鬼と華
□花兎遊戯 第三幕
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春雨の母艦付近に漂う鬼兵隊の船。
奥まった小部屋で、晋助と武市がひっそりと相談事をしていた。
「もし、神威殿のような危険な御仁が春雨の頂点に君臨したら、春雨は暴走し止められないでしょう。それでは盟約を結んだ意味がありません」
と、武市が神妙な面持ちで言った。
春雨第八師団の勾狼と鬼兵隊は、秘密裡に手を結び、第七師団討伐の算段を画策していた。春雨の中に神威を提督に担ごうとする動きがあり、勾狼がこれを危惧しているのだ。
だが、相手は白兵戦最強を誇る第七師団。戦闘種族夜兎の精鋭が集まっており、まともにやり合って勝てる相手ではない。彼らは夜兎に対抗する算段を考えあぐねていた。
「団長の神威ってのはどんな奴だ」
晋助が訊ねると、武市は一枚の写真を取り出して彼に見せた。
「春雨の雷槍と称される、若き武闘派師団長です。何でも春雨の歴史始まって以来の、最年少で団長の地位に昇格したとか」
「最年少ねェ」
写真を見た瞬間、晋助は顔をしかめた。にこやかな笑顔で写っているのは、提督主催の会食に招かれた際、薫が船で出会った少年である。
随分と好戦的な視線を向けてきて、礼儀知らずな奴だと思ったが、なるほど若いというのは頷ける。せいぜい十七、八くらいだろう。
力では夜兎に敵う者はいないとは言え、経験や知略ではこちらに分がある。晋助は椅子の背もたれに肘を預け、思案した。
「要は、白兵戦に持ち込ませなきゃいいのさ。提督が消したいのはこのガキだろう。となれば」
彼は神威の写真を置き、懐にあった煙草の袋を船に見立てて説明した。
「ガキと第七師団艦隊を分断させる。艦隊を船に押し込めりゃあ、最強の集団と言えど籠の鳥になるさ」
「ふむ」
「ガキの方は俺がやる。奴を残して艦隊を出航させるように仕向けらねェか」
「なるほど」
武市は腕組みをして頷いた。
「確かに、艦隊での撃ち合いなら数の多さに軍配が上がるでしょう。勾狼殿の第八師団艦隊、それに提督の私設艦隊の力を借りれば、第七師団と言えど袋のネズミ、いや、ウサギですな」
「提督にかけ合おう。筆を取ってくる」
晋助は笑うと、羽織を翻して自室に向かった。
ゆっくりと歩きながら、春雨の思惑を考えてみる。提督は己の保身のことしか頭にない男だ。自らの地位を危うくする第七師団を亡きものにするためなら、この作戦、彼は二つ返事で承諾するだろう。
しかし、作戦が遂行された後、鬼兵隊との関係をどうするつもりなのか。同盟が元々磐石でないことに加え、春雨が直接中央政府と盟約を結んだ今、鬼兵隊を地球の実働部隊として游がせる意味は薄い。いつまで言いなりに動くのか、鬼兵隊にとっては身の振り方が試される時でもある。
晋助はそんな考え事をしながら自室に入り、文机から書状と筆を取った。懐にしまい、踵を返そうとした瞬間だった。
「鬼兵隊総督、高杉晋助様」
突然、背後から女の声がした。
薫でもまた子でもない。聞き慣れない、幼さの残る声だった。晋助は咄嗟に刀の柄に手をかけて、後ろを振り向いた。
「誰だ!」
そこには小柄な女が立っていた。帽子を目深に被り、顔はよく分からないが、全身を隠す程の長いマントから女の体の曲線がみてとれた。
帽子の陰から覗く大きな瞳が、じっと晋助を見据えている。目を凝らすと、見覚えのある尖った耳が確認できた。
晋助は柄に手をかけたまま、訊ねた。
「辰羅族……春雨の船員か。どうやってこの船に入った?」
以前、勾狼が話していた。春雨の船においては辰羅族は奴隷同然に扱われており、首に逃走防止装置が仕掛けてあるのだと。団長クラスの幹部しか外せず、無断で船の外に出ることは出来ない筈だ。
女は淡々とした口調で答えた。
「あなたに礼の品を届ける為の、提督の使者として参りました。名は貂蝉(ちょうせん)といいます」
「そんな話は聞いちゃいねえ。見え透いた嘘をつくのはやめろ。お前をこの船に遣わした幹部がいるだろう。その名前を言え」
