鬼と華

□黄鶯開v 第一幕
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それからひと月ほどが経ち、晋助と薫は、北へと向かう列車の中にいた。最寄りの船着き場で鬼兵隊の船を降りてから、彼らは列車に乗って会津の地を目指していた。
冬枯れの田園風景を望みながら走っていた列車は、山の中へと入っていき、暗いトンネルに入る。そこを抜けた途端、車窓の景色は一変した。

「……国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった……」

薫は有名な小説の出だしを呟いて、瞳をきらきらと輝かせた。彼女の目の前に広がるのは、一面雪に覆われた白銀の世界だ。

「本当に、そんなことがあるのね」

興奮に頬を紅潮させる彼女を、晋助が微笑んで見つめている。
彼は曇った窓の水滴を拭い、薫に外の景色を見せてやった。

「雪雲は山に阻まれる。だからトンネルがある山地を境にして、気象ががらりと変わるのさ。残念ながら、今通ったトンネルは国境じゃあねェがな」

意地悪っぽく言う晋助に、薫はクスクスと笑った。

「北国の雪は、江戸に降る雪とも長州に降る雪とも違いますね。ずしんと重くて、深くて……冬の間、外の世界との隔たりを作ってしまうようだわ」
「この雪に囲まれて暮らすのはさぞ難儀だろう。雪国の人間は辛抱強いと、昔から言われるのも頷けるな」
「ええ。ここに住まう人達は、春の訪れをずっと、待ち侘びているんでしょうね……」

雪景色を眺めていた薫は、ふと視線を晋助に向けた。彼も同じように、珍しそうに外を眺めている。厚手の袷羽織に、首元に襟巻を巻いて寒さをしのぐ格好をしているが、膝に置かれた手の指先が、少し赤くなっている。つい先ほど、冷たい窓を拭ったせいで濡れてしまったのだ。

「晋助様。手が」

薫は向かい側に座る彼の手を取ると、両手で包み込むように握りしめた。指先まで、体温をなくしたようにひんやりと冷たくなっていた。
首を傾げるようにして、彼が手を握り返してくる。

「どうした、薫」
「……手が冷たい人は心が温かいというのは、本当かしらと思って確かめているの」
「心(こっち)が温いかどうかも、今晩にでもお前が確かめてくれ」

晋助は、片手で薫の手を握ったまま、反対の手で己の胸をトンと叩いてみせた。

雪景色を望みながら、カタンカタンと列車は進む。どのくらい列車に揺られていたのか、薫は忘れてしまったが、こうして彼と共にいられるなら、長旅も苦ではない。列車を降りるまで、彼女は暫くの間晋助の手を握り締めていた。



列車の旅を終えて、日が暮れる頃、二人はようやく目的地にたどり着いた。会津の温泉地にある、古い旅籠である。
趣のある木造の宿、彼らは中庭に面した離れに案内された。暫くして、番頭がにこやかな表情をして挨拶にやって来た。

「盟主様より、予々お話は窺っております。ようこそお越しくださいました」

番頭が盟主と言ったのは、武市のことである。彼は、武市が過去に攘夷派集団土佐勤皇党を結成していた時代、全国に散らばった配下のひとりだ。旅籠で勤めながら、会津界隈の役人の動向を密かに収集し、武市に情報を流していたようだ。勤皇党解散後も、何かの折に触れて連絡を取り合っており、この度世話になることが決まったのだ。

晋助は番頭と近況や世間話をしたのち、彼に頼み事をした。

「ご主人。頼んでおいたものを」
「ハイ、かしこまりました」

番頭は微笑んで頷くと、奥へ引っ込み、衣装箱を出してきた。壊れ物を扱うように丁寧に箱を開け、晋助の手に渡す。

彼は薫を姿見の前に立たせ、背中に回ると、

「外を出歩く時に、これを」

と言って、彼女の肩に羽織をかけた。それは牡丹の模様が描かれた、二重織りの長羽織だった。

「……晋助様、羽織ならもう着ていますよ」
「体を冷やしたら悪い。こんな寒いところで風邪をひかれたら、すぐに船に戻ることになる」
「こんな寒いところ″に誘ってくださったのは、晋助様じゃあありませんか」

薫は可笑しそうに笑いながら、肩に置かれた晋助の手に、自らの手をそっと重ねた。彼の手は相変わらず冷たかったが、彼の心の温かさは、確かめなくても十分に分かった。雪深い地で過ごす彼女の身を案じて、普段着ている羽織よりも、数段暖かいものを予め備えておいてくれた。その心遣いが、何よりもうれしかった。

「ずっとずっと、大切にします」


体を寄せ合って、障子を開け放ち中庭を望む。庭園の木々や池の飛び石は白い雪を被っており、何とも趣深い。初めて東北の地を踏んだ薫は、うずうずとして気持ちが外へと向いた。

「晋助様、まだ明るいうちに、少しだけ辺りを散歩しに行きませんか」
「今からか?明日にしろ」
「羽織を着て、外を歩いてみたいの」
「それも明日だ」

晋助は低い声で笑って、彼女の肩を抱くようにして窓を離れた。

「会津(ここ)まで長旅だった。今宵は酒でも飲んで休もう」
「お酒と言えば、晋助様。加賀山先生が」

薫は江戸を発つ前に、船医の加賀山と話したことを思い出した。

「晋助様と東北のお酒を飲みたいと仰っていましたよ。でも……先生がいつまで会津にいらっしゃるか、大事なことを聞きそびれてしまいました。早めにご挨拶に行かないと」
「加賀山の爺さんはお前のお気に入りだからな」
「お気に入りだなんて、そんな言い方」

彼女は眉を八の字にして晋助を見上げた。

「尊敬しているだけです。藩医というお立場から軍医になられて、終戦後は江戸で、開国後の医術を学ばれたそうじゃありませんか。医師であることに情熱を燃やす方だわ。それに……」

そこまで言って、晋助の肩に頭を預けて目を閉じる。

(それに、先生がいらっしゃらなかったら、今の私達はないもの)

いつしか日は落ちて、中庭の灯籠がぼんやりと辺りを照らし始めた。橙色の暖かい光が、白い雪に映えて幻想的な雰囲気を醸し出している。
どのくらいの期間を会津で過ごすのか、晋助は決めていない様子であった。雪に囲まれた北の地であっても、宇宙(そら)でも船の上でもなく、四季に触れることができる場所なら、できるだけ長くとどまりたいと、薫はそう願っていた。

その夜は、旅の疲れを労わるように、晋助と薫はただ側で寄り添って眠った。


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