鬼と華

□精霊蜻蛉 第五幕
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土佐勤皇党の武市変平太から共闘を持ち掛けられてから、ちょうど十日が経過していた。返答は十日後に寄越してほしいという武市との約束通り、晋助と薫は勤皇党の隠れ家を訪れた。


階段を下りて地下へ行くと、奥の部屋から顔を覗かせる者がいた。大石行蔵である。

「おい、薫さんが来たぞ!」

行蔵が部屋の中に向かって呼び掛けている。すると彼に続いて、ひょっこりと間崎拓馬が顔を出した。

「あっ!」

驚く薫に、拓馬は歯を見せて笑いかける。そして脚を引き摺りながら彼女の方へと、壁づたいに慎重に歩いてきた。処刑場から助け出された時は衰弱しきっていたが、ものの数日で驚くまでの回復を遂げていた。

よろよろとした足取りで薫の側へ来た拓馬は、彼女の胸に飛び込むように抱きついた。

「……武市さんに聞きました。僕が捕まったのを、いち早く報せてくれたのだと」

くぐもった声でいい、薫をぎゅっと強く抱き締める。

「ありがとう」
「…………よかったわ。元気になって」

薫はそう言って、小さな頭をしっかりと抱いた。これから先、彼がどのような道を選ぶか分からないが、まだ未来のある若者の命が繋がった。彼女にとっては、それが大きな救いだった。


隣でふたりの様子を見ていた晋助だが、暫くして、呆れかえって拓馬の襟を掴んだ。

「オイ、小僧」

襟をぐいっと引き、薫から拓馬を引き離す。

「いつまでくっついてやがる」

拓馬はヘヘ、と照れ臭そうに笑ってから、その場に膝と手をついて晋助に向かって平伏した。床に額を擦り付けて頭を下げ続ける様子に、晋助はひどく面喰らった。

「……ガキが。そんな真似するんじゃねェよ」

晋助は拓馬の細腕を引き上げて立たせると、薫から離して部屋へ戻らせようと、手で払う振りをする。捕縛の件を報せたのは薫だが、処刑場から助け出したのは晋助である。命の恩人というなら、むしろ彼の方なのだ。
そのためか、晋助から冷たくあしらわれても、拓馬は二人にまとわりついてなかなか離れようとしなかった。


「これはこれは、お二人お揃いで」

そうしているうちに、武市がやってきた。晋助と薫に一礼をして、部屋の中へ迎え入れる。

「高杉殿、薫さん。どうぞこちらへ」



◇◇◇



拓馬が捕まってから、京都市中を騒がせていた天誅騒動はぴたりと止んでいた。武市が刺客を差し向けるのを止めたためである。その分の人員を、拓馬の安否を探るための情報収集に当てていたのだった。
しかし拓馬の奪還に成功した今、このまま危険を承知で京に留まり再び暗殺の指示を下すのか、それとも、地に足がつくのを恐れて手を引くのか。
これから武市という大将はどんな選択をするだろうかと、薫は正面に座した武市を見ながら考えていた。


「早速だが」

武市と対峙した晋助が、早々に自ら切り出した。

「悪いが、俺は勤王党の傘下に入るつもりはねェ。そんな冠にさらさら興味も湧かねェし、俺ァ他人の指示で動くのは性に合わないんでね」
「予想通りのお返事です」

武市が淡々と言う。己に追随する気などさらさらないことを、とうに悟っていたような口振りだった。
彼は開き直ったように、声色を高くして晋助に尋ねた。

「ならば、鬼兵隊では如何ですかな」
「……何だと?」
「総督の名に相応しいのは、貴殿の他にはいません。今から私が盟主の立場を捨てて、我々の組織を“鬼兵隊”にすり替えるとしたら?返答は、同じですか」
「アンタ……自分で何を言ってるか、わかってるのか」

