鬼と華
□精霊蜻蛉 第三幕
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等持院とは、京にある足利将軍家の菩提寺である。
旅籠の主人に教えられた道を行くと、等持院は旅籠から程近く、表通りから少し奥まった目立たない場所にあった 。境内は薄く霧がたちこめていて、ぴりりと肌に凍みるように寒い。朝早いためか他に参観者はおらず、しんとした静けさに包まれていた。
薫は達磨図の衝立や、霊光殿に安置されている歴代足利将軍の木像を眺めた後、ぐるりと庭園を散策した。
庭園は、東の心字池と西の芙容池からなっていて、池の周りを色鮮やかな紅葉が彩っている。成る程、旅籠の主人の言うとおり、見事に植栽された木々が変化に富んだ多彩な面を見せている。山の紅葉とはまた違う、人の創意の手が入った巧みな光景。静謐さと相まって、心が洗われるような場所であった。
だが、池の回りを歩きながら、薫は奇妙な違和感を覚えた。等持院へ入ってからというもの、誰かに見られているような気がしてならなかったのだ。
不意に歩みを止める。すると、カサ、と木陰から落ち葉を踏み締める音がして、彼女の疑念は確信に変わった。
「ーーー誰?」
薫の声が、静かな庭園に響く。
「誰か、いるんでしょう。姿を見せなさい」
すると暫くして、木陰から一人の少年がひょっこりと現れた。
「やっぱり、ただのご婦人じゃないみたいだ。一応、隠れていたつもりだったのにな」
野袴を履いて頭巾を被っていたので、薫は寺院の小坊主かと思った。しかし、小柄で線の細い体型には、どこかで見覚えがある。
彼女が答えを見つける前に、少年は自ら打ち明けた。
「土佐勤皇党の間島拓馬といいます。あの時は、驚かせてしまってごめんなさい」
「あなた……!」
あの時というのは。嵐山の料亭の座敷、薫が奉行所与力の刺殺に出くわした時のことだ。一瞬だけ晋助と薫を見て、小動物のようなすばしっこさで去って行った少年が、今まさに目の前にいる。
細身の未熟な体格からして、犯人は少年だろうとは思っていたが、素顔を晒した彼は随分と幼く見えた。瞳や唇が丸くて、肌の色が透けるように白い。まるで人形のような顔立ちをしていた。まさか、白昼の暗殺劇を繰り広げた土佐勤皇党の刺客と、こんな場所で出くわすことになるとは。
鬼灯屋を発ちここに来るまで、つけられている気配はなかったものの、薫は警戒して尋ねた。
「もしかして、私をつけていたの?」
「まさか。ここに来たのは、僕の方が先だよ」
拓馬はそう行って否定し、辺りをキョロキョロと見渡して尋ねた。
「……あの、怖そうな包帯のお侍は、一緒じゃないの」
怖そうな、とは晋助のことだ。言い方がやけに子どもらしくて、薫は思わず声を上げて笑った。
「ええ、一緒じゃないのよ」
「朝早くから、こんなお寺でひとりで紅葉狩りなんて、変わってるね」
拓馬は肩を竦める真似をして、再び薫に尋ねた。
「それより、嵐山から離れてもいいの?実は、包帯のお侍とあなたが僕らの隠れ家に来た時、こっそり見ていたんだ。武市さんに、仲間になれって言われているところをさ……」
「……そう」
危害を加えてくる様子もなかったので、薫は池に沿って歩きながら、拓馬を促した。
「立ち話をしていても、仕方ないわ。少し歩きましょう」
薫の半歩後ろについて歩きながら、拓馬は足許の落ち葉を拾っていた。土のついていない、形のきれいな朱色の落ち葉。はい、と薫に手渡してくる自然な人懐っこさに、彼女は気持ちが緩んだ。
「あなたはどう思いますか?武市様と、手を組むべきだと思いますか?」
「武市さんは、あの包帯のお侍の力が喉から手が出るほど欲しいんだろうけど……」
拓馬は首を傾げて、少しの間考えて言った。
「あのお侍が普通じゃない狂気を秘めているのは、僕にも何となく分かった。復讐にとり憑かれて自分を滅ぼしていった人を、僕はこれまで何人も見てきた。憎しみを持ち続けるのは、とても疲れることだよ」
急に大人びた事を言うので、薫は驚いて彼の色白の横顔を見る。
「武市さんは、憎しみを巧く利用して自分の目的の為に使う人だ。でも、例えばこれから先、あのお侍が剣を手離したいと思った時に側に誰もいなかったら……剣の代わりに握る誰かの手が無かったら、また剣を握るしかなくなってしまう」
剣を握る者の言葉だと思った。血のへばりついた小太刀を手に、与力を刺殺した拓馬の姿が脳裡を過る。
「武市さんみたいな狡猾な人に良いように使われてしまうのは、あの人には勿体ない。それに、牙を突き立てる先をも忘れて暴走しようものなら、それこそ武市さんの思うツボだ。あなたみたいに、誰か近くにいる人が必要だよ」
「“良いように使われる”だなんて、そんな人があなたの近くにいるような言い方ね」
拓馬は武市の配下にいて、彼の指示で暗殺をしている。同じような仲間が、きっと他にもいるのだ。不遇な最期を遂げた者を見てきたからこそ、そう言うのだろう。
薫は拓馬自身のことが気になって、彼に尋ねた。
「ねえ……あなたには、剣の代わりになるような人はいるのかしら」
「やめてよ、お姉さん」
拓馬はさも面白そうに笑った。
「僕はまだ十五だよ。それに、僕は武市さんに言われた時だけ剣をとる。ぼくの意志じゃない」
その笑顔に、とても少年とは思えない冷ややかさを感じて、薫は背筋がゾッとした。己の意思でなく、人に言われて人を殺す。淡々と語る様に末恐ろしささえ覚える。
だが、拓馬は幼さの残る笑顔を薫に向けると、軽く片手を挙げた。
「じゃあ、僕は行くところがあるから」
音もなく、彼は庭園を抜けて薫の前から姿を消した。
その日、京都市中で幕府の役人が三人、何者かに斬殺されるという事件が起こった。
騒然とする往来を歩きながら、薫はそれが土佐勤皇党、武市変平太の差し向けた刺客の仕業であると確信していた。等持院で偶然出逢った間崎拓馬、彼の他にも刺客はいるだろう。だが、またあの人懐こい少年が、血で手のひらを汚したのかと思うと、悔しさとも哀しさともつかない、形容しがたい暗い感情を覚えた。
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