鬼と華

□寒椿の追憶 第三幕
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程無くして、似蔵は再び仲間から吉原へ誘われた。
今度は別の遊郭へ行くのかと思いきや、仲間は以前と同じ“みなとや”の若い衆に声をかけた。一旦女を取ったら、次も同じ見世、同じ遊女を指名するのが吉原の暗黙の決まりだった。
当然、似蔵は再び椿と座敷を共にすることとなる。

「お侍様、必ずまた来てくれると思っていんしたが、随分遅かったでありんすねえ。椿は待ちくたびれんした」

椿は似蔵に酌をしながら、そんなことを言った。当然ながら、本心では似蔵のことを待ってなどいない。なかなか見世に来ない客にわざと恨み辛みの欠片を見せて、客の心を揺さぶろうとする遊女の客あしらいだ。

そんな風に椿があれこれと話をするのを、似蔵は適当な相槌を打ちながら食事をした。酒も飲み暫くすると、やはり眠くなってしまう。彼は真綿の布団に潜り込むと、穏やかな寝息をたてて眠ってしまった。

(何さ、人が持てなそうとしてる時に!)

椿は心の中で悪態をついた。遊女と言えども矜持はある。客に対して懇切丁寧接しようとしているのに、相手は酌を受けるのもそこそこに早々と寝入ってしまう。一度ならず二度までも、こんな風に邪険にされては腹が立って当然というものだ。

それから一月後、似蔵が再び椿の元を訪れたが、彼女は形式通りの挨拶だけはしたものの、余計なことを喋らなかった。静かなことをいいことに、似蔵は何も言わず飯を食い、朝までぐっすり眠って明け方に帰っていった。

椿は似蔵のことを、遊女のもてなしを一切受けない無礼な客として周りの遊女達に愚痴を漏らし、「眠り小僧」と仇名をつけて触れまわった。



◇◇◇



似蔵がみなとやを訪ねて、四度目のことだった。

いつも正門から入って若い衆に金を払い、座敷に案内されるのだが、どうも裏口の方が騒がしかった。聞き覚えのある声がしたので、似蔵は座敷に入ったように装って、こっそりと裏口の方に騒ぎを見に行った。
すると、着物がどうだ代金がどうだと、椿と呉服屋らしき男が言い争いをしていた。

「商人の客が教えてくれたんだよ!アンタ、あたしらにわざと高い金で着物売って、親方に裏で金回してるね!?金輪際、アンタなんかの言い値で払いやしないよ!今まで余計に払っちまった分、チャラにしな!」
「言い掛かりはよしとくれよ!証拠もないのに!」
「あたしの身代金幾らだと思ってんだい。これ以上借金膨らませてどーするつもりなんだよ!」

椿が唾を飛ばして激昂していた。座敷でしおらしく酌をする普段の姿とは、まるで別人だった。

(着物……?借金してまでか?)

吉原の事情に疎い似蔵には、何で揉めているのかが分からなかった。
遊女は客商売、客の目を惹くように艶やかな着物を着て髪飾りで煌びやかに装い、白粉をはたいて化粧をする。そのため同じ格好をしている訳にはいかず、着物や化粧道具を揃えるのだが、自分の稼ぎでは買い切れないため見世から借金をするのだ。
遊女は吉原の外の事情を知らないので、楼主は商人達と結託して上乗せした値段で遊女に売り、楼主はいくらかの利益を得ていた。どこの見世でも行われている、楼主の小銭稼ぎである。だがそれを知った椿は、理不尽さに我慢がならなかったのだ。

いよいよ呉服屋に掴みかかって噛みつこうとしたところ、若い衆が楼主を呼んできた。楼主は年配の女性で、椿を呉服屋から引き剥がすと、彼女の頬を強くぶった。

「いい加減にしなっ!椿!!」

椿は玄関に尻もちをついて転がり、頬を押さえて楼主を睨みつける。

「もう客が見えてるんだよ!さっさと座敷へ行きな!次に喧嘩吹っ掛けたら折檻部屋行きだよ!!」

似蔵は人に見つかる前に、座敷に戻り椿が来るのを待った。
暫くして椿はやって来たが、着物こそ着替えて化粧もしていたものの、頬の赤い腫れ跡は化粧では誤魔化せないようだった。

