鬼と華

□寒椿の追憶 第五幕
2ページ/3ページ


新たな船に移り、鬼兵隊の隊士の面々は生き生きとして、船は日々活気に溢れていた。
外向きには武器庫とされている紅桜の量産工場には、村田鉄矢が夜な夜な訪れ、最後の調整に余念がなかった。“生きた刀”、紅桜が実戦を積む準備は既に出来つつある。後は持ち主となる男を待つのみであった。


ある晴れた日の朝方、晋助は行き交う隊士達を眺めながら、甲板で一服していた。春の柔らかい陽射しが燦々と降り注ぎ、その合間に、強い風が吹き付ける。朝東風と呼ばれる、花の咲く時期の到来を告げる風だった。

「春先の風は強いですね」

背後から柔らかな声が聴こえて、晋助の隣へ薫がやって来た。
紅い模様がパッと目に飛び込んできて、それが彼女の纏う着物の柄だと気付くと、晋助は灰を落として目を細めた。彼女は象牙色の生地に赤や白の椿を散りばめた、染めの小紋を着ていた。

「今時期になって、椿の模様か。もう桜が咲いている頃だぞ」
「この冬は色々あって……なかなか、このお着物に手が伸ばせませんでしたから」

薫は裾の椿模様に視線を向けてから、それに、と言った。

「冬の椿は首から落ちるので、身に纏うのは縁起がよくないんですよ。何より花が盛りを迎える時期には、描かれた花ではなくて、実際に咲く花を愛でたくなるものでしょう」

実物の花に遠慮して引き立てようとするかのような奥ゆかしさだと、晋助はそう思って微笑んだ。

「敢えて散り際の花を選んで纏うってわけか」
「季節の柄を必ず着るのが、お着物の決まりごとではないですもの」

四季の花が描かれた模様は、実際の季節が巡るのより先取りして着ることが粋だと、よく云われている。そして、花の咲く華やいだ季節には、実物の花を引き立てて落ち着いたものを。花が咲かない淋しい季節には、己が花となるかのように艶やかに。
柄だけでなく色も季節を意識したものを取り入れて、装いは時節を通じて、ひとつの物語となる。

(俺は今まで、気付かなかったんだろうか)

自然の移り変わりは、昔よりもいっそう鮮やかに晋助の眼に映るようになった。片方の瞳を無くしているにも関わらず、だ。それは薫の装いと彼女自身の心に、同じような美しさや変化があるからだ。

春の盛りを迎える頃には、彼女はどんな装いで、己の隣を彩るのだろう。


「今年はいつ、お前の桜模様を見れるんだ?」

晋助が尋ねると、薫はあからさまに非難の視線を晋助に向けた。

「先月には、もう何度も着ていましたよ。桜が舞う季節に合わせて桜を着るなんて、何だか野暮ったいんですもの」

船の移転と紅桜に執心していた為か、先月の薫の装いはあまり記憶に残っていない。彼女が見るからにむくれた表情をしていて、晋助は可笑しくて堪らなかった。

「怒ってるのか?俺が気付かなかったのを」
「怒ってなどいません。ただ、一番野暮なのは、女の装いにあれこれ言う晋助様よ」

珍しく薫が嫌みめいたことを言う。晋助は肩を揺らして笑いながら、彼女のツンとした横顔を眺めた。

笑っても泣いていても、怒っていても。表情が変わる度に、花が咲き、散り、再び咲くかのような変化を見ているようだった。
季節が幾度も繰り返し巡るのと同じように。彼女の魂は四季の輝きを映しながら、いつまでも、己の隣で咲き続けるのだ。


そんなことを考えていると、船着き場の方が騒がしくなってきた。晋助と薫が不思議に思って顔を見合わせると、隊士のひとりが焦った様子で甲板へ駆けてきた。

「総督!」
「何だ」
「総督に用があるとかで……妙な浪人が来ています」

隊士は不信感を露にして、警戒している。晋助は甲板の柵から身を乗り出して、船着き場の方に視線をやった。
そこには、ひょろりと背の高い白髪の浪人が佇んでいた。帯刀せず丸腰で、見張りの隊士達も剣を抜くわけにもいかず、浪人を囲んだまま戸惑っている。

