鬼と華

□精霊蜻蛉 第四幕
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「はあ……どうしたらいいかしら」

武市との話を終えた薫は、溜め息をついて肩を落とした。
懐から銭入れを取り出して、その軽さに再び溜め息をつく。とうとう、手持ちの金が尽きそうなのだ。

拓馬の無事を確かめるまで、彼女は京に留まるつもりだった。元々鬼灯屋に泊まっていたのだから、戻ればいいだけの話だが、まだ晋助と顔を合わせる気にはなれない。
そうなると、どこかの旅籠に世話になるところだけれど、余りの金では一泊できるかどうかも危うかった。


やがて、途方に暮れる薫に声をかける者があった。

「時に、薫さん」

ヌッと背後から武市が顔を覗かせ、薫はその不気味さにびくりと肩を震わせた。

「これから鬼灯屋まで戻るのなら、渡し船を出すよう部下に伝えますが。
どうします?」
「いいえ。宿に戻るつもりはありません」

薫がきっぱりと答えると、武市は怪訝そうに眉を寄せた。

「そう言えば先日、高杉殿がお一人でここに見えられましたよ。あなたを残して来られるなんて、妙だと思ったのですが。高杉殿との間に、何かあったのですか」
「…………」

薫は無言で武市を睨んだ。元はと言えば、武市が晋助との会談を実現させるために、薫を拐ったことが面倒の始まりだ。不和の原因を作った張本人に、 “何があったか”なんて訊かれるとは。

「他人のことに首を突っ込むなんて、随分無礼な人ね」
「おや、これは失礼」

ぴしゃりと薫が言うので、武市は大袈裟に首を竦めて見せる。
彼女は武市に背を向けると、荷物を手に抱えた。

「やっぱり、京都市中へ戻ります。武市様、船をお願いできますか」
「ちょっと、お待ちください!気になるのではないですか、拓馬のことが」

その時彼女を引き留めるように、隠れ家の中から若い男の声が聴こえた。

「少しの間、此処に留まってみてはいかがです」

そう言って現れたのは、一人の青年だった。
髪が長く、首の後ろで一本に結んでいる。端整な顔立ちをしており、涼しげな目許が印象的だった。

「おや、大石君。起きても平気なのですか」
「ええ」

大石と呼ばれた青年は、武市に向かって言った。

「仲間の危険を、わざわざ急いで知らせに来てくれた方だ。何もしないで、お帰りいただく訳にはいかないでしょう」

少し掠れた穏やかな声で、彼は続けた。

「京に潜伏している仲間があの子の為に動かない筈はないし、もしかしたら何か進展があるかもしれない」
「いや……此処は何も無い不自由なところですよ。薫さんも、こんな穴蔵のような場所は嫌でしょうに」

武市にそう言われつつ、薫は青年の思いもよらない提案にただ驚いていた。だが、ふと気付く。もしかしたら、銭入れを確かめて溜め息をついていたところを、見られたのではあるまいかと。

薫がじっと青年を見つめると、彼は目を細めて微笑みかけた。柔らかく、優しい目許であった。
それに、薄めの唇やすっと通った鼻筋に、どことなく晋助と似た面影がある。そう思うと、急に現れた青年に、不思議な親近感を感じるのだった。



◇◇◇



隠れ家に滞在するよう勧めた青年は、土佐勤皇党の大石行蔵という男だった。
元々は行蔵も拓馬と同じように、暗殺の刺客として動いていた。武市が人相書で手配されることとなった、土佐藩の要人暗殺事件では、武市の指示で行蔵が手を下した。

しかし肺の病を患ってからは一線を退き、脱藩して療養生活を送っていた。外気が体に障るようで、殆ど外へ出ることもなく、嵐山の隠れ家に隠伏する生活を続けている。


薫は行蔵の勧めにより隠れ家に一時世話になることにして、使者が拓馬の安否を報せに来るのを待った。武市は、晋助との会談のために薫を拐うよう指示した引け目があるらしく、勤皇党の仲間以外の者が滞在することに目を瞑っているようだった。
“働かざる者食うべからず”、彼女は武市や他の仲間の手伝いを進んで行い、書状の整頓や縫い物などをして忙しなく過ごした。

自ずと、隠れ家に隠りきりの行蔵とは接する機会が多く、人当たりがよく穏和な人柄に、薫はすぐに馴染んだ。何故、接点の無いはずの薫と拓馬が知り合ったのか不思議がっていたので、彼女は事の経緯を話して訊かせた。

「偶然が重なって、少しお話をしたのです。嵐山の料亭では恐ろしい姿を見てしまったけれど、等持院で会った時の拓馬さんはまるで別人でした。それに、三条大橋で小さな子に食べ物を分けている姿を見たら、どうしてこの子が刺客なんかと思って……」

話しながら、薫は改めて、拓馬とはほんの数度会話を交わしたに過ぎないのだと思った。執着とは言わないまでも、隠れ家に押し掛けるまで案じているのを、武市や行蔵が妙に思ってもおかしくはない。
薫自身、どういう理屈で助けたいと思うのかはうまく説明が出来なかった。

「どうしてか、放っておけなくなったのです。何だか危なっかしくて、ひとりきりでふらふらとして……」
「確かに、ふらふらしてることに変わりはないけど、拓馬はひとりな訳じゃないよ」

と、行蔵が薫の言葉を否定した。

「勤皇党の仲間は大勢いるし、それに土佐に戻れば、あれの妹がいる」
「……妹さんが?」
「寛政の大獄の直前に生まれたから、まだ小さいがね」
「でも、ご両親が亡くなってしまったのでは……?どなたが面倒をみているのですか」
「武市さんの庇護下にある老夫婦が育てているよ。拓馬が勤皇党の刺客として動いている限り、身の安全を保証する約束でね」

行蔵は、子どもの背丈を思い出すように、顔の辺りで手のひらを上下させた。

「まだ、ほんの小さい女の子さ。両親が処罰されたことも、幼くて覚えていないだろう。兄貴が捕まったことだって、勿論知らない。悲しいことは何も知らないで、穏やかに暮らしているんだよ、きっと」


薫は、色白で線の細い拓馬に、よく似た女の子を思い浮かべた。
ふと、等持院で拓馬が言った言葉を思い出す。

“剣の代わりに握る手が無かったら、また剣を握るしかなくなる”

そんな風に言った大人びた横顔と、三条大橋で孤児に握り飯を分け与える姿が、薫の中で繋がった。
拓馬にも、護りたいものがあるのだ。
故郷に残してきた、たった一人の肉親。

「そうだったの……」

薫は、俯いて目頭を押さえた。

「妹さんが、いたのね」

拓馬にも、手を差し伸べてくれる人がいる。
護りたいものが無い訳でも、信念が無い訳でもなかった。拓馬は彼の大切な者のために、命を張って生きようとしているのだ。

薫は彼女にだけ分かる理由で涙ぐみ、拓馬が見せた、人懐っこい笑顔を思い出した。


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