鬼と華

□寒椿の追憶 第一幕
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冬の日没は早く、夕方になったと思ったらあっという間に夜闇がやってくる。薫とまた子は、日が暮れる前に急いで鬼兵隊の船へと戻った。

操舵室に着くなり、また子は目を輝かせて紙袋から買い物の戦利品を取り出した。女物の下着やら小物やらを広げるのを目にして、船員達は決まり悪そうにそそくさと出ていく。

「……あれ?」

袋の中を覗きこんで、また子が不思議そうに首を傾げた。

「袋の中に、椿の花が」

彼女の手にあったのは、真っ赤な椿の花だった。
椿の花からは微かに甘い匂いがして、花弁はまるで染めたての生地のように、鮮やかな赤色をしている。椿など江戸の繁華街のどこにも咲いておらず、薫はふと、町ですれ違った浪人を思い出した。確証はないが、もしかしたら彼の仕業かもしれない。

「何だか、気味が悪いわね……」

薫は背筋がうすら寒くなるを感じた。真っ赤な花をいくつも咲かせる椿は、人目を集める艶やかな花だ。だが、ポトリと花首から散る様子が斬首を現しているようでもあり、白い椿ならなおさらのこと、白装束をも連想させる。
花期を終えた椿の花が地面にぼとぼとと転がっている様は美しいとは言えず、どうも不吉に感じてしまうのだ。

「お二人とも、浮かない顔をして。町で何かあったのですか?」

やがて操舵室に、武市変平太と河上万斉が入ってきた。
薫が町で不審な浪人に会ったこと、荷物に椿の花が入っていたことを説明すると、武市は花を手に取って言った。

「椿は確かに不吉な印象がありますが、元来魔除けの力を持つとされて、 神事には欠かせない植物だったのですよ。 平安の時代、椿の枝で作った卯杖をお正月の行事に使っていたのですから。冬枯れしない常緑樹ですし、昔の人々は生命力の強さを感じたのでしょうな」

それから彼は、花からほのかに匂いがするのを確かめた。

「それに、一言に椿と言っても色々な種類があります。これは“寒椿”ですよ」

武市が言うには、冬に咲く椿は寒椿や早咲の椿と呼ばれて、椿と区別されるそうだ。普通の椿と形は似ているものの、匂いや散り方に差異があるらしい。

「女性の荷物にこっそり花を入れるなんて、新手のナンパでしょう。気に病むことではありませんよ」

武市がそう言って操舵室の一角に花を飾っていると、万斉が神妙な表情で呟いた。

「近頃、江戸市中で数件の辻斬りが起きているのを知らぬでござるか?胴体を逆袈裟に一太刀……下手人は相当な居合いの達人という話らしいが、現場には決まって、一輪の椿が落ちているとの噂がある」
「え!?それって、まさか……」

また子が疑わしい目で万斉を見るので、彼は苦笑して否定した。

「そんな目で拙者を見るな。居合術に長けた浪人など、そこいらにゴロゴロいるでござる。それに、拙者が人を斬って花を手向けるなど、そんな殊勝な真似をすると思うでござるか?」
「まあ、確かにそうッスけど……」
「また子、主もたまにはおなごらしく、己の身を案じろ。“紅い弾丸”との異名を持つ主を、付け狙う輩がいてもおかしくはないでござる」

万斉の忠告を聞くなり、また子の表情が変わった。先程までは下着が云々とはしゃいでいたのに、彼女は闘志をみなぎらせた目で、椿の花を睨み付けた。

「寒椿の下手人ッスか。この私に花を寄越して宣戦布告とは、全く持って不敵、いい度胸ッス。私の二挺使いで返り討ちにしてやるッスよ!」
(……寒椿の下手人……)

薫は心の中で繰り返して、肩を強張らせた。
町ですれ違った浪人、彼がその下手人だとしたら。彼女やまた子に向けられた殺意が本物であれば、万斉の言うことも的はずれではない。

「狙いは、また子とは限らぬ。用心するでござる」
「……分かっております」

万斉が低い声で囁いて、薫は唇を結んで頷いた。
機材だらけの船内に、赤い椿はひどく不釣り合いで、その場所にだけ不穏な空気が漂っているようだった。


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