鬼と華

□花兎遊戯 第五幕
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華陀と貂蝉は、瓦礫と船の残骸にまみれた牢屋から逃げきていた。だが華陀が、瓦礫の欠片で裸足の脚を怪我してしまい、貂蝉が手当てに包帯を巻いていた。
痛みの感覚があるのかないのか、華陀は虚ろな瞳でされるがままになっていたが、手当てを終えた貂蝉が笑いかけると、華陀もうっすらと微笑み、じっと妹を見つめていた。


姉妹の様子を遠巻きに眺めながら、薫は華陀の行く末を気にしていた。組織の金を持ち逃げした罪人、拷問の末に我を失い、今は己の肩書、元第四師団団長であったことも、かぶき町四天王であったことも忘れてしまった。彼女がこれ以上受けるべき罰など、果たしてあるのだろうか。

「あの人は、これからどうなるのですか」

薫が訊ねると、神威はさあ、と呟いて首を傾げた。

「罪人の処断は、勾狼団長が提督から一任されてるからね。俺は知らない」
「提督も勾狼団長ももういねえだろーが」

と阿伏兎が口を挟んでくる。

「団長、アンタが決めりゃあいいさ」
「俺が?」
「一度、貂蝉さんと約束しましたよね。あの人を逃がすのに協力すると。忘れましたか」

薫が強い口調で言う。神威はうーんと唸って、阿伏兎に訊ねた。

「ねえ阿伏兎、辰羅族の奴らってこの船で何してるの?」
「さあな。便所掃除とかじゃねーの」
「あ、そう。便所掃除なら第八師団の奴らにやらせようか。ヘマをした上司の尻拭いするのは、部下の仕事だからね」

神威が悪戯っぽく笑ってから、高らかな声で宣言した。

「じゃあ星に帰っていいよ。この船の、辰羅の奴ら全員」
「……全員で?」
「全員で!?」

薫に続いて阿伏兎が素っ頓狂な声を上げるも、神威は平然として頷く。

「春雨に戦闘種族は二つも要らない。弱った奴には興味はないよ。それに女の前で、サムライにばっかりいいカッコさせられないしね」

神威はそう言って、薫に向かって片眼を瞑った。
時に年相応にあどけなく、時に鬼よりも鬼の如く戦場を駆るというのに、決める時は潔い。海賊と言うのは奔放で自由、なんと気持ちのいいことだろう。

「ああ、でも、あの女を捕まえてきたのはアンタ達だったか」

と、神威は華陀捕縛の経緯を思い出し、晋助の方を見る。晋助は肩をすくめて、フンと鼻を鳴らした。

「俺達ゃもう関係ねェ。てめーの好きにしろよ」
「奴隷解放宣言だな。さっさと辰羅の連中を呼び集めてきな」

と、阿伏兎が貂蝉をせかした。

「女の処分は元老院に報告しなきゃいけねえことになってる。帰るなら今のうちだぜ」

辰羅族を春雨に縛り付けていた忌まわしい首輪は、神威の手によって外された。彼らは突然自由を得たことに驚き、半ば夢の中にいるような表情で、出立の準備を始めた。

華陀は先に船に乗せられたものの、状況が掴めていないのか、ただぼんやりと窓の外を見ている。そして貂蝉は、どこに隠していたのか、紅白の着物に藍色の帯、辰羅の民族衣装を身にまとってきた。艶やかな衣装は、彼女の端正な顔立ちをいっそうひきたて、目を見張るほどに美しかった。

出立の前、彼女は薫に別れを告げに来た。

「あなたには迷惑をかけたわね」
「いいえ」

薫は首を振って微笑んだ。

「お姉さん、少しでも回復なさるといいわね」
「故郷に戻ったからと言って安泰だとは限らないわ。故郷を捨てて海賊の仲間になった私達が、受け入れられるかどうか分からないもの」

そうは言うものの、故郷へと発つ宇宙船を見上げる貂蝉の瞳は、先ほどと比べ物にならないほど輝いていた。

「でも、こんな宇宙の箱に閉じ込められるよりもずっとマシよ」
「貂蝉さんは若いんだもの。これからだって、別の道を探せるわ」

薫がそう言うと、貂蝉は可笑しそうに言った。

「いやだ、若いだなんて。私のこといくつだと思ったの」
「えっ?だって、私より年下でしょう。十八歳位と思ったけれど……」
「私、四十二歳よ。姉は、確か六十三歳だったかしら」
「し、四十二?」

薫は驚いて目を丸くした。聞けば辰羅は長寿の種族で、二百歳まで生きる者も少なくないそうだ。成長の早さは地球人の半分程度で、四十年を生きていても、見た目は地球人の若者とさほど変わらないらしい。

華陀にしても、賭場の経営者という地位は一朝一夕で手に入れられるものではないはずだ。相応の年月江戸に潜伏して、その変わらぬ美貌を持って、四天王の地位までに成し上がったのだろう。

「あなたが晋助様と船にいるのを見た時……あなたがあまりに若くてきれいだったから、自分と比べてしまって、僻みっぽくなっていたわ。なんだか拍子抜けね」

薫が肩をすくめると、貂蝉はすまなそうに微笑んで、言った。

「若さも外見も、大した価値なんかないわ。都合のいい時に武器になるだけ。いずれは誰もが失うものよ。本当に価値のあるものは、ずっと、ここにあるの」

そう言って、貂蝉は自らの胸にそっと手を当てた。
きっと彼女達にとって価値あるものは、辰羅の故郷の星だろう。鬼兵隊の船で、華陀は薫に望郷の思いを明かした。彼女は隙を作って薫を騙そうとしたけれど、故郷への思いは、嘘ではなかったのだ。


貂蝉が薫に手を振りながら宇宙船へと乗り込んでいく。少し離れたところからその様子を見守るのは、神威と阿伏兎だった。

「止めなくていいのかい、阿伏兎」
「何がだ?」
「手離したくないんじゃないの。あの女、阿伏兎のお気に入りだったんでしょ」
「冗談よせよ。宇宙に咲く一輪の花……元第四師団団長がそう言われてたのは大昔の話だぜ。どちらかというと俺は、妹の方にお近づき願いたいね」
「あの子四十二歳なんだって。どう見ても俺とタメなのにね」
「あの外見で歳上かよ。ますますそそられるな」

辰羅族は、かつては夜兎に並ぶ戦闘種族として、華陀を筆頭に第四師団を率いていた栄光の時代があった。しかし華陀の失脚の後、十二師団の下部組織に格下げされてしまった。彼らには春雨において何の発言権も立場も認められない、それを表すかのように、彼らは常にフードとマントで全身を隠していた。

しかし辰羅の民族衣装をまとい、素顔を晒した貂蝉は、若き日の華佗に劣らぬ美貌の持ち主だった。船員達の視線を全身に浴びながらも、彼女は姉の華陀の傍にしっかりと寄り添い、頻りに何か話しかけていた。

その様子を見ながら、阿伏兎はため息をつく。

「姉ちゃんを助けるために、こんなオンボロ船にずっと居続けたって訳か。健気だねえ」
「ふゥん。俺だったら、肉親がくたばろうが落ちぶれようが、手を差し伸べる気にはならないけどね」
「アンタはそうかもしれねーが、血の繋がりってェのは簡単に断ち切れるモンじゃねえ。いつか、分かる時が来るだろうよ」


辰羅族の解放は、春雨のひとつの時代の区切りのようでもある。船員達はこぞって発着場に集まり、見送りに立ち会った。
華陀と貂蝉を乗せた宇宙船は、故郷の星を目指してゆっくりと飛び発っていった。



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