが、気付くのが遅かった」

手綱を握る手に、強い力がこもっていた。静かな怒りを、内に秘めて抑えているのだ。

「周山は懲りずに人の始末を言い付けてくるが、拙者は断り続けたでござる。このままではいずれ、拙者の方が狙われる身になるであろう」

馬上の万斉の横顔は、傾きかけた陽に照らされ、何とも言えない憂いを帯びていた。

「人斬りは所詮人斬り……殺めた人の数だけ報いがある。今はただ、己の身が滅ぶのを待つだけにござる」
「てめえ自身が壊してきたものの為に、人生を棄てるつもりか」

晋助はそう言って、喉の奥で笑った。
剣の腕の使い道さえ誤らなければ、万斉は人斬りなどと呼ばれなかったかもしれない。刀剣商として生計を立てていたのは、周山の手先であることを欺く為だったとしても、刀への執着と己の技への追求は、捨てきれるものではなかったのだ。彼が行っていた鍛練と、見るものを圧倒させる居合い術が、何よりもそれを物語っている。


「てめェの腕は、無くすには惜しい。その腕だけ置いていけと言いたい気分だが、そうもいかねェ」

冗談混じりのつもりだったが、万斉は不快そうに片眉を上げる。
その表情に笑いそうになりながら、晋助は言った。

「ひとつ教えてやる。この面白くない腐りきった世の中……ただ滅ぶのを待つよりも面白い事は、掃いて捨てるほどあるぜ」


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