鬼と華

□君に捧ぐ百代草 第二幕
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夜が更けても、薫の眠りは浅かった。
ふと目覚めた彼女は、隣に晋助がいないことに気付いた。耳を澄ませると、通路の方から誰かの話し声が聞こえてくる。内容は分からないが、途切れ途切れに聞こえる低い声、独特の語り口から、晋助と武市が話しているのだと分かった。夜中、密かに交わされる鬼兵隊幹部の会話。聞いてはいけないことと直感したが、どうにも内容が気になって寝付けなかった。



翌朝、薫は晋助が外出した隙を見計らって、武市の許を訪ねた。

「武市様、お話があるのですが」
「何でしょうか、薫さん」

操舵室で書状に目を通していた武市は、無表情のまま薫を見た。どんな時も顔色ひとつ変えず、冷静沈着な隊の参謀。彼から話を聞き出すのは一筋縄ではいかないだろう。薫はそんなことを思いながら、武市に尋ねた。

「昨晩、晋助様から頼み事をされていたましたね。何を言われたのですか」
「さてはて。何のことでしょう」

表情の読めない顔で、武市は素っ気ない答えを寄越してきた。薫は強気で出た。

「よくないことのような気がしてならないのです。もし、答えていただけないのなら……」

彼女は切り札として持ってきた数冊の雑誌を、武市の鼻先にかざして見せた。

「あなたが貨物庫に隠している、いかがわしい本。没収してもよろしいですか?」

彼女の手にあるのは、年端もいかない少女が表紙を飾っている幼女趣味の雑誌である。

「全部で36冊。私物を貨物庫に隠すなんて、船の規律違反ですよ」
「あああああ!!!薫さん!何故それを!!」
「晋助様とのお話を教えていただいたら、きちんとお返しします」

雑誌を後ろ手に隠して、薫は断固とした態度で武市を見上げた。武市はがっくりと肩を落とし、暫く考え込んでいたが、

「…………ハア。晋助殿には、薫さんには伏せておけと言われたんですがね」

彼はそう前置きをして、ひそひそと語った。

「鎖国解禁二十周年の記念祭典が、来月ターミナルで行われるのはご存知でしょう?そこでの余興に、平賀源外とかいうカラクリ技師にカラクリ芸を披露するよう、関係筋に進言しろとのことでした」
(源外様に、カラクリ芸を……)
「幕府筋にはかつての土佐勤皇党の仲間が潜伏してますから、ツテを辿れば難なきことですが……。晋助殿が一体何を考えているのか、皆目見当がつかないものでして」
「記念祭典というのは、幕府が主催する催しなのですか?」
「いかにも。幕府高官は勿論、各星大使などの要人も勢揃いですよ。何せ天下の将軍様がお出ましになるのですから」
「まあ……将軍様は参拝以外の行事では、滅多に城下に出ないものだと思っていました」
「外交上重要な意義を持つ祭典ですからね、巷に溢れる攘夷派浪士達には、攘夷決行の絶好の機会でしょうな。警察共の監視の目が厳しくなることは請け合いですが、晋助殿が総督を、そして私が参謀を努める鬼兵隊においては屁でもありません。晋助殿が何を見せてくれるのか、高みの見物といきましょう」

薫には嫌な憶測が過った。
晋助は平賀源外をけしかけて、よからぬことをさせようとしているのではないか。憎しみも苦しみも、人を動かす原動力になることを、彼女はよく知っている。
ただ老いていくのか、晋助にそう尋ねられ、 肩を震わせていた源外の小さな背中。その時彼が何を考えていたのか、彼女には想像も出来なかった。



甲板に出てぼんやりと海を眺めていると、また子がふらりとやって来た。

「げえっ!姐さん何持ってるんッスか!?」

彼女は青い顔をして、薫の手にあるものを指差した。薫は武市の雑誌を持ったままだったのを思い出して、咄嗟に弁解した。

「あっ、これは武市様の……」
「はああ!?汚らわしいッスーー!!」

また子は大声を上げて、薫の手から雑誌を奪うとそのまま海へと放り投げた。パシャン、と音がして、雑誌は海の中へ消えていく。

「参謀だか何だか知らないッスけど、あの顔立ちは天性の変態だと思ってたッス!!やっぱり私の予想通りッスね!あの変態、ちょっと締めてくるッス!」

憤慨して、大股で船に戻るまた子の背を見つめながら、薫はフフ、と小さく笑った。船で暮らしていれば常に誰かがいて、何かが起きて、言葉を交わして笑ったり、怒ったりする。
かぶき町、源外庵にひとり暮らす平賀源外を思う。あの広い、雑然とした作業場で、彼は何年もひとりで過ごしている。遠くにある妻や息子を思いながら、彼がどれだけの孤独を抱えているのか、見当がつかなかった。


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