すると、女は帽子に手をかけて顔をあらわにした。明るい水色の髪に、端正な顔立ちをしていた。
彼女は晋助の問いには答えず、思いつめた様子で言った。
「単刀直入に言います。春雨に捕縛された華陀の身柄を、鬼兵隊で引き受けていただけませんか」
「……あの女を?」
「酷い拷問を受けたせいで、もう中味は空っぽのただの女です。処断を待ち、牢の中で日々を生きるだけ。どうかあなた様のお力で解放し、私達の仲間に引き渡して欲しいのです」
晋助は春雨の牢屋で見た、華陀の姿を思い出した。廃人同然の彼女に、春雨が利用価値を見出すことはないだろう。しかしこの辰羅の娘は、華陀の身柄をもらい受けて、一体どうするつもりなのか。
「その取引、俺達に何の利がある?」
「この身を貴方に捧げます」
「何を馬鹿な……」
晋助が言い終わらないうちに、貂蝉はおもむろにマントの留め具に指をかる。その下には何も身に付けていなかった。
足元にたぐまるマントを踏み越えて、貂蝉は晋助の目の前に歩み出る。同時に、ふわりと甘い香りが二人を包んだ。
香りが鼻腔を通り、粘膜が察知した瞬間、晋助の体の中心に強烈な痺れが走った。
「う……」
脳髄がぐらぐらと揺れるような感覚。全身から発汗し、心臓がいやに早鐘を打ち始める。
昔、人伝に聞いたことがある。香りを嗅ぐことで興奮し、催淫効果のある香草が媚薬として裏取引されていると。
女は晋助との距離を一気に縮め、細い腕を腰のあたりに巻き付けてきた。
「……何のつもりだ」
「ふふふ」
貂蝉は妖しく微笑みながら、晋助の着流しの陰に手を忍ばせた。
「そんな風に、強張らなくても」
体中の感覚が研ぎ澄まされて、意思と肉体が真逆の反応をする。気を緩めれば持っていかれてしまいそうだ。
晋助は歯を食い縛り、低く唸った。
「ーーーやめろ」
同時に、貂蝉の腕を掴んで己の体から引き剥がした。そのまま彼女を力任せに床に叩きつけて馬乗りになる。
これ以上手出しできないよう、彼女の手首を押さえつける頃には、全身が汗だくになっていた。
「乱暴になさるのね。それでもいいわ」
貂蝉がからかうように言うのを、視線だけで牽制する。額から流れ落ちる汗が、ポタポタと床に染みを作っていた。
「……お前、好いた男はいねェのか」
「お望みなら、私の心もあなたに捧げますよ」
「そういう意味じゃねェよ」
晋助は床に落ちた羽織を手繰り寄せて、貂蝉の肌を隠すようにバサッと被せた。
「女を武器にするのはてめェの勝手だ。だが、男を易く騙せると思うなよ」
貂蝉は相変わらず、媚びるような視線を寄越してくる。
「どんな訳があるのか知らねェが、女を護ることも、傷付けることもてめェ自身の選択だ。まだ若ェくせして、後悔したくなかったら、馬鹿な真似はよすんだな」
「まあ」
貂蝉はそれを聞くなり目を丸くして、ケタケタと笑いだした。ひとしきり笑った後、残念そうに呟く。
「地球から女を連れて宇宙へ来るなんて、余程好色な方だと思ったら、見当違いだったわ」
「……てめェ、からかうのもいい加減にしろよ」
「あなたがそんなに堅いなら、仕方ないけど、あの坊やの言う通りにするしかなさそうね」
「誰のことだ。坊やってのは」
「ふふ、秘密」
貂蝉は羽織で胸元を隠しながら、意味ありげに笑った。
その時、コンコン、と控えめに扉をたたく音がした。晋助と貂蝉は、同時に扉の方を見る。
「晋助様?いらっしゃるの?」
薫の声がした。
晋助は小さく呻いて俯いた。少し動いただけで、くらくらと眩暈がする。地球人には作用し過ぎる薬なのか、ひどく気分が悪い。
粘るように甘く、危険な香りが充満した部屋。ここには人を入れさせたくない。薫ならなおさらだ。だが今の状態では、到底一人の力で侵入者を捕まえられそうになかった。
「晋助様?武市様が捜していましたよ」
どうするべきか判断を迷っているうちに、返事がないことを訝しむ薫が、扉を開けた。
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