鬼と華

□花兎遊戯 第四幕(前編)
2ページ/5ページ


鬼兵隊の協力のもとで第八師団が捕らえた神威は、薫の隣の牢屋に監禁されていた。

「急に大声が聴こえたから、びっくりしたよ」

灰色の壁の向こうから、神威の明るい声がした。

「どこの星でも、女は怒るとヒステリックになるんだね。今の、痴話喧嘩ってやつでしょ」

薫は壁をじっと見つめてから、恐る恐る訊ねた。

「……今の話、聴いてましたか?」
「うん」
「あの、どの辺りから……?」
「えっと、私が悪いと仰りたいの″だっけ?俺、気絶してたみたいなんだけど、声が大きいから起きちゃったよ」
「…………」

薫は額を押さえて目を閉じた。会話の殆どが神威の耳に入っていた。まさか他人に、男女の言い争いを聴かれてしまうなんて。

何とかして忘れてもらう方法はないものかと考えていると、それよりも、と神威が言うのが聴こえた。

「アンタさあ、ホントにこの牢屋にずっと居てもいいと思ってるのかい?すごく退屈だと思うけど」
「そんなの、本心じゃないに決まってるでしょう……」
「そうなの?女って生き物はよく分からないな。助けてほしいなら、素直に助けてって言えばいいのに。どうして思ってもいないことを口にするのさ」
「……あなたの言うとおりね」

薫は小さく笑って頷いた。晋助とは十年余りの歳月を共に重ねてきた。すべてを委ねられるほど信頼しているのに、小さな綻びで、こんなに刺々しい気持ちになってしまう。

「自分でも嫌になるわ。いつも素直でいたいのに……どうして天の邪鬼になるのかしらね」
「満たされなくて淋しいから、気を引くための嘘をつくのかな」

神威はやけに大人びた調子で言ってから、

「淋しいなら慰めてあげるよ。俺でよければ」

と言ってきた。
彼と逢った時に、強引に手を握られて手首を噛まれたのを思い出す。もし牢屋でなく別の場所で二人きりになってしまえば、夜兎の力に捩じ伏せられてしまうだろう。だが、幸いにも今は違う。

「いくら近付こうとしたって、分厚い壁と頑丈な格子に阻まれているもの。何も出来やしないわ」
「そりゃあ、そうか」

ハハ、と神威は笑って、あっさりと言った。

「隣同士になったのも何かの縁だ。ここを出るまで仲良くしてよ、オネーサン」
「その呼び方はよして」

薫よ、と名前を打ち明けると、神威は嬉しそうに反芻した。

「薫ね。じゃあ薫、早速だけど、実は謝らなくちゃいけないことがあるんだ」
「……えっ?」
「あ、ちょっと待って」

神威が口を閉ざす。何事かと耳を澄ませると、遠くの方から足音が近付いてきた。コツ、コツと踵の鳴る音で、女性のものだと分かった。

やがて格子の前に、マントとフードで全身を覆い隠した、小柄な女性が現れた。彼女は神威と薫の牢屋の中間に仁王立ちになると、

「話が違うわ!」

と金切り声を上げた。同時に、頭を覆うフードを無造作に後ろへやる。水色の美しい髪と端整な顔立ちがあらわになり、薫は思わず、あっと声を上げていた。

「あなた……!」

鬼兵隊の船に侵入し、晋助に近付いた辰羅族の女性、貂蝉(ちょうせん)だった。
どういう訳か、彼女の美しい顔は怒りで醜く歪んでいた。彼女は眉をつり上げ、神威を睨み付けた。

「コイツを拐ってくれば、“あの人”を逃がすと……あんたから取引を持ち掛けたはずよ」

コイツ、というのが自分のことだと気付いたものの、薫は訳が分からず呆然と貂蝉を見つめる。

「私は言われた通りにしたわ。わざわざ監視映像をあさって、この女が諜報員だと触れこんで回った。第八師団は餌に食いついた様にすぐ女を捕まえたわ。あんたの思惑どおり、女は檻の中よ。でも何故、あんたまでもが牢にいるのよ!」
「俺が手出し出来ないからって、随分横柄な態度じゃないか。俺だって、提督と勾狼の旦那にまんまと嵌められた。自分が捕まるなんて思っていなかったんだよ」

神威の不愉快そうな声が聴こえた。どこの星でも、女は怒るとヒステリックになる。彼がそう言ったのを思い出しながら、薫はただ言い争いを傍観していたが、

「ごめんね、薫。君が捕まったのは俺のせいだ」

と神威が言ったのは聞き捨てならなかった。彼女は腰を浮かせて尋ねた。

「俺のせいって、どういうことなの?」
「最初はほんの退屈しのぎのつもりだったんだ。君を俺の目の前に連れてきてくれたら、華陀って女狐を逃がすのに協力するって約束したのさ」
「華陀を逃がす……?」

薫は呟き、貂蝉をじっと見上げた。
水色の髪。整った美しい顔立ち。同じ辰羅族であることを差し置いても、貂蝉は華陀ととてもよく似ていた。

貂蝉は暗い瞳をして、華奢な手でぐっと拳を握り締めている。

「辰羅族がこの船で、どんな思いで生き延びてきたのか……夜兎のあんたには分からないでしょうよ。派閥争いに負けて“あの人”が逃げ、残された私達は泥水を啜るような思いで生き延びてきた。着るものもろくにない、残飯をあさり、底辺の仕事ばかりをやらされてきたわ。おまけに、ようやく船に還ってきたあの人を、あんな廃人に……!」

彼女は般若のような形相で神威に詰め寄り、激昂した。

「お前を許さない!絶対に!!」
「許すも許さないも、あの女狐は組織の金を持って逃亡したじゃないか。罪を犯したから、当然の報いを受けたまでさ」

そう返した神威の声は、貂蝉とは対照に冷静で落ち着いていた。

「女狐に制裁を下すために、組織は何年ものあいだ銀河中を捜していたんだ。春雨は裏切りを許さない」
「…………」
「望み通りに出来なくて悪かったよ。アンタの大事なひとを助ける方法は、別に捜した方が良さそうだね」

牢屋にシンとした静寂が訪れる。その拍子に、何処かからか不気味な笑い声と、ぶつぶつと何かを呟く女の声が聴こえてきた。
それが、鬼兵隊が捕らえてきた華陀のものだと気づいた時には、既に格子の前に貂蝉の姿はなかった。


.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