鬼と華

□黄鶯開v 第三幕
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一橋派の中心人物、見廻組局長の佐々木異三郎は、代々会津藩の重役として仕えた名門、佐々木家の嫡男である。
幼い頃より藩伝来の剣の流派、神道精武流を学び、奥義を極めた。その腕前は 「小太刀をとっては日本一」とも言われ、師をも凌いだ。また和歌を詠むことにも優れた、文武の人であった。

剣術の才能に恵まれた異三郎は、旗本子弟の鍛錬場として幕府が創設した講武所の剣術師範役に任命され、幕臣として江戸に勤めるようになった。たちまち異三郎の文武の才は幕閣の間に知れ渡り、剣をとれば二天、筆をとれば天神、三天の怪物″と呼ばれ、畏怖の視線を集めるようになる。

彼に結婚の話が出たのはその頃で、相手は紀州一の器量よしともいわれた、紀州藩士結城家の末娘、美都(みと)だった。
紀州藩は徳川御三家の一角をなし、結城家はその縁者にあたるという。由緒ある武家の子女との縁談に周りは大いに乗り気であったが、異三郎の気持ちは冷ややかであった。彼が心を留めるのは、勤め向き(仕事)と趣味の和歌くらいであり、結婚に興味がなかったのである。

だが見合い話はトントンと進み、佐々木家と結城家は、江戸にある結城家の屋敷で初めての顔合わせとなった。気乗りしない異三郎であったが、応接間に座した美都をみるなり、体が硬直し、心臓が勝手に高鳴りを始めた。
彼女が目が醒めるような、とても美しい顔立ちをしていたからだ。艶やかな赤い振袖に、白い肌色がよく映えている。小柄だが、すっと伸びた背筋がいかにも武家の娘らしい、気高さを感じさせた。

両家と仲人を交えての歓談が終わった後、美都の方から、異三郎を庭園に誘った。
池には鮮やかな錦鯉が泳いでおり、彼女は飛び石の上に佇んで、その様子を眺めていた。そのさまは一枚の絵画のようで、こんな美しい娘を自分が娶るなど、不釣り合いだと笑われはしまいだろうかと、異三郎にはそんな不安がよぎった。
会話をするのは、まず男がきっかけを作らなければならない。そう思った異三郎は、かろうじて初めの一言を投げかけた。

「あの……本当に、私なんかが見合い相手でよいのですか」

彼は心で思っていたことを、そのまま美都に伝えた。

「大した取柄もありませんし、勤め向き(仕事)のことくらいしか、心を留めるものがなく……」
「まあ、取柄だなんて。アナタが幕閣の皆さまから、三天の怪物と畏れられているのはご存じないのですか?そんな御方が取柄がないと仰るなんて、他の方々が訊いたら、何と思われるかしらね」
「はあ……」

美都は悪戯っぽく笑って言った。先ほどまでは、澄ました顔で仲人の話に頷いていたのに、若い娘らしい無邪気な一面も持っている。

「異三郎さま」

美都に初めて名前を呼ばれ、異三郎はハッとして顔を上げた。

「あちらをご覧になって。きれいなお花が咲いていますよ」

と、彼女は池の対岸に咲く、白い花を指差した。異三郎は、細くて華奢な指先から、花の方へと目を凝らし、

「……透かし百合ですね」

と言った。

「普通、百合は下や横を向いて咲くのですが、透かし百合は日向を好んで、上を向いて咲くのですよ」
「まあ。これからの時代、私たちもあの花のように、上を向いて生きていきたいものですね」

美都は眩しいものを見るように、すっと目を細めた。麗らかな陽射しが、彼女の白い頬を照らしている。

「開国してからというもの、新しい文化や考え方がどんどん入っています。暮らしもますます便利になっていくでしょう。けれど、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る……新しい事柄ばかりに心を惑わされては、いけないような気がします。長い鎖国の時代を経てきたこの国を知り、護っていくことで、新しいことの良しあしも見えてくるでしょうね」

異三郎は意外な気持ちで美都を見つめた。大切に育てられた箱入り娘、世間のことには疎いだろう。勝手にそう思っていたが、彼女は違った。自分達を取り巻く時代の流れを、感じ取っているのだ。

「幕府の古い人間ほど、昔は良かったと口癖のように言います。懐古主義ばかりでは発展は望めない。何の進歩もなくなります。過去の事実とともに、今を認識して未来を見据える。私達、国を担う人間には必要なことですね」

異三郎はそう言いながら、美都の整った横顔を見つめた。百合は美人を現す喩えにも使われる。美都はまさに、そんな透かし百合のような女性だ。だが異三郎には、そんな歯の浮くような台詞を言える訳もなく、

「……みっ、み、みみみ」

と、どもりながら、初めて彼女の名を呼んだ。

「美都さん」
「はい」
「そんな、石の縁にいつまでも立たないでください。危なっかしくて、とても見ていられません。どうぞ、こちらへ」

異三郎は、飛び石の上にいる美都に向かって手を差し伸べた。
小さな手が伸び、彼の手に触れる。飛び石を降りた美都は、頬を赤くして先に歩き出してしまった。手が触れた、そのことだけでもお互いが気恥ずかしくて、急に口数が減り静かになってしまう。


暫くして、庭園を歩きながら、美都がおずおずと口を開いた。

「……私、ずっとお会いしとうございました。未来の旦那様がどんな方なのか、ずっと、この日を楽しみにしてまいりました」

彼女は異三郎を見上げ、恥ずかしそうに微笑んだのだ。

剣ばかり、文字ばかりを見てきた異三郎にとって、美都の笑顔はこの世の何よりも眩しかった。彼女が太陽に向かって咲く百合なのではなく、彼女自身が、まるで太陽のように思えたのだった。



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