鬼と華

□花兎遊戯 第四幕(前編)
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第七師団の討伐は、途中までは順調に進んでいるかに思えた。
鬼兵隊の船が囮となり、第七師団艦隊を第八師団と提督の艦隊が追撃。艦隊は白兵戦を封じられ、小惑星群に紛れて消失した。そして師団長の神威は毒矢に混濁し、手枷足枷を嵌められて牢屋の中に封じ込まれた。
神威と艦隊を分断して第七師団を始末する、晋助が助言したとおりの筋書きで事は終わろうとしていた。だが、薫を伴って鬼兵隊の船に帰ろうとした晋助を、勾狼が足止めした。

そこで予想だにしない事態が起こった。薫が、第八師団に捕縛されたと言うのだ。

「……事情を訊かせてもらおう」

晋助は勾狼を前に、冷静な口調で訊ねた。本来なら、薫を迎えて戻る筈だが、彼女の身柄はすでに、華陀が捕らわれている牢獄の一角に収容されているという。

勾狼はやけに芝居がかった、残念そうな口調で言った。

「アンタのお陰で、あの化け物……神威を牢屋にぶち込むことができた。協力に感謝するが、どうもアンタの女に、鬼兵隊の諜報工作員じゃないかと疑いがあってね」
「証拠はあるのか?」
「艦内の監視映像に、あの女と神威が親しげに話しているところが写っていた。つまりあの女はアンタの差し金、俺達第八師団に協力する体を装い、陰では第七師団と結託して春雨の転覆を企んでいるんじゃないかとね」
「誤解だ。現に艦隊は撃沈、ガキの捕縛に成功した。薫を拘束する必要はねェだろう。今すぐ解放しろ」
「そうはいかないね。神威は牢の中だが、第七師団艦隊の残骸は誰も見てないって話だ。どこぞに隠れて再起を図っていても不思議じゃない。それに、俺は逆にアンタに訊きたいが、女の潔白を示す証拠はあるのかい?」
「何だと?」
「女は口が堅くて嘘が上手い。俺にそう言ったのはアンタだぜ。それとも、あの女狐にしてやったように、拷問の末吐かせてやってもいいが」

あの女狐、と勾狼が言ったのは、廃人となり果てた華陀のことである。
晋助は勾狼を睨み上げ、ぎりと奥歯を噛んだ。もし許されるならば、狼面をした毛むくじゃらの首を、今すぐぶった斬って吊るしてやりたい。

だが、ここで迂闊には動けない。薫の身は既に第八師団のもとに拘束されている。下手な行動に出れば彼女の身が危ないだけでなく、鬼兵隊の船が砲撃の対象ともなりうるだろう。戦力の差は歴然、軽率な真似をして仲間の命を危険に晒す訳にはいかない。

「……俺達に謀反の疑いがあることは分かった」

晋助は感情をぐっと呑み込み、両手を挙げた。

「疑いが晴れるまでは、そっちの指示に従おう。ただその代わり、薫の身の安全を保証してくれ」
「話の分かる男でよかったよ、総督殿」

勾狼は牙を見せてにんまりと笑った。

「提督の意向で、神威の処刑は三日後に執り行うことになった。女の詮議は、その後でじっくりやらせてもらう」

神威、そして薫を捕獲しておけば、第七師団や鬼兵隊にとっては人質を取られているも同然だ。処刑までの間に変な動きをしないよう、牽制しているかのようだ。

船に侵入してきた貂蝉といい、勾狼といい、まるで狐と狼に化かされて踊らされている気分だった。おまけに薫が捕まった原因が、既に狩ったはずの兎だったとは。
天人にはろくな奴がいないと思いながら、晋助は足早に牢獄へと向かった。



◇◇◇



ガシャンと金属の音が響いて、薫はハッと目を開けた。

牢屋に押し込められてから、どのくらい経ったのだろうか。春雨の母艦の牢屋は、しんとして肌寒い。暖を取るために体を丸めているうちに、いつの間にか眠ってしまったようだ。

肩を抱くようにして辺りを見回すと、格子の向こうに晋助が立っていた。

「晋助様……!」
「面倒なことになったな」

彼は険しい表情で、牢の中の薫を見つめた。

「船で会った相手が悪かったな。俺達が陰で第七師団と結託してると疑われてる」
「では、私が会った神威という少年が……」
「第七師団の団長だ」

阿伏兎という大男が、神威のことを団長と呼んでいたことを思い出した。道に迷った薫に、向こうから一方的に話し掛けてきたというのに、スパイなどという疑いが何故出てきたのだろう。