晋助は眉をひそめて武市を睨んだ。薫は武市の思いもよらぬ発言に、彼と晋助を交互に見る。

だが、武市はいたって冷静であった。

「私は土佐勤皇党の盟主であり、謀略家です。策を練るものが上に立ち指示を下す、私はそのやり方が正しいと思っていましたが、そうではない。大将には、大将になるべき人が座すのが本来のあり方です」
「俺に……アンタの代わりに、大将になれというのか」
「いかにも。貴殿の方が、大将を努める気概がある。間崎君を救出した時の貴殿の姿、私にかけた言葉、その心中に秘めた思い……どれをとっても、私では到底なし得ないことばかりでした」

それに、と武市は瞳を伏せた。

「将軍だの天子だの……旧いものに囚われていたことに、ようやく気付きました。誰かが決めた仕組みではない、私達の望む世界は、誰でもない私達自身で創り上げればいいのです。
土佐勤皇党の配下は二百、全国に散らばった協力者を含めれば、五百は下らない。彼らを貴殿の意志で動かすことができたら、今よりも大きなことが出来るとは思いませんか」
「……晋助様……!」

驚きが続くあまり、薫は思わず手を伸ばして晋助の着物の袖を掴んでいた。退くのではない。武市は謀略家として、自ら晋助につくことを選んだのだ。

「お気付きですか、高杉殿。世界を壊すなど……貴殿は大それたことを宣うが、壊すこととは即ち、己の手で新しき世を創ることに他なりません。私は、貴殿がどのような世界を望むのか、その果てが見たい。
それでも否とおっしゃるならば……」

するとバッと音がして、突然部屋の四方が開いた。今まで壁だと思っていたものは隠し扉で、その向こうには、土佐勤皇党の浪士達が大勢控えていた。
各々、刀や小太刀などの武器を手にしており、溢れんばかりに殺気だっている。

「てめェ……!」

晋助が薫を庇おうと立ち上がるも、誰一人として襲いかかってくる気配はない。
何事かと思って周囲を見渡し、晋助はぎょっと目を剥いた。彼らはあろうことか、各々の武器を己の喉元に向けて構えているのだった。

驚く晋助に、武市は静かな声で告げた。

「私の意志がどれほどのものか、ここにいる者全ての命を持って、我々の誠意を示しましょう」
「ハハハッ……!」

晋助は高らかな声を上げて笑った。
三条河原では、見ず知らずの拓馬の命を救った晋助である。ここに集まった勤皇党の若者達の命、それを救う為なら、武市の要求など飲んで当然。武市はそんな大胆な取引を晋助にふっかけたのだ。

「二百の命か。俺の手で動かすには、重すぎらァ」

晋助は笑いを噛み殺しながら、四方の浪士達に武器を下ろすよう手先で指示した。そして、武市を見下ろして言う。

「勤皇党だ、鬼兵隊だ、冠があって人が集うんじゃねェよ。一人じゃあ出来ねェことをやり遂げようと、奇しくも志を同じくした連中が揃って初めて徒党を組むのさ。志もてんでばらばら、名前がさし変わっただけの急繕いのお下がりは、こっちから願い下げだね」

それから薫を促して立たせると、武市に一瞥をくれて踵を返した。

「アンタも盟主の立場を捨てたなら、自由になったも同然だ。謀略家として、ひとりの男として……好きに生きりゃあいいじゃねェか」


武市は言い返すことはしなかった。隠れ家を去る晋助と薫を、引き留めることもなかった。
こうして、薫の拉致に始まった武市変平太と高杉晋助の確執は、静かに幕を下ろしたのだ。


土佐勤皇党の隠れ家から大堰川を下る間、薫は感慨深く、この十日余りのことを思い出していた。京都嵐山、これから先その地の名に触れる度に、思い出すのだろう。
病に伏しながら生きようとする青年や、護るもののため手を血に染めた数奇な少年。そして晋助に出逢って行く道を変えた、謀略家のことを。



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