鬼と華

□黄鶯開v 第二幕
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会津の地に、鶴ヶ城という城がある。攘夷戦争時代、天人との激しい攻防戦が繰り広げられた場所として有名である。城の周りは残雪に囲まれ、早朝の城は人けがなく、しんと静まり返っていた。

その石垣にひっそりと身を隠すように、編み笠を被った男がひとり。片眼鏡の奥の瞳で、じっと天守閣を見上げている、その男の名は、佐々木異三郎。彼は懐から紙を取り出すと、おもむろに筆を走らせた。

くちはてて かばねの上に草むさば 我が大君の駒にかはまし″

書きつけた句を、己で推敲するように口ずさむ。すると彼の背後から、よく響く低い声が聴こえた。

「忠義の心を詠んだのか。流石は三天の怪物殿。和歌にも通じているとは」
「……アナタは……!」

異三郎は驚きに目を見開き、さっと懐に手を差し入れた。その手は、隠し持った拳銃の引き金を握っている。
彼の背後には、ひたりと身を寄せるように、派手な着流しを着た男の姿があった。晋助である。

「高杉晋助……いや、鬼兵隊総督とお呼びした方がよろしいか。まさかこんな北の地で、指名手配中の攘夷浪士にお目にかかるとは」
「幕府のお偉い方にまで顔が知れてるのか。自己紹介の手間が省けて何よりだ」

晋助は手の仕草で、銃を収めるように指示をした。

「名城の許で、無粋な真似はしたくねェ。そいつはしまってくれ」
「……アナタの働きぶりは、以前から訊き及んでおりますよ」

異三郎は晋助の様子を窺いながら、注意深く言葉を続けた。

「開国記念式典の際には機械技師を焚き付けて将軍の首を獲ろうとし、また怪しげな刀匠と結託してテロを画策……他の攘夷志士共が可愛らしく思える程、アナタのやり方は桁が外れている。次は一体、何を企んでおいでですか」
「企むというなら、それはあんたも同じことだぜ、怪物殿。見廻組の勢力として、攘夷志士共を取り込んでいやがるそうじゃねェか。それがエリート様のやることかい」

幕府直属の警察組織、真選組が、出自は問わずに剣の腕自慢を集めた武装警察であるのに対して、見廻組は、幕臣や旗本の次男三男を集めたエリート集団である。任務についても、真選組が町の治安維持を主な任務とする一方、見廻組は要所警備や政府の要人警護を中心としている。
二つの組織は共に警察組織の一角を担っているが、見廻組は、とかく取り上げられることの多い真選組の陰に隠れている。異三郎はそれを利用しつつ、一橋派の勢力を徐々に拡大しているのだ。

異三郎はフッと口許に笑みを浮かべて、背後の晋助を振り返った。

「私が攘夷志士との接点を持っているとして、アナタはどうするつもりなんです。“最も過激で最も危険な攘夷志士”……とも言われるテロリストが、見廻組に入隊願書でも出すつもりですか」
「面白ェ冗談だ」

晋助は肩を揺らして笑いながら、

「俺ァ戦の際に仲間を粛清されてね。ある人″の命も幕府に奪われた。幕府を潰し国に復讐する、それが俺の望みさ。一橋派の権力でもって現政権を奪取するというならば、俺の敵はアンタと同じ筈だぜ」

晋助は会津城の、高く聳える天守閣を見上げた。白い城壁と赤瓦の色彩の対照に、この地で繰り広げられた激戦に思いを馳せる。
開国し天人が支配する世の中、何もかもを奪ったこの世界に復讐する時機を、終戦の時から今まで、彼はじっと狙っていたのだ。

「幕府を倒した暁には、あんたが育て上げた一橋派が政権を握り、新たな時代をゆく。どうだい、俺と手を組むってのは」
「アナタも大概面白い方だ。見廻組局長の私に、そんな話を持ち掛けますか」

異三郎は、片眼鏡の向こうの眼を細め、

「一橋家のご子息……一橋喜喜公は、異国に頼るのではなく異国と渡り合える強国を作ると、そんな志を抱いておいでです。隠居された斉々公のかつての腹心は、喜喜公に対して“徳川の流れを清ましめん御仁”と評し、幕府復権の期待を一身に寄せておりましたが……残念ながら、彼は斉斉公の足元にも及ばない」

と、そこまで言って、視線を足許に下した。

「お父上が築いた一橋の威光のもと、現政権に反対する者達の、拠り所となっているに過ぎません。将軍の座欲しさに、うわべだけの理想を語っているだけです」
「……今まで身を粉にして、一橋派の勢力を定定に匹敵する勢力までに築き上げたのはアンタだろう。それは一橋の坊(ぼん)の為じゃあねェって訳かい。アンタの真意は、一体どこにあるんだ」
「…………」

異三郎はじっと黙っていたが、和歌を書き付けた紙を懐にしまうと、横目でじっと晋助を見つめた。

「私に近付いた、その心意気は評価しましょう。ですが、幕閣のお偉い方からは、私を次期警察庁長官にと推す声をいただいております。ほんの一握りの攘夷浪士を取り込もうが、一橋派勢力の糧になるなら誰も文句は言いません。しかし同じ攘夷志士でも、アナタは別格だ」

異三郎は、瞳を鋭く光らせると、

「私は、本物の鬼と手を組むつもりはありませんよ」

そう言い残し、編み笠を目深に被り、城から立ち去っていった。


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