「なんだか、誰かが私達を陥れようとしているみたいだわ。私がスパイだなんて、根も葉もない噂がどこから流れるのかしら……」
「お前があのガキに手を握られたりしなけりゃあな。今頃悠々と、江戸への帰路についていたんだが」

晋助は何気無く言ったつもりだろうが、薫は癪に触って、気付けば彼を睨んでいた。

「私が悪いと仰りたいの、晋助様」
「悪いなんて言ってねェ。ただ、お前は人が好くて隙がある。だから一回りほども下の男が、躊躇いなくつけ入ってくるのさ」
「……そんな風に仰るのなら、私も言わせていただきますけど」

薫は身を乗り出すようにして、格子に指をかけて晋助を見上げた。

「晋助様、私が船で迷った時、あの少年に嫉妬したでしょう。船に戻ってから、私に冷たかったもの」
「嫉妬だと?俺がか?」
「それに、晋助様の部屋に、知らない女の人がいたじゃありませんか。あの人だって私達より一回りくらい下よ。若い女性と遊びたいなら、私から見えない所でしてくださいな。隙があるのは、晋助様のほうよ」
「……気にしていたのか」

晋助は少し苛立ったように前髪をかき上げ、ため息混じりに言った。

「あの女とは、お前が勘繰ってるようなことはないぞ」
「……」

嘘ではないような気がした。だが、薫の心の中で別の声がする。それを信じていいのかと。
一途に想っているのは自分だけ、もしかしたら知らないところで、女遊びに興じているのかもしれない。疑惑はさらに疑惑を呼ぶ。疑心暗鬼になった薫は、格子の向こうに感情をぶつけた。

「何もなかったらなら、どうしてそう言ってくれないのですか。あんな……、は、裸の女の人と一緒だったんですよ?どう見たって疑うわ」
「わざわざ言い訳がましいことを言う必要はねェだろう。それとも何だ、俺がお前以外の女を易々抱くとでも思ってるのか」
「抱……」

薫は真っ赤になって閉口した。
たとえ弁解のように聞こえても、確かな言葉が欲しい。言わなくても分かるなんて、それは男にとっての、都合のいい解釈でしかない。

「……不安でした、あれからずっと。晋助様の気持ちがどこに向いているのか分からなくて。だって、あんなきれいで、若い女性が目の前にいたら、誰だって……」
「いい加減、下らねェことを気にするのはやめろ」
「下らないことですって?!」

彼女は声を荒げていた。不毛な言い争いだとお互いに分かっている、けれど何か言われれば言い返せずにはいられない。
晋助の表情には微かな憤りが見てとれた。彼は苛立ちを鎮めるように、長い溜め息をついて言った。

「まあ、いい。此処にいるのは長くて三日だ。そうすりゃ頭も覚めるだろう」
「船に戻るくらいなら、ずうっと牢屋にいたっていいわ」
「……可愛げのねェことを言うようになったな」
「可愛いなんて、思ってもらわなくても結構です!」

啖呵を切るように言ってから、売り言葉に買い言葉とはまさにこのことだと、薫は背中にいやな汗が伝うのを感じた。
晋助は暫く彼女を見つめていたが、ふっと視線を遠ざけて、

「……勝手にしろ」

と、大股で格子の前から去っていってしまった。

再び、しんとした静寂が訪れる。薫は灰色の壁にもたれかかると、壁伝いににずるずると座り込んだ。膝を抱えて額を押し付け、ぎゅっと目をつぶる。途端に、じわじわと罪悪感が沸き上がってきた。

(……どうして、あんな言い方をしてしまったのかしら……)

変に疑って悪かったと、素直に自分から謝れば、こんなに後味の悪いことにはならなかった。

冷静さを無くした自分が、嫌で嫌で堪らなくなる。どうして、共に過ごした年月が長くなるほど、些細なことが許せなくなってしまうのだろう。晋助がこれまでどんな風に接してくれたのか、よくよく思え返せば、不安になることなど一つとしてないのに。

牢屋は薄暗く、四方は格子と壁に囲まれている。晋助と仲違いをしたまま、こんな所に閉じ込められてしまうのかと、心細さのあまり泣きたい気持ちだった。
膝に顔を埋めて、ぐっと涙を堪えていた時だった。

「ねえ、聴こえる?」

突然、壁の向こう、隣の牢屋から声がした。薫はびくりと肩を竦めて、壁を凝視した。

「勘違いじゃなかったら、アンタと逢うのは二度目だと思うんだけど」

聴こえたのは第七師団団長、神威の声だった。



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