鬼と華

□君に捧ぐ百代草 第三幕
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幕府主催の開国記念祭典が開催されるまで、一週間を切った。江戸の町の至るところに、祭典を知らせる掲示がされている。様々な催し物の中でも、江戸一番の発明家として名高い平賀源外のカラクリ芸は一番の見所とされていた。


薫は晋助に許しを得て、再び源外庵を訪れた。
作業場はまた様変わりしており、以前は手足や胴体がバラバラだった機械(カラクリ)兵達がほぼ完成し、ぴかぴかに磨かれて壁沿いに並んでいた。

作業場で金属を打っていた源外は、薫の姿を見つけて低く笑った。

「アンタも物好きだねェ。こんな老い耄れとカラクリの住処を訪ねて、楽しいのかい」

薫は黙って笑みを返した。祭典でカラクリ芸を披露するという機会を利用して、源外が不吉な企てをしているのではないか。本当はそのことが気掛かりであるなんて、彼女の口からは言えなかった。

「あの……源外様」

彼女は、控えめに尋ねた。

「随分、機械(カラクリ)兵が増えましたね。お祭りでお披露目するのですか」
「天下の将軍様の御前で芸を見せるんだ。これでも足りねェくらいだよ」

と、源外が鼻息を荒くして言う。祭典での大きな役目に高揚しているようにも見え、薫はそれ以上は訊けなかった。

やがて作業場の奥から、部品の入った大きな箱を持って、機械兵の三郎が現れた。他の機械兵とは違って、“彼”は源外の助手のような役割をしているのだろう。

「三郎さん、こんにちは」

薫は軽く頭を下げて、三郎に笑いかけた。

「お祭りが近いから、三郎さんも大変ね。力仕事は骨が折れるでしょう」
「おかしなことを言うねェ。機械(カラクリ)にゃあ、疲れるなんて感覚はねェんだよ」

源外はそう言って、ガハハハと豪快に笑う。
機械兵の三郎はガシャン、ガシャンと足音をたてながら裏手に引っ込んだが、暫くして、その手に小さな菊の花を持って戻ってきた。そして薫の前に、スッと花を差し出した。

「私に、くれるの?」

その様子に、源外はますます面白そうに声を上げて笑った。

「三郎のヤツ、アンタのことが気に入ったようだなぁ」

どうやら作業場の裏手に、背の低い黄色の小菊が咲いているようだった。
自生したものではないだろうし、源外が植えたものだろうか。薫がそう考えていると、源外が言った。

「あそこの花はなァ……、三郎のヤツがよ、戦に行っちまう前に植えていきやがったのさ」
「三郎様が?」
「一体どんなつもりで花なんか残していったのか……クソ息子のやるこたァ、俺にゃよく分からねェよ」
「昔、三郎さんに聞いたことがあります。江戸では菊の花を植えるのが流行りだったんでしょう?きっと、きれいなお花を源外様に見せたかったんですよ」

薫は攘夷戦争の頃、三郎と菊の花について話をしたことを思い出した。


“菊には色々異名があってね”

三郎はそんな風に切り出して、

“花や葉の露を飲むと長生きするって伝説から、千代草(ちよぐさ)、他の花より遅く咲くから弟草(おととぐさ)……”

と、薫に教えたものだ。
様々ある異名を思い出すうち、薫はふと菊の花を詠んだ歌が思い浮かんだ。

「父母が 殿の後方(しりへ)の
百代草(ももよぐさ)
百代いでませ わが来たるまで……」

金属を打つ合間にも、源外の耳にも歌が聴こえたのだろう。彼は工具を握る手を止めて、薫を振り返った。

「何だい、そりゃ」
「昔の和歌ですよ」
「和歌?俺ァ機械のことしか知らねェからなァ。そんな高尚な学はねェや。一体、何て意味なんだい」

薫は、菊が慎ましく咲く様子を見つめながら答えた。“百代草”もまた、菊の花の異名だ。

「父様 、母様が住む母屋の裏手に咲く菊の花。百代(ももよ)に渡るまでも、私が帰ってくるまでどうか、達者でお過ごし下さい……
そんな意味ですよ」

源外は何も言わずに、手を動かし始めて作業に戻る。
その無言の背中を見つめながら、薫はふと気付いた。三郎が戦に出る前に菊を残していったのは、もしかしたら、歌に詠まれたような密かな願いを込めていたのではあるまいか。

彼女は腰を浮かせて、興奮気味に源外に呼び掛けた。

「源外様……三郎さんが菊の花を植えていったのは、きっと、あなたの息災を願っていたからですよ」
「…………」
「三郎さんは、菊に百代草という呼び名があるのを知っていたんでしょう。戦から戻る時まで、ずっとあなたに元気でいてほしいと。必ず、いつかは戻ると……」

その時、ガシャン!!と大きな音が作業場に響き渡った。源外が手に持っていた工具を、乱暴に工具箱に叩きつけたのだ。
薫が脅えた目で源外を見ると、彼は薫の方は一切向かず、足許を睨んだまま言った。

「戯言はやめにしちゃあくれねェか。今更、そんな昔のことを蒸し返したって何にもなりゃあしねェだろう」

苛立ちを抑えている声だった。
源外は薫に背を向けると、大股で作業場の奥へと引っ込んでしまった。

「仕事の邪魔だ。もう帰ってくれ」

ぶっきらぼうな声がして、彼はそれから、とつけ加える。

「隻眼の侍に、“間に合いそうだ”と伝えてくれ。じゃあな」
「…………」

薫は言伝ての意味を訊こうとしたけれど、源外は奥の方から出てこようともしない。機械兵の三郎が、不安そうな様子でじっと薫を見つめていた。

彼女は後ろ髪を引かれる思いで、何度も何度も振り返りながら源外庵を後にした。


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