「俺の知り合いだ」

晋助は隊士にそう告げて安心させると、声を張って浪人に呼び掛けた。

「随分と遅かったじゃねェか」

晋助の一声がきっかけとなり、隊士達は警戒を解いて道を開けた。浪人はゆっくりとした確かな足取りで、船へと歩みを進める。


鬼兵隊の船に現れたのは、人斬り似蔵こと、岡田似蔵であった。
薫が驚き、目を丸くして晋助を見る。

「晋助様、これは一体……?」
「心配いらねェよ」

晋助は微笑んで言った。

「別に始末をつけようと思って呼んだ訳じゃねェ。奴は万斉やまた子、お前とまでお知り合いの仲だ。この際、隊に引き入れちまった方が早い。
ただ、それだけの話さ」



◇◇◇



晋助は薫を自室に下がらせて、似蔵を連れて鬼兵隊の船を歩いた。通路を行く隊士達は、総督たる晋助が見知らぬ浪人と歩いているので、興味津々に彼らを見ている。

乗船してからずっと押し黙っていた似蔵だが、晋助とふたりとなったところで、溜め込んでいた恨みを吐き出すように言った。

「あの時あんたに剣を砕かれて……女を亡くしてからの年月を、まるごと潰されたような思いがしたよ」
「そりゃあ、すまねェことをしたな」
「それなのに、あんたが俺を呼んだのは、仲間の顔が割れたからだと、そんな下らない理由だってのかい」

薫がいる手前晋助はそう言ったが、それが本当の理由である筈がない。

「黙ってついてきな」

晋助は似蔵を一喝して、大股で船の奥へと進んだ。


彼が似蔵を連れて入ったのは、表向きは武器庫である、紅桜の工場であった。重い扉に鍵をかけ、彼らは生きた刀を目の前にして立つ。
紅桜は巨大な機械(カラクリ)に繋がれ、刀身に埋め込まれた人工知能が仄明るい光を放っていた。

「瞳には映らなくとも、この光、お前なら感じとることが出来るだろう」

晋助はそう言って剣の柄を握り、妖しい輝きをじっと眺めた。
使用者に寄生する刀というだけあって、手にした瞬間は独特の、えもいわれぬ感覚がする。これを手にした似蔵がどんな反応を示すのか、晋助の胸のうちに期待が膨らんだ。

「冬は過ぎ去った。椿の季節はもう終わったのさ。今の季節に似合いなのは……桜だ。それも、紅い桜がな」

晋助は剣を、スッと似蔵の目の前に差し出した。

「この“紅桜”をお前にくれてやる。こいつァ、お前が欲しがっていた光であり、“力”そのものだ。剣を折られてずっと闇の中にいちゃあ、いい加減退屈しただろう」
「…………」

似蔵は無言で剣を握った。その辺の刀とは、次元の違う別物。それが分かったのか、彼は暫く閉じた瞳で剣を見つめていた。
だが、やがて自嘲気味に笑った。

「女よりいいモノをくれてやる、あんたは俺にそう言った筈だ。一口(ひとふり)の剣、こいつで俺は満たされるのかい」
「さァな。この剣が人生を導く光となるのか、破滅の光となるのか……それはてめェ自身で見定めな」

似蔵は暫く黙って、光のない瞳を僅かに開く。そして、

「……あんたには分かるまいよ。俺がどれ程の飢えと苦しみを、日々飼い慣らしてきたのか」

と吐き捨てるように言って、晋助を見つめた。

「人は死ぬとき、ボウッと明るい魂の光を放つ。あんたは生きながらにして、死人よりもひどく眩しい光を放っているよ。
あんた自身は気付いちゃいまいだろうが、それほどの光を持つ男だ。女を亡くした俺の痛みなんざ、あんたにとっちゃあ……」

似蔵にそう言われ、晋助は考えた。
果たして、本当にそうだろうか。晋助とて、これまで亡くしたものなら山程ある。人生の全てのように感じていたものーー師匠や、仲間達の存在。何度も絶望の淵に立った、けれどこうして這い上がり、野心を抱いているのは何故だろう。

過去に別れた仲間の存在が、今もなお胸のうちで輝いているからだろうか。いや、それよりも……もっと眩しい光を持つものが、己の隣にある。ずっと昔から、そして、これからも。

「俺の隣にゃ華がある。華の光は、容易く消えねェモンさ」

晋助は笑って、似蔵の手にある剣を見やる。
仄明るく、紅い光を持つ刀身の輝き。それはまるで、冬枯れにひっそりと咲く椿の花のよう。


「女と剣とを比べるなんざァ馬鹿馬鹿しいが、この剣……お前の華となるには相応しい、艶やかな光を持ってるぜ」



.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