意気消沈した様子で形式通りの挨拶をし、酌をしようとした椿の腕を、似蔵は咄嗟に掴んでいた。

「!」

バッと顔を上げた椿と、至近距離で視線が重なる。彼女の目は少し赤くなって充血していた。泣いていたのだ、と似蔵はすぐに分かった。

「大丈夫か?お前……」

似蔵の言葉を聞くなり、椿の表情はぐにゃりと歪んだ。泣き出すのかと思ったが、彼女は決まり悪そうに笑って言った。

「あんた、聞いてたんだね。みっともない所、見せちまったね」

椿は喧嘩の流れから、廓言葉を使うのを忘れていた。だが似蔵も椿も、お互い気を留めなかった。

「お前、借金があるのか?身代金って……」
「私、吉原(ここ)に売られた身だもの。働いて身代金を返さなきゃいけないんだよ」

遊女達は、そのほとんどが外から身売りされてきた女達だった。貧しさゆえ親に売られた者、借金のかたに売られた者。事情は様々だ。吉原は幕府公認、そして人身売買は幕府が禁止していたため、公には「奉公」という形で売られていた。

「“奉公”なんて言えば言葉はキレイなもんさ。けど、吉原(ここ)に売られてから気付いたのさ。遊女は自分の着物やら帯、髪飾り、化粧代に部屋代、全部自分で揃えなきゃならない。でも、金なんて一銭も持ってやしないだろう?だから見世から借金するのさ」

着物を買ったところで一回では支払えないため、結局また楼主から金を借りることになって、芋蔓式に借金は増えるのだと言う。

「借金なんて増える一方。新しい着物を一反、白粉一瓶買おうものならまた借金。お客から少しでも金を多く巻き上げて、借金返さなきゃってそればっかり考えてさ…………なんてこと、ホントはお客の前で言っちゃいけないんだけど……」
「……それでも、少しずつ働いて返していくしかないんだろう?」
「分かってるさ。でも、この先何年かも今のような生活を続けていくのかと思うと、ウンザリしちまってね」

椿は溜め息をついて、無造作に髪を撫で付けた。

「ああ、嫌な話、しちまった。アンタは一応、吉原に遊びに来てるのにね。…………すまないね」

椿は哀しそうに笑った。いつもの商売用の、飾って気取った笑顔ではなかった。女の物憂げで儚い表情は、なんとも言えぬものだと、似蔵は彼女の横顔を見て思った。

常夜の街吉原も、結局は外の世界と変わらない。遊女達は皆、己の境遇を悩みながら必死に生きている。
似蔵は故郷の土佐で、下級郷士として生まれたために身分の差に苦しみ、それが嫌で故郷を捨てた。それが出来る自由が、吉原に売られた遊女達には無いのだ。

「今日もあんたは、飯食って酒飲んで眠るんだろ?話聞いてくれた御礼に、台の物増やしてもらうよう言ってくるよ」

椿はそう言い残して、一旦座敷を出た。
その時彼女の後ろ姿を見上げて気付いた。彼女が着ていたのは、象牙色に赤や白の椿の花が描かれた染めの着物だった。よく似合っていて、彼女そのものが椿の花のようで、似蔵は初めて人を見て美しいと思った。だが、そんな気のきいた言葉をかけられる筈もない。


結局いつも通り、似蔵は飯を食って眠って、明け方に帰り支度をした。だが、普段とひとつ違っていたのは、帰り際、彼は椿に頼み事をした。

「紙と筆を貸してくれ」

似蔵は便箋に歌を書き留めて、椿に贈った。己の感じた気持ちを代弁するように、昔の和歌集の古い歌を思い出して書いたのだ。
だが、面と向かって椿に読まれるのはどうにも恥ずかしく、彼は別れの挨拶もせずに、逃げるようにみなとやを後にした。


(……何て書いてあるんだろう)

しかし、椿は字が読めなかった。
見世の親しい姉女郎に紙を見せたところ、彼女はにやにやしながら、読み方とその意味を教えてくれた。

“あしひきの八峯(やつを)の椿つらつらに 見とも飽かめや植ゑてける君”

葦や桧の生えるたくさんの峰に咲く椿。その椿を一輪一輪ごとに、眺めても見飽きることがあるだろうか。そんな美しい椿を植えているのは、その美しさにも勝るのは、あなただ。


その意味を知るなり、椿は真っ赤になって自分の座敷に引っ込んでしまった。
一風変わった剣客から贈られた椿の歌を、彼女は大切に化粧台の奥へとしまった。この時、似蔵は十九、椿は二十二。春先の出来事だった。




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