鬼と華

□精霊蜻蛉 第二幕
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朝から降りだした小雨は、日がな降ったり止んだりを繰り返していた。容易に止むことはない、秋の時雨。日が落ちればぐんと冷え込み、吐く息が白くなる。

その日、京の町は不穏な空気に包まれており、普段は見かけない奉行所の見廻りが多数見受けられた。と言うのも、公家の家臣が斬殺され、首が三条河原付近に晒されるという事件が起こったからだ。しかもそれに加え、捜査中だった奉行所の同心が、路地裏で斬殺される事件が起きた。この日のうちに二件、前日の料亭での暗殺と合わせれば三件。殺された公家家臣、奉行所与力、同心、全ての遺体に斬奸状が残されていたという。

騒然とした町の様子を目の当たりにした晋助は、京で何かが起ころうとしていると直感した。二日の間に三件の暗殺、ただの辻斬りや私怨による犯行にしては出来すぎている。


それから晋助が鬼灯屋に戻ったのは、夜が更けた頃であった。きっと薫は既に眠っているはずだが、番傘をたたみ宿のは中に足を踏み入れた時点で、彼は異変を感じた。どうにも静かすぎて、人の気配がなかった。

「薫……居ないのか?」

行灯の点った二つ続きの部屋を見渡すも、布団も敷かれていなければ人影もなく、香を焚いた残り香が仄かに漂っていた。ふと鏡台に目が止まる。彼女に贈った白粉(おしろい)箱が、真っ二つに割られて転がっていた。
箱の片割れを拾い上げて、晋助は察した。宿を空けていた間に、何者かの侵入を許したのだ。


その時、ヒュウ、と外の雨風が入り込んでくる。音もなく開いた雨戸と障子、その向こうに誰かがいた。

「高杉晋助殿とお見受けいたします」

くぐもった低い男の声が聴こえた。

「お連れ様は、我々が匿っております。どうか、ご同行いただきたい」
「薫を……?!」

薫が拐われた。
それを悟った晋助の目の前が、忽ち真っ赤に染まった。憤りとも怒りとも形容し難い激情が、脳天を突き上げてくる。

「ーーー貴様ァァッ!!」

晋助は、手にした白粉箱の片割れを男に向かって投げ付けた。
男がひょいとかわしたところを狙い、飛び上がるようにして掴みかかった。だが、ガタンと障子が外れただけで、そこに男の姿はない。男はなんと、天井の梁に捕まって晋助の頭上へと逃げていた。まるで忍のような身のこなしである。
行灯の明かりに照らされて男の姿があらわになるが、頭と口許を頭巾で覆い隠しており、顔は全く分からない。

晋助は続けざまに、懐の煙管を男の手の甲に向かって投げつけた。ピシッと音がして、男がそれに気をとられたところに隙を作り、晋助は窓際にあった座椅子を片手で持ち上げ天井向かって振り上げた。

「ぐっ!」

肘掛けの部分が、男の腿を激しく打つ。座椅子は派手な音をたてて畳を打ち、その弾みで花を生けた花器が倒れた。
脚を打たれて体勢を崩し、男が畳に降りてきたところを、晋助は足許を狙って蹴り上げた。男が尻餅をついた拍子に、襖が外れてバタンと倒れ、晋助は男を抑え込むように馬乗りになった。

そして座椅子を振り上げて、背凭れの部分を男の喉元めがけて叩きつけた。

ダンッ!!!

畳がかち割れるような音が響く。
晋助は男の喉を潰すようにじりじりと体重を加えながら、男を睨み付けた。

「薫をどこにやった。答えろ!」
「う、ぐっ……」

男は咄嗟に拳を重ねて自らの喉元を守っていた。ダラダラと脂汗をかきながら、声を絞り出す。

「私は、貴殿をお連れするよう命じられた使者に過ぎません……ここで争っているだけでは、お連れ様の元へはご案内いたしかねます……!」

容赦なく喉を圧迫し窒息させようとする晋助に、必死の懇願をする。

「お手を離されますよう……!どうか……!!」

男の顔が次第に青白くなっていく様子に、晋助は唇を細かく震わせながら、手の力を緩めた。冷静になれば、正真正銘の殺意が芽生えていたことに気付く。逆上のあまり、本当に殺す気で喉元を狙っていた。


座椅子を横に放り投げ、晋助は男を見下ろして言った。

「俺が帯刀していなかったことを幸いと思え。その首、今頃は繋がっちゃあいねェぞ」
「……そのようですね」

男は激しく咳き込みながら喉を押さえ、まるで鬼を見るような脅えた眼で晋助を見た。


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