鬼と華

□寒椿の追憶 第二幕
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下手人を捜せという晋助の指示があってから、武市は早速動き始めていた。
かつて武市が盟主として束ねていた、攘夷派集団の土佐勤皇党。当時彼の配下は土佐に二百、全国には五百を下らない協力者が散らばっており、彼は当時のつてを辿って、万斉を襲撃した犯人を探り当てようとしていた。


数日後、鬼兵隊の船にまた子の威勢のいい声が響いた。

「武市変態!!例の浪人の件、何かわかったッスか!?」
「変態じゃありません先輩です」

通路で呼び止められた武市は、溜め息混じりにまた子を諭した。

「今、かつての部下から報告が届いているところですよ。万斉殿の証言では、盲目に白髪、相当の居合いの心得がある浪人とのこと。大体の目星はつけられそうです」
「それで?……それで?!」

まとわりつくまた子を鬱陶しがっていた武市だが、彼女のしつこさに根負けし、手元にある情報を打ち明けた。

「橋田屋という豪商を御存じですか」
「橋田屋?」
「元は幕府開闢より続く老舗の呉服屋でしたが、時代の変化と共に事業を多角化し、今や江戸屈指の巨大企業に成長した商家ですよ。その現当主が攘夷志士のパトロンのようなことを……要はゴロツキ共の浪人を雇って、援助する代わりに商いの手伝いをやらせているとか。そこに腕の立つ盲目の浪人がいると、そんな噂が流れているようです」
「なら、橋田屋に潜り込んで、ソイツを引っ捕らえてくればいいってことッスね?!」
「ハア……。アナタはコレだから猪女と呼ばれるのですよ」

また子が息巻いて言うのを、武市は冷静に制した。

「橋田屋に関しては、いい話を聞いたことがありません。商売の為でしょうが、よからぬ連中との繋がりがあるとか黒い噂が絶えないのです。迂闊に行動を起こすのは危険ですし、私の参謀としてのやり方に反します。今少し、真偽のほどを調べてから……」



◇◇◇



その晩、また子は人気のない甲板に薫を呼び出した。彼女は武市から聞いたままを話し、薫にある提案を持ちかけた。

「橋田屋にいる盲目の浪人。そこまで分かっているなら、あとは行動あるのみッス。万斉先輩をあんな目に遭わせた奴を、私達で始末しに行くッス!」
「ええっ?!」

薫は思わず大声を出してしまい、ハッと自分の口を押さえた。
武市が下手人捜しに動いていることは知っていたが、まさかまた子の口から、女だけで橋田屋に侵入するなどという無茶を聞くなんて。ましてや、万斉に傷を負わせる程の浪人を相手取ろうなど、正気の沙汰ではない。
彼女はまた子を思い留まらせようと、言葉を並べた。

「でも、武市様はもう少し調べてからと判断されたのでしょう?いくら何でも無謀だわ。今動かなくとも……」
「相手の動きを探る間にとんずらされたらどーするんスか。今は隊士達は暇を貰って船に居ないし、男なんて当てにならない。私達以外に誰がやるって言うんスか」
「だって、そんな危険を冒すなんて……晋助様が知ったら、何と仰るか分からないわ」

また子は、はああと大袈裟にため息をついた。

「でもとか、だってとか、薫姐さんも大概度胸が無いッスね」
「何ですって?」

薫はカチンときた。女同士というのはいい意味でも悪い意味でも遠慮がない。また子は挑発的な瞳で彼女を睨んで、続けた。

「やられっぱなしは鬼兵隊の名が廃るッス。もしソイツが私達を見て狙ってきたら、奴の狙いは鬼兵隊ということが確実。これ以上、晋助様や他の仲間達にまで危害を及ぼす訳にはいかないッスよ」

また子が言うのを見て、薫ははっとした。また子は悔しくてならないのだ。仲間を、万斉がやられたのことが許せず、ただ船の中で回復を待つだけではいられない。何かをしなければ、そう思う余り、敵地に潜入という案を思いついたのだろう。

薫とて、万斉が傷を負ったことはショックだった。それに晋助や武市もこの件に動揺し、並々ならぬ怒りをいだいていることも知っている。他の仲間に危害を及ぶのを危惧する気持ちも、また子と全く同じである。

「……分かりました」

薫は頷き、また子に条件を提示した。

「でも、橋田屋に本当にその浪人がいるのか、調べるだけにしましょう。その後は武市様と相談して決めればいいわ。相手は万斉様と互角に戦う相手……また子さんの銃の腕前は信頼しているけれど、あなたにまで何かあったら耐えられないから」

また子は微笑んで頷き、懐から小型の拳銃を取り出して彼女に渡した。

「持ってて下さいッス、護身用の小さいヤツッスけど。何かあった時のために」
「随分用意周到ね」
「女は度胸って昔から言うじゃないッスか。姐さんがホントは行動派なの、私知ってるッスから」


そんな女達の密約が交わされてから、鬼兵隊の船は静かな年越しを迎え、新年が訪れた。彼女達が橋田屋侵入を決行したのは、仕事始めと言われる年始早々の時期であった。

巨大企業橋田屋の自社建物は、ターミナル付近の高層ビルの中でも群を抜いて立派である。最新の建築技術を駆使した近代的な構造、厳重なセキュリティ。持てる財力と贅を尽くした、橋田屋の繁栄そのものを象徴するような建物だ。
その従業員用通路に、また子と薫の姿があった。彼女達は他の従業員が出入りするのに紛れて、セキュリティゲートのない裏口からこっそりと内部に侵入することに成功した。事務員風の体の女二人が入っていくのを、怪しむ者は誰ひとりいなかった。

「裏の通路からこんなに簡単に入れるなんて、ラッキーッスね」
「しっ!静かに」

二人は広々とした社内の廊下を歩きながら、それとなく周りを観察した。一般の社員に混じって、帯刀している男達が何人か歩いている。廃刀令の時代に堂々と帯刀しているのは、幕府に帯刀を許された警察等か、それに仇なす者達のどちらかである。武市が言っていたように、確かに攘夷志士達を囲っているのは確かなようだ。

ふと、薫は壁にもたれて腕組みをしている浪人に目が留まった。
白髪で背が高く、どこかで見たことがある佇まい。
彼女はハッと思い出し、近くにあった備品倉庫に慌ててまた子を連れ込んだ。

「何ッスか、急に!!」
「見ましたか?あの人……そこに立っていた、白髪の浪人」

薫は、はやる鼓動を抑えて言った。

「以前また子さんと街に出掛けた時、椿の花が袋に入っていたことがあったでしょう?その時、あの人とすれ違ったのよ!」
「えっ!?」
「尋常じゃない気配を感じて、奇妙だと思っていたけれど……私達に椿の花を寄越したのが、もし襲撃の予告だったとしたら……」
「じゃあ、アイツが寒椿の下手人?」

倉庫の暗がりの中で、また子の目が猛禽類のように光った。やっと獲物を見つけた、彼女の目はそんな風に見えた。
彼女は倉庫の外に目線を走らせ、唇の端を歪めて笑う。

「万斉先輩を襲ったのも、あの男かもしれないってことッスか……」

そう呟いた時、また子の背後にヌッと黒い人影が立った。


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