鬼と華
□鬼百合の唄 第四幕
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ある日の夜。日が落ちて、赤鬼寺を藍色の深い闇が包みこんだ。長らく続く日照りを象徴するような、赤い星が夜空に妖しげに光っている。
障子を開け放って星を眺めていた薫は、部屋に晋助が入ってくる気配に気付きながらも、振り向けずにいた。
松陽の手紙を見つけてからというもの、晋助の顔をまともに見れないのだ。手紙をこっそりと隠した後ろめたさが、薫をそうさせていた。もし手紙を見せたとしたら、晋助は松陽の師を殺めたことに傷付くのではないか。そんな恐れが、彼女の中にあったのである。
背後では、晋助が徐に着物を脱ぎ、浴衣に着替え始めている。
「万斉と、何を話していた?」
と、晋助が尋ねた。万斉とふたりで話している所を、彼に見られたのだ。
晋助と薫が眠る隣の部屋には、万斉が寝泊まりしている。薫はその方にちらりと視線を向けながら、曖昧に微笑んで答えた。
「他愛ない話でございます」
「このところ、奴と仲が良いようだな」
晋助の声には、若干の嫌みが含まれていた。
「そんなことは……」
薫は否定しながら、晋助が何か察しているのではと、不安が胸に落ちてくるのを感じていた。事実、彼女は万斉と共に話をすることが増えていたからだ。
晋助は彼女の方を見向きもせず、麻の浴衣に着替え、眼の包帯を巻き取っている。やがて、寝仕度の終わった晋助は、薫の横から手を伸ばして障子を閉めた。
そして彼女の耳許で、耳朶に触れそうな距離で囁いた。
「いつからだ?お前に触れていないのは」
「…………!」
薫は、思わず耳許を押さえて晋助を見た。
これまで耳にしたことのない、劣情に焦がされた声であった。獲物を前にした獣のように、鋭く物欲しげな眼で、晋助はじっと薫を見つめている。
晋助は彼女の顎をくいと指で持ち上げると、唇の表面を舌先でなぞり、口づけをした。唾液でじっとりと解されるように、彼の舌が深く薫の口腔を侵す。
薫は全身の力が抜けていくのを感じながら、隣の部屋に万斉が居るのかどうか、起きているのかどうか、気掛かりでならなかった。
「し、晋助様……今は……!」
「今だ。お前が欲しくて堪らねェ」
晋助は唇を塞いだまま、薫の浴衣の裾をめくり、膝小僧から太股へと手のひらを這わせた。晋助の思惑を察した薫は、焦って手をどかそうとするが、彼の手は蛇のような巧みな動きで、するりと足の間に滑り込んでくる。
「………………!」
その時だった。隣の部屋から、刀を砥石で磨ぐ音が微かに聴こえてきた。万斉が刀の手入れを始めたのだ。
晋助もその音には気付いている。だが、彼は薫から手を離さなかった。
「声を出すな」
と、晋助が言った。命令する口調に雄の欲望を色濃く感じて、薫は抗うことすら忘れてしまった。
荒々しく手首を押さえられ、組み敷かれたと思うと、晋助は彼女の浴衣を乱暴に剥いだ。そして腰を前に押し出し、ぐっと身を沈めてきた。
「っ……ァ、……!」
少し湿っただけの場所を急に押し開かれ、鈍い痛みが薫を襲う。
だが、晋助の指は器用に動いて、彼女の弱点を捜して攻め立てる。程無くして、滲み出てきた潤滑液が、晋助をぬるりと奥の方へと導いた。
「あ………!」
晋助の全てを体が呑み込んで、薫の喉から悩ましい声が立ち上った。晋助は彼女の膝の裏を両腕で抱えあげると、肌を打ち付けるように激しい律動を始めた。
「はっ……はっ……!」
背中が床と擦れる音。肌と肌がぶつかり、濡れた粘膜が弾ける音。しだいに早く、荒くなる息遣い。どんな小さな音も、まるで耳に迫るようだ。
隣の部屋からは、砥石で刀を磨ぐ音が耐えず聴こえてくるのに。薄い扉を隔てた場所で、晋助に貫かれている。奇妙に昂る薫のからだは、既に果てようとしていた。
(だめ……!おかしくなってしまう……!)
晋助の片眼が、じっと自分を見下ろしている。艶っぽく、快楽のその先に誘うような瞳に耐えきれない。
何も考えられなくなるほどに、晋助は貪欲に動いて、薫の奥の襞を容赦なく抉ってきた。高みは、すぐ側まで来ていた。
「っ……ん……!」
晋助から顔を背けて眼を瞑る。そして薫は両手で自らの口許を覆って、からだを弓のように仰け反らせた。
「…………あっ……!!」
快感の極みが、まるで雷のように全身を駆け抜けた。暫くして、晋助が腰を震わせ、薫の胎内に熱いものがじわりと広がる感覚がした。
「っ、う……」
晋助が低く呻いて、薫の肩のあたりに額を埋めてくる。噴き出した汗で濡れた肌に触れて、肩がひんやりと冷たい。
息を殺して駆け抜けるような、性急な交わりだった。だが、確かに体の奥底が満たされた感覚がある。晋助と薫は両手を繋ぎあって、何度も唇を重ねては舌を絡めあった。
ひどく蒸し暑い夜だ。全身にびっしょりと汗をかいて、浴衣が肌に貼り付いていた。ふたりは体を引き離して、仰向けに寝そべって呼吸を整えた。その頃にはもう、隣の部屋からはなんの物音も聴こえてこなかった。
やがて、晋助は汗で束になった髪を無造作にかきあげると、再び薫の上に覆い被さった。
◇◇◇
一度交わってしまうと、遠慮や羞恥に勝るものがある。
赤鬼寺の僧坊は、常に住職や僧侶がいて、隣の部屋には万斉が寝泊まりしている。外へ出たとしても、人目を恐れて、好き合う者同士堂々と街を歩くことも出来ない。そんな自由の無さに、自ずと夜が待ち遠しくなる。
晋助は寺で休むときは、繋ぎ止めるように薫を求めた。薫には、それを拒むことは出来なかった。
愛を囁くことも、快楽に溺れて喘ぐこともなかったが、お互いに触れて熱い体温を感じることが、晋助の求めることだった。ひっそりと抱き合う時だけが、唯一ふたりに許された時間なのだ。
蒸すような夜、汗だくになってからだを重ね合わせると、薫はよく攘夷戦争の頃を思い出した。一瞬でも長く愛し合いたくて、晋助が忍ぶように通ってきた夜。目眩く(めくるめく)時間を、狭い部屋で幾夜も紡いできた。
今は、その時と似ている。人は抑制しようとするほど、かえって気持ちが強くなる。それに、隠し事をしていれば、なおさらに別の部分で取り繕うとするものだと知った。
なんと不都合で、欲深く、正直な生き物だろう。
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