鬼と華

□花兎遊戯 第三幕
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春雨の母船、薄暗い牢屋の片隅に女が一人。
宇宙に咲く一輪の花、かつてそう呼ばれていた元第四師団団長は、虚ろな目をしてぶつぶつとうわ言を繰り返していた。

「丁か半か……丁か半か……ふふ……」

暫くして牢屋の前に、フードとマントで全身を覆った女が現れた。彼女は格子に指をかけると、牢の中の華陀をじっと見つめた。
華陀は奇妙な笑い声を漏らしながら、ひび割れた椀とナットを弄ぶばかりだ。

「私のことも忘れてしまったの」

女はそう呼びかけたが、華陀は女に目線をくれることもなく、ナットをサイコロに見立てて再び丁半を始めた。

「丁か半か……ふふふ……」
「……なんて、可哀想な……」

女は俯くと、肩を震わせて嗚咽を漏らした。格子にかけた指が小刻みに震え、頬を伝う涙がマントを濡らしていく。


どのくらいそうしていたのか、彼女の背後で突然、コツ、と足音がした。

「アンタ、毎日此処に来てるだろ」

びくりとして、女は声のした方を振り返った。その瞬間、彼女は目を見開いて警戒した。この船では、その人物を知らない者はいない。
春雨第七師団団長、神威が姿を現したのだ。

「誰にもバレてないと思ってた?」

神威はにこやかに笑って女に近づいた。

「この女狐にそんなに思い入れがあるのかい。聞いた話だと、地球に潜伏していたところを捕まったらしいけど、もしかして君、この女の仲間?地球人?」

そう言いながら、女の風貌をじろじろと眺める。そこで、フードの陰から覗く特徴的な耳の形に気づいたようだった。

「……ではないか。この船に、まだ辰羅族がいたんだね。ねえ、他に仲間はいる?辰羅族の集団戦術には興味があるんだ。俺独りで何人やれるか、試してみたい」
「お戯れを」

女は深く頭を下げて、神威に敬意を表した。

「あなた様は春雨最強のお方。たとえ辰羅百人で闘おうと、敵うはずもありません」
「そっか。残念だな」

神威は肩を落として、牢屋の前にしゃがみこんだ。はあ、とため息をついて、むくれた表情で呟く。

「提督に呼ばれて帰還したけど、此処にいたってやることがないんだ。俺は辺境の星で暴れてる方がずっと性に合ってる。おまけに組織が長年追ってた女狐は、どこの馬の骨とも分からない連中が捕まえてきて、手柄を横取りされてるし。面白くないことばかりだよ」
「……春雨第七師団団長、神威様……」

女はそう呟いて、あどけなさの残る横顔を見つめた。
春雨の屋台骨を支える、第七師団の若き首領。力と度量なら他の師団長と比べてもずば抜けているが、組織を渡り歩くには幼すぎる。その為第七師団の副団長には、師団一の古株の有能な男がついていると聞く。

けれど、今は神威一人だ。
女は自分の首にかけられた首輪を指でなぞった。逃走防止のため爆破装置が組み込まれ、自分では外すことのできない忌まわしき鎖。この鎖を外せるのは、春雨の師団長クラスの幹部であると、彼女は知っていた。

「そんなに退屈なら、私に付き合っていただけませんか」

女はじっと神威を覗きこんだ。

「私は、同郷のこの女性を逃がしたいと、かねてから思っていました。元第四師団長とは言え、こんな風に堕ちてしまっては廃人も同然。消えたところで、組織にとって困ることなど何もないはず。秘密裡に、辰羅の星に帰してやりたいのです」
「ふうん……」

神威はつまらなさそうに呟いて、女と華陀を交互に見る。

「親子……ほど歳は離れてなさそうだけど。こんな姿になっても助けてやりたいと思うなら、さぞ大事なひとなんだろうね」

そして彼は妙案を思いついたように、ポンと手を叩いて言った。

「じゃあ、取引をしよう!」
「取引……ですか?」
「俺は君にも、この女にも興味はない。今気になるのは、鬼兵隊のタカスギって奴の側にいる、地球人の女」
「鬼兵隊?」
「地球からこの女狐を拐ってきた連中さ」

神威は華陀を顎先で示した。

「その女を俺の前に連れてきてくれたら、この女狐を逃がすのに協力してあげる。悪い話じゃないだろ?」
「…………」
「そんな疑いの目で見ないでよ」

女が不審そうな顔をするので、神威は可笑しそうに笑い、

「春雨じゃあ俺に敵う奴はいない。牢番だろうと提督だろうと、指の先で捩じ伏せられる。それに君のコレ″、俺なら外せるんだけど。どうする?」

と、女の首輪に手をかけた。


そうして、ふたりの取引が成立した。女は首の装置を外してもらい、神威がこっそり用意した小型艇に乗り込むこととなった。

けれど、次第に疑念と罪悪感が募り始めてくる。地球人の女を連れてきたところで、神威は本当に華陀を逃がそうとするのだろうか。華陀を助けたい、けれどその為に、見ず知らずの女性を犠牲にしていいのだろうか。

(人助けをするために、人攫いをするなんて馬鹿げてる)

地球人の女が神威のいいようにされ、夜兎の力の前に屈するのかと思うといい気分ではない。それに彼女の目には、神威はとても幼く映った。欲しい玩具を手に入れようと拱く、子どものようだった。
子どもの約束に絶対はないのだと、疑いがふつふつと沸いてくる。

「鬼兵隊のタカスギもまた、男か」

女は懐から、液体の入った小瓶を取り出してじっと眺めた。

「あの人を助けるには、使えるものは使っておく」

そして妖しい微笑みを浮かべると、独り小型艇に乗り込み、人知れず春雨の船を発った。



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