鬼と華

□黄鶯開v 第三幕
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それから数年後。生地である会津を訪れた佐々木異三郎は、加賀山の屋敷で薫と出会い、また鶴ヶ城で晋助と出会った。彼らの繋がりを知らぬまま、異三郎と薫は、奇妙な偶然で再会を果たすことになる。



加賀山邸のある村は、病院などない小さな村だ。医者である加賀山が帰郷したことが村に知れ渡ると、病人やその家族から、診察の依頼が次々に舞い込んできた。
当の本人は、サキと久久を残して家を空けるの渋っていたが、薫は自分が泊まり込んで世話をすると言って、加賀山を往診に送り出した。彼女の本心は、気まずいままの晋助と顔を合わせるのがつらいということに尽きる。彼女はそれを口実に旅籠へ戻らず、加賀山邸の一間を借りて寝泊まりしていた。

ある日、加賀山が往診に出かける前、珍しく仏壇に線香を手向けていた。随分と長いこと手を合わせているので、薫はふと、聞きそびれたことを思い出した。

「加賀山先生。お産婆さんだったという、先生のお母さまは、今は……」
「ああ。死んじまったよ。ひと月位前にな」

故人であるとは予想していたが、逝去がつい最近だということに薫は驚いた。加賀山は還暦に程近く、その親ならば傘寿を迎えていてもおかしくはない。

「本当は、サキさんのお産はおっ母が手伝う筈だったんだ。息子の俺が言うのも何だが、腕がいいって評判の産婆だったのさ。久しぶりにお産の介助を出来るって張り切ってたんだが、俺が帰郷するのを待たねえで、ポックリ逝っちまった」
「……そうだったんですか」
「そろそろ、墓参りにも行かねえとな」

加賀山は往診用の鞄に白衣や診療道具を詰め込みながら、淋しそうに微笑んだ。

「村に帰ると、昔馴染みから診に来てくれって頼みが絶えなくてなあ。医者冥利に尽きるが、サキさんの子が産まれたって、報告にも行ってねえや」
「お母さまのお墓は、この近くに?」
「まあ、遠くはねえが……」

加賀山は往診を終えた後、隣村の知人の元へ薬を届けに行くと言う。
薫はサキと久久が眠っているのを見届けると、前掛けを畳んで外出の支度をした。

「今日はお天気がいいですから。元気な男の子が産まれましたと、ご報告に行ってまいります」



◇◇◇



薫が寺に出向くと、檀家の墓ということもあり、寺の住職が親切にも案内してくれた。加賀山家の墓は、代々藩医を務めた医者一家とあって、立派な墓であった。
手桶に水を汲んで掃除をし、花を活けて手を合わせる。大往生の人生だったのだろう。亡くなる間際まで現役の産婆として、命の誕生に向き合ってきたというのだから、偉大としか言いようがない。

墓参りを終えた薫が、サキと久久の元へ、急ぎ戻ろうと帰る途中のことだった。佐々木家之墓、そう書かれた墓の前で、手を合わせる人物がいた。以前、加賀山邸を訪ねてきた男である。確か、サキの親戚だと言っていた。

一言挨拶をと思い、彼の後ろ姿を見つめていると、薫の気配に気づいたのか、彼は素早く振り向いた。

「……おや。加賀山先生のお宅で、一度お目にかかりましたね」

佐々木は軽く頭を下げつつ、ちら、と薫を見上げた。

「失礼、お名前が」
「薫と申します」

墓前には、今しがた彼が手向けた線香の煙が靡いていた。親族の命日なのか、偶然にも、彼も故人を偲びにやって来たのだろう。

「こんなところでお会いするなんて、奇遇ですね。お参りですか」

佐々木に問われ、薫は微笑んで頷いた。

「ええ、先生のお母様に。サキさんのお産、楽しみにしてらっしゃったそうなので」
「加賀山先生の御母上は、会津でも評判のお産婆さんでした。……私の子を取り上げてくださったのも、そうです」

佐々木は手桶に余った水を、残雪の上にかけた。雪解けの水が土を湿らせていき、薫はふと、土の上に小さな芽が顔を出しているのに気付いた。

「あれは……何かのお花の芽でしょうか」
「透かし百合です。故人が好きだったものですから」

まだ雪の残る墓地だが、芽が生えている場所だけは、きれいに雪が消えていた。きっと陽当たりがよく、雪解けが早いのだろう。

「人は往々にして、花や実だけに目がいきがちですが、いきなり花が咲いたり実がなったりすることはありません」

佐々木は慈しむような視線を、小さな芽に向けた。

「この芽が成長していくには、風に耐え、雨に耐え、茎を伸ばし葉をつけて……いろいろなことを経て、ようやく花を咲かせます。芽は、私達の心に芽生えた、ささやかな夢や理想のようなものです。太陽のようなまなざしや、水のごとく惜しみない愛情を注いでこそ、育っていくものです。いつか花を咲かせて実を結ぶ、それまでの成長が試練でもあり、また、歓びなのでしょう」

佐々木は、子どもを見守る父親のような、暖かい眼差しをしていた。彼も子どもを持つ身、萌芽したての小さな赤子の頃から、子の成長を支え、育ててきたのだろうか。

子どもを持てば、当然親としての責任がある。薫自身、もし晋助の子を身籠ったとして、果たして親としての責務を果たせるのだろうか。攘夷志士のなかで最も過激で最も危険な男″……そんな風に呼ばれる男の子どもを、何事からも護り抜き、自分の手で立派に育て上げることが出来るだろうか。

晋助は、子どもと薫と共にいようとはせず、二人を京へ住まわせようと言った。それは彼なりに、子どもの人生を思い図り、子どもを護る術(すべ)を考えてのことなのかもしれない。


薫は芽をじっと見つめながら、佐々木に尋ねた。

「お子様は、この村で……お側で、育てているのですか?」
「いいえ」
「まあ。遠くにいらっしゃるのですか」
「ええ。今頃、安らかに眠っているといいのですがね」
「子どもの眠ったお顔は、本当に可愛いですものね。ずっと、側で見守っていたいでしょうね……」

薫は佐々木にことわってから、墓前に線香を手向け手を合わせた。遅くなる前に帰ろうと彼女が立ち上がると、佐々木は彼女を見上げて、片眼鏡の奥の目を鈍く光らせた。

「……アナタ、この村の方ではありませんね」

薫はぎくりとして体を強張らせた。

「何故……急にそんなことを仰るのですか」
「そんな上質の二重紗を、この村の人間は、手に入れる術を知りません」

彼女は思わず、己の長羽織に目を走らせた。会津の寒さを懸念して、晋助がわざわざ新調させたもの。それは、見る人が見ればわかる。二重織で牡丹の花模様が織られた、西陣織の一級品だった。

「アナタの素性を詳しく調べるつもりはありませんが、嘘をつくなら相手を選んだ方がよろしい」

異三郎は薫にそう忠告し、

「私も、他人(ひと)のことは言えませんがね」

とひっそりと笑って、薫を残して墓地を後にした。
相手を選んだ方がいい、それがどんな意味なのか彼女は分からず、遠ざかる後ろ姿を見送った。


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