鬼と華

□黄鶯開v 第四幕
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会津の地、佐々木異三郎は再び墓地へと足を運んだ。
佐々木家之墓、そう書かれた墓に線香を手向けて手を合わせる。東から吹く風が、線香の薄い煙を風下へと運んでいく。

どこからかウグイスのぐぜり鳴きが響いており、異三郎は墓前に向かって、小さな声で話しかけた。

「こちらは東風が吹き、ウグイスが鳴いています。もうすぐ、暖かくなるでしょう」

毎年、ウグイスの鳴く季節には、彼はこうして会津の墓を訪ねていた。それは故人の命日が、春であるから。妻の美都(みと)と、二人の間の子どもが、この墓の下で眠っているのだ。

美都と最後に言葉を交わしたのも、ここ会津だった。



◇◇◇



見合いで出会った異三郎と美都は、江戸で祝言をあげ、めでたく夫婦となった。お互いに旗本の子女で穏やかな性格、夫婦となってもなお、話すのに照れ臭さが抜けないような初々しい雰囲気であった。

当時、異三郎は講武所師範役を務めていたが、会津藩の松平公と共に新たな職務に抜擢された。治安維持部隊、浪士組を監督する立場の、取締出役に選ばれたのである。
そして同じ頃、美都の体には、新しい命が宿っていた。


会津に腕のいい産婆がいると訊き、美都は実家の紀州ではなく、会津にある異三郎の生家で出産することを選んだ。そのため異三郎は、会津へと身重の妻を送り届け、仕事の為ゆっくり過ごす時間もなく、すぐに江戸への帰路へ着くことにした。

「旦那さま」

別れ際、膨らんだ下腹を大事そうにさすりながら、美都は異三郎に紙包みを寄越してきた。

「これを持っていてください」
「何ですか?」
「携帯電話です」

美都が得意げに言うので、異三郎は意外な思いで彼女と携帯電話を見比べた。

「……故きを温ねて新しきを知る、のではなかったんですか。異国の文明の利器に飛びつくなんて、アナタらしくない」
「メールというものがあって、とても便利なんですよ」
「メール?」
「いつ、どこにいても、すぐに連絡がつくのです。どうか肌身離さず、持ち歩いていてください」

美都は、涙を堪えるように目を大きく開いて、じっと異三郎を見つめた。

「この子が産まれたら、ふたりで江戸のお屋敷へ戻ります。ぜひ、いいお名前を考えてあげてくださいね」

赤ん坊の名付けは異三郎に一任されていた。異三郎はしっかりと頷くと、美都のお腹に、そっと手のひらをあてがった。

彼女の中には、新たな命が息づいている。命の誕生という未知の出来事に、喜びと同時に不安も抱えているに違いない。本来ならば側にいて見守ってやりたいが、江戸での浪士組に関わる任務も急を要していた。身重の妻を残して勤めへ向かう、異三郎の心情は複雑だった。己の体が二つあればどれだけよいかと、切にそう願っていた。

「くれぐれも体に気を付けてください。無事に産まれるよう、祈っていますから」

異三郎は編み笠の紐を締め、美都に渡された携帯電話の包みを大事に抱えた。

「家族三人で暮らすのを、楽しみにしています」

屋敷を出て道を歩きながら、異三郎は何度も何度も振り返った。その度に、美都はこちらに手を振っていた。角の道を曲がり、姿が見えなくなるまで、ずっとずっと手を振っていた。
その淋しそうな笑顔は、異三郎の目に焼き付いている。あれが最後の会話になってしまうとは、その時は思いもしなかったのだ。


それから美都は、加賀山の亡母の介助で無事に女児を産んだ。しかし、異三郎に我が子の顔を見せることは叶わなかった。江戸に向かう道中、天導衆が差し向けた刺客により、美都も赤ん坊も命を落としてしまったのだ。

その時から、異三郎が見据えるものは変わった。幕臣として出世の道を行くことも、名門佐々木家の繁栄も、彼は追いかけることをやめた。最愛の者の死の前では、それらはあまりに些末なものだった。

「最後に手を振るあなたを見てから、何年が過ぎたのか……。私には、あれから時間が止まってしまったようですよ」

毎年春が巡る度、忌まわしい記憶がまざまざと蘇る。異三郎は暗い瞳で、じっと墓前を見つめていた。


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