鬼と華

□鬼百合の唄 第三幕
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御所を後にした幽撃隊幹部らは、神妙な面持ちで北小路の屯所への道を歩いていた。

建ち並ぶ古い町家。趣のある街並み。もし幕府の計画が実現すれば、屯所の周辺の土地屋敷も失われてしまうかもしれない。美しい風景が消え失せ、異国の町に様変わりしてしまうことだろう。

「三条殿はじめ、公家衆は守護職を置くことを止まるよう、幕府への説得を試みる筈だ。しかし、幕府から圧力がかかるのも時間の問題。そのうち、正式な使者がやって来るに違いない」

那須唯則が渋い顔で言うのを、隣からまた子が口を挟んだ。

「幕府が何千何万の軍を率いて来ようが、私達が京を護る砦にならなければいけないッス。那須先輩、そんなに弱気な事言ってると、隊の士気も下がりますよ」

強気な口調だが、彼女の態度はどこかそわそわとしていて落ち着かない。


それから幹部らは、屯所の町家へと入ろうとしたが、来島また子はひとり、反対の方へと草履の先を向けた。

「私……ちょっと行く所があるッスから」

彼女はそう言い残して、小走りに去っていく。
その後ろ姿を見送りながら、勝間田多二郎と那須唯則がニヤニヤと笑った。

「ありゃあ、恋だねえ」
「先代総督が死んで、総督なんぞと呼ばれるようになってから、猪みてえに突っ走ってきた娘っ子が……ついにいい人を見つけたか」

その横で、昭蔵が顔をしかめている。

「全く、わかりやすい人だ。京の一大事、重要な話をしているというのに。上の空、心此処にあらず……」
「まあ、仕方ねえさ」

勝間田多二郎が昭蔵の肩を叩いて、のんびりとした口調で言った。

「猪は、曲がったり引き返したりが苦手な生き物だ。だが色恋沙汰は、一直線とはいかないもんさ。今度ばかりは、猪総督も回り道するみてえだなぁ」



◇◇◇




“来島又蔵之墓”

街の外れにある墓地。そう刻まれた墓の前で、来島また子は膝をついて手を合わせていた。

「父さん、もうすぐ幽撃隊が、武器をとって立ち上がる時が来るかもしれないッス。こんな時に、雑念を払えないダメな娘ッスけど………空の上から見守ってて下さいッス」

彼女はそう呟いて、祈るように目を閉じた。

若くしてまた子が幽撃隊総督を努めるのは、彼女の養父、来島又蔵が初代総督として、幽撃隊を結成したことに由来する。
彼女の生みの親は、幼い頃に流行り病で亡くなっており、子どものいなかった親族が彼女を養女と迎えた。それが来島又蔵である。

又蔵は士族であり、藩の要職に就いていたが、攘夷戦争時代に各地で戦乱が拡大していることを危惧していた。そして京の街を護る術として、義勇軍の創設に踏み切った。武士や農民などの身分を問わずに隊士を募った長州の義勇軍、鬼兵隊に触発されてのことであった。

結果、彼の信念に賛同した者が集まり、職業別に金剛、郷勇、 力士、狙撃、市勇などの十二隊もの諸隊が出来、その隊士はゆうに数百。一代で幽撃隊の基礎を築いた彼は、皆の信頼を集め慕われていた。
しかし、攘夷戦争終結直後、又蔵は病に倒れてしまい、逝去。その跡をついで、また子が総督となったのだ。養父の又蔵譲りの、後先省みず突き進む性格、明るく活発な人柄で、女ながら指導者として手腕を磨いてきた。

そして、彼女は総督としての顔だけではない。

「父さんに教えてもらった二挺の早撃ち。私の腕には、まだ誰も勝てたことがないッスよ」

また子は墓石にふっと微笑み、懐に隠した拳銃に触れた。

狙撃を得意としていた又蔵は、己が鍛練し会得した二挺使いの早撃ちを、養女として育てたまた子に伝授した。彼女は生まれもった才能から、狙撃の腕を開花させ、狙撃隊隊長をも努めるようになったのだ。紅い弾丸の異名をとる、早撃ちの名手が、また子のもうひとつの顔だった。
物心ついた頃から、幽撃隊の男連中に囲まれ、狙撃の鍛練を積んできたまた子である。男性を特別なものとして認識することは、これまで一度もなかった。


また子は砂を払って立ち上がり、ざっと後ろを振り返る。夏の青空に陰るように、遠くの方に赤鬼寺のある山が見えていた。
胸の奥がちくりと痛むと同時に、寺で出逢った隻眼の男が脳裡を過った。

(こんな時に、私は…………)

意識していなくとも、気付けばあの男のことを考えてしまう。そんな気持ちの揺らぎを抑えるために、遠くにある養父の墓まで来たのに。また子の心中からは、隻眼の男の影が消える気配はなかった。

ふとした瞬間に訪れる、甘酸っぱい感情。それは、これまで抱いたどんな気持ちとも違っていた。熱い風が体の中で吹くような息苦しさ。胸のあたりが、ぎゅっと締め付けられる。

(あの寺に行けば、また、逢えるだろうか……)

淡い期待を寄せながら、また子は暫くの間、山の裾をじっと見つめていた。


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