鬼と華

□花兎遊戯 第二幕
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「すみません、どうやら私の早とちりのようでした」

また子の悪ふざけの誤解は解かれ、武市は薫に謝罪した。

「それと、先程の第七師団の話ですが……晋助殿と私しか知らないことになってますので、くれぐれも口外しないで下さいね」
「わかりました。あ、その代わりにと言ってはなんですが……」

チャイナドレスは論外としても、会食に何を着ていくかは、薫にとっては依然悩みの種だった。彼女は武市に助けを求めることにした。変人謀略家との異名もあるが、年配者だけあって常識人である。

「偉い立場にある方に招かれて食事をするなんて、失礼があってはいけないし、何を着ればいいでしょうか」
「ハニー大作戦ではないとしてもですよ。明日の会食、晋助殿はいつもの着流しと羽織で行くのでしょう。薫さんが洋服では不釣り合いです。笑い者にされてしまいますよ」
「ですから、あれはまた子さんがふざけて着せただけですってば」


武市と薫は連れ立って、船の一角に設えた倉庫に入った。倉庫には備品の他に隊士達の私物や、時期外れの着物を収納している。
焼桐の衣装箱を開けると、きらびやかな訪問着や付け下げが次々にその柄を現した。

武市は明るい色合いのものをいくつか見繕い、薫にあてがって見立てをした。

「明日は略礼装程度でいいでしょう。あまり派手すぎないものがいいですね」

数ある着物を眺めていると、薫の目に、明るい緑色が飛び込んできた。
見たことのない色無地である。白緑色の地色が、まるで若葉の輝きのようだ。光沢を抑えた上品な生地に、何か細かい文様が施されてある。

(こんなお着物、あったかしら)

薫が首を傾げると、武市がおや、と感嘆の声を上げた。

「花兎文とは、珍しいものをお持ちですな」
「花兎文?」
「異国から渡来した名物裂ですよ。ほら、模様をご覧なさい」

よく見ると、生地には花と兎を形作った文様が、整然と列をなして織られていた。

「花樹の下で、耳を立てた兎が座っているでしょう。この組合せを花兎文というのです。桃山時代の京の豪商、 角倉了似が愛用した“花兎金欄”などはよく知られていますよ」

武市は薫と色無地を合わせながら、納得したように何度か頷いた。

「一見可愛らしいですが、古典的で洗練された文様です。例えば、二十歳にも満たない女性がコレを着こなすのは難しいでしょう。多少歳を召した方でないと、似合わない柄があるのですよ」
「あら。じゃあ、私はもう若くはないということですね」
「誤解しないでくださいよ。“大人の女性”に似合うという意味ですからね。薫さんが年増だなんて、言ってませんからね」

薫がクスクスと笑うので、武市は決まり悪そうにして話題を変えた。

「おとなしい色ですから、コレは街着にするといいですよ。しかし、晋助殿は何処でお求めになったのでしょうな」
「さて……」

船で方々を回るうちに、薫の手元にある着物はいつの間にか増えた。けれど、一度も着ていないものもある。そうしているうちに、この花兎文の着物のように忘れ去られてしまうのだ。

「晋助様は、私の為にと珍しい織物や染め物を下さいますけど……いつ贈ったのか、何処で手に入れたかなんて、きっと覚えていないわ」

薫が淋しそうに言うので、武市は首を傾げて訊ねた。

「嬉しくはないのですか。着きれないほどの、美しい召し物に囲まれるのは」
「過ぎたるは猶及ばざるが如し、と言うでしょう。衣食住の言葉のとおり、着ることは生活の基本、生活を豊かにするものではあるけれど、必要以上にあるのも不便なものですよ。沢山の衣装があったって、着ていく場所も、時間も……着た姿を見てくれる人もいないのでは、宝の持ち腐れだわ」
「悲観的なことを仰いますな」

武市は励ますように言った。

「昔から、男性は与えること、女性は受け取ることが得意です。平安の時代、貴族は男が和歌を贈り、受け取った女性が返歌をすることで恋が始まりました。今も昔も、男はたぎる気持ちを乗せて、贈り物をするのですよ」

四方に広げた、色とりどりの着物を眺める。四季の花や風景、色彩を映した柄や模様には、これまで晋助と薫が過ごしてきた時間が現れているようにも思える。

「晋助殿は単純に、薫さんを喜ばせたいのでしょう。若しくは、自分好みの色を纏わせて他の男を近寄り難くさせようと、独占欲の現れにも思えますがね」
「どうかしら」
「先ほどのチャイナドレスだって、お似合いでしたけど、晋助殿だったら怒るでしょうな。あんな露出の多い薫さんを見てしまったら、目撃者の目を斬ってしまいそうです」
「そんな、大げさな」

薫は肩をすくめて微笑んだ。

「でも…私は豪奢な贈り物よりも、短くてもいいから、静かな所で、長閑に過ごせるささやかな時間の方が嬉しいわ。晋助様は春雨の船にいるばかりで、こちらに戻っても、難しい顔をして書状を見ているだけなんですもの」
「地球に戻って一段落すれば、共に過ごせる時間が訪れますよ。きっと」


武市は会食の薫の衣装に、紅色を基調にした京友禅の訪問着を勧めた。紅梅色と薄色で染め分けた地色に、雲取りで優美な四季の花々が織られている。所々に揚羽蝶が舞っており、羽根の縁には金駒刺繍が施されていた。
幼虫から蛹、成虫へと姿を変える蝶は、女性の美しさや成熟を表現する。同時に、蝶となって舞う様子は、不老不死の意味ともされている。
年月を重ねても、薫の穏やかな心がそのままであるように、晋助との関係が不変であるようにと、彼なりの願いを込めたのだった。


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