鬼と華

□黄鶯開v 第一幕
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加賀山瑞仙という医者がいる。元は会津の生まれで藩医として仕えていたが、攘夷戦争時代には攘夷志士側につき軍医として活躍、終戦後は江戸に潜伏して、細々と医師の活動を続けている。
正々堂々と真昼間に病院を出入できない攘夷志士達にとっては貴重な存在で、江戸の浪士の間では知られた男だった。歳は還暦に近いというのに、開業もせずフラフラとしてばかり。世間からは闇医者と後ろ指を差されることもあるが、真っ当な生き方のできない裏の人間には、先生と呼ばれて敬愛されていた。

鬼兵隊とは、重傷を負った隊士を加賀山が世話をしてくれたことで縁があり、船医として、定期的に船を訪れて隊士達の体の不調や病を診ている。


暦の上で春を迎える、節立の頃。江戸付近の船着き場に停泊した鬼兵隊の船に、加賀山がやって来た。
体の不調を訴える隊士達を診察、一通りの仕事が終わった頃、いつも決まって薫が呼ばれた。加賀山は、お尋ね者の攘夷志士でも受け入れてくれる遠方の病院へ、紹介状や処方箋を書きながら、薫と談笑した。

「そういや武市さんがさあ、最近細けえ字が見えねえって嘆いてたけど。ありゃあ老眼のはじまりかロリコン雑誌の読み過ぎだな。控えるよう言っといてくれ」
「はい、先生」
「今日は用務で居なかったみてえだけど、また子ちゃん、アレ血の気が多過ぎるから。献血して血ぃ分けろって伝えといて」
「はい、先生」
「あと万斉さん、ナントカっていうアイドルの作曲でバカ儲けしてるそうじゃねえか。ちいっと俺に印税分けろって伝えといて」

途中から薫は可笑しくて堪らなくなり、声を上げて笑った。冗談で人を笑わせるのが好きな、愉快な男なのである。

彼は書き終えた紹介状を薫に渡しながら、さて、と言って彼女と向き合った。毎度、彼女が最後の診察相手だった。

「最近、不調はあるかい?」
「いいえ」
「薬は何月分出しとこうか。前みてえに宇宙(そら)に行くってんなら、多めに出すよ」
「ええ。お願いします。でも今度は宇宙ではなく、北の方へ行くことになりました」
「北?…ってえと、何処へだい?」
「来月から会津の地へ。こんな寒い時期ですが、晋助様が急に静養したいと言うので」

すると加賀山は、驚いて目を丸くした。

「奇遇だねえ!会津は俺の生家があってね、近々俺も会津に戻らにゃあならん」
「本当ですか?」
「ちいと野暮用があってね」

詳しい事情は伏せたものの、加賀山は帰り支度をしながら、にこにことして言った。

「東北の酒はうめえからな。向こうで晋助さんと一杯酌み交わしてえなあ」
「隊の皆さんがお世話になってばかりですから、先生のお誘いなら、晋助様は断れないですね」

船に加賀山と薫の明るい笑い声が響いた。

甲板には、身が締まるような冷たい風が吹き抜けている。だがまもなく、暖かい風が氷を溶かし、東風が春を運んでくる。


   〜 黄鶯開v 〜



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